言語に遅れを持つ子の親になってみて

2歳になる息子(2023.11現在)は、いわゆる "言葉が遅い"。

1歳6ヶ月時点で意味のある発語は0語だった。

2歳になった時点での発語の種類は30語くらい。

書籍「レイトトーカー(LT)の理解と支援」田中裕美子/学苑社 によれば、2歳時で以下の項目に当てはまればレイトトーカーと呼ばれる。

・表出語彙50語以下
・2語文がほとんど出ない
・日常生活で理解に問題ない
・知的な遅れがない
・人のコミュニケーションに問題がない

息子は上記の全てに当てはまっている。

そこで僕は自分が言語聴覚士という強みを活かし、息子に言語の検査をとってみた。

結果は、言語能力全般的に、標準偏差内ではあるが年代平均より成績が低かった。

項目別で見ると、言語表出が一番成績が低かった。

これらを踏まえると、医師に診断されたわけではないが、息子は同じ月齢のこどもに比べて、話し言葉の発達が遅い。

以下この記事では、言語障害を支援する専門職である言語聴覚士の僕が、言語に遅れを持つ子の親になってみて感じたことを書いていこうと思う。


焦る気持ち

先にも書いたが、幼児期の発達には個人差が大きい。

言語発達も例外ではなく、早い子では1歳ごろには発語があるケースもある。

気になり出したのは息子が1歳3ヶ月になった頃。

自我が芽生え出して、要求をすることが増えてきた。しかし、その時も言語での表出は「あー」と声を出すだけ。

他に母音は出ない。

要求時以外には、母音の伴わない「k」の子音を発することもあった。

同じ保育園に通う似たような月齢の子が、すでに話しているのを見て「うちの子は遅いな、男の子は遅いって言うしな」なんて思っていた。

しかし、一旦気になり出したら拍車がかかる。
その1ヶ月後である1歳4ヶ月時には、はっきりとした焦りを感じていた。

それでも「いや、幼児期の発達は個人差が大きい」「そのうち喋れるようになる、うちはちょっと遅いだけ」と自分に言い聞かせていた。

そうこうしているうちに1歳半検診の時期になった。

検診には妻が連れて行ってくれたのだが、その時の様子を聞くと、絵カードに書かれている物の名前は理解できているようだが、自分からは一つも言えなかったと。
積み木など、他の課題に関してはよくできたそう。

保健師には、発達には個人差があること、様子をみて2歳になったらまた連絡をくれることを説明されたそう。

焦る僕の気持ちは解消されないばかりか、2歳まで様子を見なければならないのかと、不安に変わった。

この時、言語聴覚士であってもこんな気持ちになるのかと客観的に自分を捉え、当事者の親になったことを自覚したのを覚えている。

動き出す

2歳までの6ヶ月間を、ただ待つというのはどんなに辛いことか。

どうせなら、今できることを最大限してあげようと思った。

普段から仕事で行っているのだから、それを息子に行うことぐらい容易なように思えるが、この時は完全に言語聴覚士とプライベートが切り離されていたように思う。

つまり、「当事者の父親」と「言語聴覚士」が別人物で僕の中に共存していた。

そしてようやく行動し始めるのだが、この時ほど言語聴覚士になっていて良かったと思ったことはない。

自分には言語に関するある程度の知識もあったし、息子の言語能力を評価する力もあった。

息子は今どの段階で、どんな特徴があり、それに対してどのようにアプローチしていくかを決められた。

そして「当事者の父親」は、関わり方を意識しただけで、自分の行動が大きく変わった。

この辺は自身のインスタグラムでもかいつまんで紹介しているが、ここでも大まかに説明すると、息子の特性に合わせて以下のことを意識した。

  • 言葉で楽しくやりとりする

  • 物・動作と言葉の対応をわかりやすく提示する

  • 言葉が便利だとわかってもらう

  • 楽しく声を出す

  • 動きや言葉を真似っこする

  • 母音を練習する

  • 得意なk音から言葉に繋げる

目的を持って関わるようになってからは、気持ちの焦りが少し軽減した。

拠り所が欲しい

とは言え、すぐに変化に現れるわけではない。

本当にこの関わりが正解なのか、自分の知識に誤りはないか。

そんなことを思い、この悩みを誰かに聞いて欲しい気持ちでいっぱいだった。

しかし、特に障害でもなく、ただの ”様子見” の状況である僕たちには、手を広げて受け入れてくれている相談場所はなく、悶々とした毎日を過ごしていった。

いや、正確に言えば相談場所はあるのだが、この何とも言えない状況に対して結局のところ上辺の共感だけされて終わるのではないかという疑念が、積極的な行動を邪魔した。

現れた変化

そうしていると、息子に少しずつ変化が現れる。

以前に比べて喃語の頻度が増え、発音する子音の種類が豊富になった。

それだけじゃなく、身振りや声のマネをすることが増え、自分から身振りをして気持ちを伝えようとする場面も見られるようにも。

また、言葉の理解は良いと思っていたが、そうでなかったんだと思うほどに声かけに対する反応がよくなり、Yes /Noの意思表示がはっきりとできるようになった。

これらは少しずつ現れたのだが、自分たちが意識して関わったからこそ、その変化に気づけたと思うし、自分たちの関わりに自身が持てた。

そして、関わり始めて3ヶ月後には「かか(母親)」や「おーい」の言葉を自分で言うようになった。

嬉しかった。

本当に嬉しかった。

喋っている様子を動画に撮って、お気に入りに保存し、ことある毎に見返してニヤけた。

そして、このまま周りの子と同じくらいに話せるまでに追いついてくれと願った…。

消えない想い

現在2歳0ヶ月になる息子は、知っている語彙が少し増えて、日常場面でポツポツと単語を言う。

以前の様子に比べると大きな成長だ。

だが、こちらから促さないと言わないことも多いし、話す語彙の種類は少ない。

冒頭でも述べたが、いわゆるレイトトーカーだ。

僕は、似たような月齢の子が話しているのと比較して、息子の話す能力の低さに憂いてしまう。

話し始めた喜びの先には、次のステージでの不安が待っていた。

さらに言えば、将来は学力で遅れが出ないだろうか、知的能力の低さが露呈してこないだろうかなどとも考える。

もうこれは、ずーっと付き纏うものなんだなと、ここで気づく。

受容

当事者になって分かったのは、障害の程度がどうであれ、我が子に発達の遅れがあることへの不安はとてつもなく大きいということ。

それを受け入れるなんて、並大抵のことではない。

多くの時間がかかるだろうし、一旦受け入れたと思っても何かのきっかけで揺らぐこともあるかもしれない。

これまでにいろんな親御さんに出会った。

既に全てを受け止められている人、まだ受け止められられない人、事態に向き合えられない人、それどころじゃない人…。

そりゃぁ障害受容できていた方が、足取り軽く前へ進めるだろう。

でも、人状況はそれぞれ。

僕は言語聴覚士として、それにできる限り共感し寄り添ってあげたいと思った。

以前だったら、安易に正論や理想論を話してしまっていたかもしれない。

もしかしたら、それで傷ついていた人がいたことも考えられる。

そんな自分の過去の未熟さを受け入れ、今後はもっと慎重に親御さんの気持ちを聞いて、一緒に悩みと向き合っていきたい。



【ことばを支援するSakuLag】
・三重県四日市市桜町 四日市ICから車で5分
・言語聴覚士による ことばの教室
・人生の潤いをコミュニケーションからサポート
・医療・福祉現場で12年目のキャリア
・ホームページ:https://kotoba-sakulag.com
・インスタグラム:https://www.instagram.com/kotoba_sakulag/?hl=ja

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