バズって多くの人を感動させたあの広告が、10年後炎上してほしいわけ。
今回わたしは、春日部駅に掲載されたOisixのお母さんを労う広告に違和感を感じ、このnoteを書きました。
柄にもなく大げさなタイトルをつけましたが、ぜひ多くの人、特に広告業界の人に考えてほしい問題なので、真意が伝わるようきちんと説明したいと思います。
自己紹介
以前からnoteやTwitterを見てくださっている方はご存知かもしれませんが、私は高校までずっと日本の学校に通い、その後アメリカの田舎の大学に正規留学し、八月から三年生になりました。
コミュニケーション学と哲学を専攻しており、コピーライターを目指して日々勉強しています。
春日部駅に掲示されたOisixの広告について
では本題に入ります。今回私が触れるのは、春日部に掲示されたオイシックスの広告です。
かあちゃんの夏休みはいつなんだろう。
子どもにとっては、楽しい楽しい夏休み。けれど、お母さんにとっては...
ちょっと大変な夏休みでもあります。
子どもたちとの遊びに奮闘しながら、
掃除、洗濯、三度の食事。
朝ごはんが終われば、お昼ごはん。
お昼ご飯が終われば、夜ごはん。
献立を考えて、買い物に行き、料理をする。
しかも、夏のキッチンの暑さといったら・・・。
家族で旅行に出かけたり、
子どもたちと過ごす時間が増える。
それはとても喜ばしいことだけど、
夏休みの家事や育児の大変さは、
令和になってもなかなか変わりません。
だから、Oisixは考えます。
「お母さんのために何ができるだろう」
夏休みの買い物や、
毎日の献立に悩まなくてもいいように。
料理がもっと楽しくなるように。
そして、みさえさんだけでなく、全てのお母さんが、
夏休みをもっと気持ちよく過ごせるように。
Oisixにできることを考え、
挑戦していきます。
お母さん、夏休み、お疲れさまでした。
春日部駅に掲示されたこの広告を撮影したツイートは9万9千リツイート、35万9千いいねを獲得。ツイッターのトレンドや、朝のニュース番組でも話題の広告として紹介されるという、いわゆる「バズ」った広告です。
そして、この広告に対する反応はほとんどが高評価。夏休みを生き抜いたお母さんが感動したのはもちろん、あらためてお母さんに感謝しなければと認識を改めた人も多かったのではないでしょうか。
私がこの広告に抱いた違和感
このお母さんをねぎらう広告の、どこが問題なのか。
私が違和感を持った表現はその「お母さん」の部分です。
どうして、お父さんは入っていないんでしょうか。夏休みに家事をするのは「お母さん」でなければいけないのでしょうか。
ツイッターでよくある、歪んだ解釈に聞こえますか?しかし、これらは私がまさにアメリカの大学の授業で学んでいることなのです。
コミュニケーション学の分野では、誰もが大好きなディズニーに批判的な研究がたくさんあります。その理由は、ディズニー映画が人種差別を助長しているから。
ディズニーが差別的な表現をしているなんて想像できませんよね。しかし昔のディズニー映画を思い返してみれば、シンデレラやベルなど、ディズニープリンセスはみんな白人です。それだけでなく、アフリカを舞台にしたターザンでさえ、主人公は白人。また、昔のプリンセスはみんな大人しく、王子様が助けてくれるのを待っていたり、野獣の言うことに黙って従っていました。
他の映画やCMなどの広告も同様です。恋愛映画の主人公がレズビアンやゲイであることはほとんどなく、洗剤のCMで洗濯をしているのはいつも女性。
それらを見て育った子どもは、主人公といえば白人、女性は男性に助けてもらうもの、恋愛は異性間でするもの、家事は女性がするもの、という先入観を強めながら大人になっていきます。
今はそのことが問題視され始め、ラプンツェルやエルサのような自分で幸せを掴むプリンセスが主人公の映画が作られたり、実写版のアリエルに黒人俳優が起用されたりするとともに、日本でも洗濯用洗剤のCMに意図的に男性俳優を起用する企業がでてきました。
これらの変化には、差別をなくそうという倫理的理由と、単純に洗濯をする男性が増え経済的に男性も視野に入れた広告をした方が効果が出るようになったという経済的理由の、両方があると思います。
経済的効果をOisixが考えたときに、広告のメインターゲットをお母さんに絞るくらい、日本ではまだまだ女性が家事・育児をしているのでしょう。
しかし以上の理由から私はこの広告を見たときに、家事を頑張ったお父さんはどう思うのか、普段から「家事は女性がするもの」というイメージと戦っている働くお母さんはどう思うのかと、ふと考えてしまったのです。
この広告は、現時点では最高の形だったと思う
このnoteに、広告製作者を責める意図はまったくありません。
むしろ、この広告はシリーズであり第二弾の父の日の広告は、自由な「お父さん」の形を問うものでした。
またこの広告を製作した会社は、「今を生きる女性の暮らしをアップデートする」プロジェクトなども積極的に行い、むしろ差別や偏見を無くそうとしています。
それよりも、問題は広告という形態そのものにあるのではないでしょうか。
広告はよく「時代を写す鏡だ」と言われます。
家事をするのがお母さんというのがまだ当たり前な日本で、「家事をしてくれたお父さん」という広告表現をすれば、正論で社会を批判する形になり、聴き心地の良いものではなくなります。
意図的に社会の問題に切り込む広告キャンペーンもありますが、それはそうすることが企業の利益になる場合のみ有効。「お金をもらうからには企業に利益をもたらさなければならない」という広告の前提は、どうやっても変えられないのです。
それを踏まえてこのOisixの広告は、ちょうど時代の半歩先を狙い、受け入れられた、今の時代を写す鏡として最高のものだったと思います。
この広告への反応を見るに私たちは、お母さんが家事をするのが当たり前という時代から、家事をしてくれているお母さんに感謝をしようという時代に移ろうとしているのでしょう。
しかし、時代を映す鏡である広告もまた、時代を作っているのです。
そのことを肝に銘じ、十年後にこの広告表現が炎上するくらい、男も女も関係なく家事をするのが理想だという時代に移っていることを願いつつ。広告を作る立場を目指す身として、広告が時代を間違った場所に導かないように気をつけようと思います。
また、一人ひとりのツイートや仕事もまた時代を作っているのだということを少し頭においてみんなが過ごせば、一緒に良い時代を作っていけるのではないかとも、思います。
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