止まったら、また歩き出す。

私はいつから、失敗しても「まぁいっか。」とすぐに立ち直れるようになったのだろうか。

学生時代、私は、塾のクラス分けテストや期末テストから、部活の引退試合まで、本番で失敗しないための練習を重ねることが多かった。

基礎的な能力をあげるとともに、たった一日の本番で実力が出し切れるよう、やるべきことはやったという自信を獲得すべく、努力を重ねた。

しかし身を以て実感したのは、その努力の仕方では、本番の結果によって、努力が否定されるということだ。

志望校に受からなかったのなら、友達と遊ぶ時間を削ってまで、塾で一人寂しく夕飯を食べてまで勉強した意味なんてないじゃないかと、失敗が今までの自分を否定してしまう。


でも今は、全く違った種類の努力を重ねることが多い。そのおかげか、失敗に対する抵抗が少なくなった。

好きな授業のレポートを、全力で仕上げること。毎日noteを書くこと。何もしなくていい夏休みに、わざわざインターンをすること。

これらの努力は、特に本番があるわけでも、ゴールがあるわけでもない。

強いて言えば、自分の成長、理想に近づくことがゴールだ。

このゴールの面白いところは、ゴールの場所が決まっていないこと。


人生は、マラソンだ。でも本当にそうか?人生ってそういうものか?違う。人生はマラソンじゃない。誰が決めたコースなんだよ。誰が決めたゴールなんだよ。どこを走ったっていい。どこへ向かったっていい。…失敗してもいい。寄り道してもいい。誰かと比べなくていい。道は1つじゃない。ゴールは1つじゃない。それは、人間の数だけあるんだ。すべての人生が、すばらしい。

これはリクルートの「人生は、マラソン」というCMだ。

人生をマラソンに例えるナレーションから始まり、最終的には、共通のゴールがあるマラソンを否定し、選手がコースを外れ自分だけの方向に走り出す。

一度コースを外れたら、どちらへ進んでも、何をしても、行き着いた場所に勝手にゴールテープを張れる。

どんなに曲がった道のりを歩もうと、一周して元に戻ってこようと、その経験は自分の中に積み重なり、自分の人生を構成する。


自分探し、自己実現は、世の中にあるレースの中で唯一、どの方向に行ってもゴールに近づく可能性がある、面白いレースなのだ。

だから、一度止まってしまっても、全然ゴールが見えない気がしても、諦めずにまた歩き出すことができる。

もっと好きな自分になるために、これを始めよう。

これができるようになりたいから、明日からこうしよう。

そう思えたあなたは、たとえ三日坊主になったとしても三日分ゴールに近づくと思って、足を踏み出してほしい。

三日分進めたと安心し、足を止めてしまったあなたは、自分のために努力をしようと決心した日の自分を思い出して、もう一歩ゴールに近づいてほしい。

そんなことを、自分にも思う。

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