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若者にできることは、まだあるよ。

「若者にできることなんて、たかが知れている。」

わたしも、そう思う。

歳を重ねれば重ねるほど、以前の自分が無知で、経験が足りなくて、技術も何もなかったことを実感する。恥ずかしくなる。

ふと思い出して、可能ならその記憶のページを破り捨てたいと思うような、黒歴史だってたくさんある。どうしてあんなことが言えたのか。どうしてあんなことができてしまったのかと。

歳を重ねるということは、新たな経験や知識を得ることであり、それがないだけで、若いというのは不利なのだ。


でも、それこそが若さの特権なのかもしれない、と最近思い始めた。

経験を積むほど、どうせ上手くいかないからと挑戦を諦めたり、予想が外れたらショックだからと低めに低めに未来を見積もるようになる。

「わたしも、大人になったな。」

寂しげな表情で放たれるそんなセリフには、傷つかないようにいろんな方法で未来に備える、そんな大人の弱さが表れている。

だからこそ、若いということは、無知ということは、それだけで価値なのだ。過去の当たり前を壊せるのは、当たり前を経験しきれていない、無知な若者なのだ。


「やってみればいいじゃん。やって失敗したならまた考えればいいじゃん。」

そう言い放つ高校生のわたしに、辛さを経験してないからそんなことが言えるんだと、大学生のわたしは説教をする。

たくさん失敗して傷ついた人ほど、実は次の失敗が怖くてしょうがないのだ。平気な顔で挑戦と失敗を繰り返しているように見えるあの人も、心の中ではきっと恐怖と戦っている。

はじめては、いつだってわからなくて、いつだってつらい。

これが、わたしが最近実感したホント。

何かが辛いなと思ったとき、そこには何かしらはじめての要素があって、そのせいでどうしていいかがわからなくて、悩むのだ。


でもやっぱり、高校生のわたしも、正しい。

自分を守ることは、恥ずかしいことじゃない。けれど、挑戦しなければ何も変わらないというのも、ホントなのだ。そして今この瞬間のわたしが、これからのわたしの中で一番若いのだ。

だから、わたしはHoney Atに参加した。

自分らしさとか、幸せとか、若者の力とか。20年後のわたしが見たら、恥ずかしくて一生布団にくるまっていたいと思うかもしれない。

それでも、「失敗は絶対させない。」と仲間に言い切るメンバーがいて。歴史を変えた炎を超える発明をしたいなんてことを照れながら幹部が言っていて。社長が好きだ、こんなに自分らしくいられる場所ははじめてだと、頼まれてもいないのに自然とつぶやく人がいて。

若者が自分らしさで心が満たし、幸せを実感する社会を作る。

たったひとつ、このゴールに向かって頑張ることだけを条件に人が集まったそこは、誰になんと言われてもいい、将来黒歴史になってもいいと思えるくらい、どうしようもないくらい、居心地が良かった。もう、心が動いてしまっていた。


わたしは、「幸せ」を目標に掲げるのはずるいと思っている。

黒りすのテーマも「言葉でしあわせを広げる」なわけだけど、幸せを目指すというのは、誰も反対できない当たり前のことを言っているだけにすぎない。

差別や環境問題など、具体的な社会課題に対してこうするべきと自分の意見を述べる人に比べて、批判されるというリスクを取っていないのだ。

だからこそ、夢や愛をうたうと、自然と怪しさが付いてくる。きちんと問題に向き合っていなくても、深く考えていなくても、とりあえず言えてしまう耳障りのいい言葉だから。

それでも、わたしは幸せを目標に掲げる。

薄く聞こえる言葉を使うなら、覚悟と実績で厚みをつければいい。

他の人よりも真剣に幸せに向き合って、考えて苦しむ覚悟はできている。

「若者にできることなんて、たかが知れている」けれど、若者にしかできないこともあるよと示す覚悟もした。


Honey Atのみなさん。その覚悟、できていますか?

できていますよね。

あぁ、あの人たち本気だったんだ。そう思われるくらい、実績積んでいきましょう。


このnoteを読んでくださったみなさん。私たちが「若者」を名乗れるうちにどこまでいけるのかわかりませんが、温かく見守っていただけると嬉しいです。

そして若者のために、みんなが自分らしくいられる世界を作るために何かをしたいと思ったら、ぜひお手伝いさせてください。

お仕事の依頼はこちら→info@honey-at.co

#HoneyAt #自分らしさ #若者 #幸せ #言葉 #エッセイ


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