すごい人より変な人に、私はなりたい。
「すごいね」って言われるよりも「変だね」と言われるほうがうれしい。
そんな私の話を、少し聞いてください。
・「変」と「すごい」について考えたきっかけ
・すごいってきっと、みんなに褒められること。変ってきっと、個性を極めてるってこと。
・もっと変を目指しても良いのでは?
「変」と「すごい」について考えたきっかけ
私は今、メディアの会社でインターンをやっている。そして私の他にも、学生インターンは30人とかいる。
その中で、最近一緒のグループで働くようになった青学の男子がいる。
ノリが良い、イケイケ大学生って感じの人だなと思っていた。
昨日駅まで一緒に歩きながら話して、その人のことをちょっと知ることができた。
入学してすぐサークルに入ってみたけど、あまり合わなくて辞めちゃったこと。
高校生の頃から運営しているメディアを本気で改善していきたいから、インターンを始めたことを、教えてくれた。
テニスサークルで飲み会をたくさんやっていたりするんだろうな〜と勝手に想像していた私は、へぇ!となった。
ゆくゆくは起業をしたいそう。
へぇ!と驚いたあと、私はすごいなと思った。
でも、変な人とは思わなかった。
きっと彼の周りは、サークルをやっている子ばかりだと思う。
きちんと起業という目標があってインターンをしている子は、30人いるインターンの中でも珍しいと思う。
珍しいし、すごい。けど、変じゃない。
どうして私は彼を変だと思わないんだろう?と思った。
すごいってきっと、みんなが褒める珍しいこと。変ってきっと、個性を極めてるってこと。
考えた結果、すごいかすごくないかは、みんながその人を褒めるかどうかで、決まるんじゃないかなと思った。
きっと彼がいろんな人に自己紹介をしたら、「起業か!勇気があるね!」「10万PVのメディアを作ったの?頭良いんだね!」みたいな感じで、褒められる。
でも逆に言えば、同じ言葉で褒められる人は、他にもいる。
同じ年代の人の数と比べたら割合は多くないだろうけど。
それでも、起業を目指して経験や知識を積んでいる人や、学生のうちからメディアを作って運営している人は、彼以外にもけっこういると思う。
一方で、変って、すごいを超えるめずらしさな場合が、多い気がする。
「今までそんな人見たことがないよ」っていう、少なくともその人の中でオンリーワンの時、変だねって言われる。
そして、その珍しさは、みんなに褒められないことが多い。ダメと言われるわけでもなく、特に良くも悪くもないというポジション。
例えば、お昼ご飯にうどんを30年間食べ続けていますなんて人がいたら、すごいより、変だねって言う人が多いと思う。
別にうどんを食べているからって怒られるわけではないけど、褒められることもない。
きっと、社会から褒められるわけでもないのになんでそんなことをやっているんだろうという疑問が、みんなとは感覚が違う人、変な人という印象に変わっていくんだと思う。
もっと変を目指しても良いのでは?
私の周りには、すごい人がたくさんいる。
初めに話した彼もそうだし、ハーバード大学に行っているとか、エンジニアのコンテストでYahoo!から表彰されたとか。
きっとみんなたくさん努力をして、すごいと言われることをしている。
それでも私は、変な人に惹かれる。
だって、その人の考え方や思いは、その人からしか聞けない。
それに、みんなから褒められることって、そりゃあしたくなる。
でも、褒められるかなんて関係なく、自分だけがせっかく持っている特徴や興味を、活かしきって、極めている人は、かっこいいと思う。
え、もう、本当にかっこいい。
こんなに「変」にこだわっている私も、変なのかもしれない。そうだとしたら、うれしいな。
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