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母語を何にするか?(①難聴とわかった時)

まず、難聴と診断された時に、何を考えなければいけないかというと、母語を何にするかということです。


日本語と手話は、全く別の言語


順を追って話していきます。

実は、日本語と手話は、全く別の言語です。

手話を、日本語を手の動きで表したものだと思っている方は多いと思います。僕もそう思っていました。
しかし、実際は違います。

いえ、細かいことを言いますと、日本語を手の動きで表した手話もあります。
それが、「日本語対応手話」というものです。

しかし、ろうの方が使っている手話は、「日本手話」と言いまして、日本語とは全く別の言語です。
文法や語順も違いますし、手話の方が語彙数も少ないです。

つまり、手話にも2種類ありまして、
・日本手話
・日本語対応手話

の2種類があるわけです。

難聴と診断されたときに考えなければいけないのは、
母語を日本語にするか?日本手話にするか?
ということです。

日本語対応手話ではなく、日本手話か、日本語かという判断です。

日本語対応手話というのは、結局のところ、日本語なわけです。
だから、日本手話にするか?日本語対応手話にするか?を考える必要があるのです。

なぜか?

それは、この2つが、言語力を身に付ける原点となるからです。

言語とは、思考の源です。
言語がなければ思考ができません。
その言語力を身に付けるために、どちらの言語を選ぶか?
これを選択しなければいけないわけです。

しかし、難聴者にとって、この2つは、一長一短があるので悩ましいところです。


日本手話を選ぶと


日本手話を選ぶとどうなるか。
まず、赤ちゃんの頃から、言語力が育ちます。

難聴ということは聞こえません。
人工内耳はいきなりはできません。
補聴器も、いきなり四六時中つけることはできません。
つまり、赤ちゃんは、手話をしなければ、言語に触れることがほぼできないということになりますが、手話をすれば見えるわけですから、早い段階で言語に触れることができます。

つまり、日本語と手話と方法は違えど、聞こえる子が日本語を習得するペースと同じように手話も修得していくので、言語力も順調に伸びていきます。

そして、楽に・・・というか、自然に会話ができるようになります。

一方。
赤ちゃんの頃から手話を使っていれば、聴覚を使いません。
聴覚は、使わなければ、使えないようになります。
筋肉もずっと動かさないと動かなくなりますよね。
骨折して、しばらく固定した後は、少しずつその箇所を動かしていくリハビリをしますよね。
動かさないと、動かなくなってしまうのです。

聴覚も同じで、使わなければ使えなくなります。
そして、2歳を過ぎると、それまで使ってない聴覚は、聴力によっては、使うのが非常に難しくなるようです。
つまり、音声を聞きながら言葉を理解することが難しくなります。

手話でなら、自分の思いも自由に伝えられるし、人が話していることも楽に理解できます。
でも、働き出した場合は、日本語のコミュニケーションを取る人が、当たり前ですが日本では圧倒的に多いわけです。
そのときに、なかなかコミュニケーションを取るのが難しくなります。
もちろん、手話を使う人だけの会社で、お客さまも手話を使う人だけであれば、何の苦労もないかもしれませんが、そういったことは稀ではあると思います。

また、手話通訳士が当たり前のように付く環境になれば問題はないかもしれません。
それが理想だと思います。
しかし、現状はまだまだ追いついてはいない状況です。

そして、そもそも聞こえてないわけなので、音声で聞き取ることを目指すこと自体がナンセンスだという意見もあるでしょう。
確かにその通りです。
ただもし音声でのコミュニケーションが少しはできるのであれば、仕事の選択肢の広がりはありますよということです。


日本語を選ぶと


では、日本語を選ぶとどうなるか?

日本語を選ぶということは、将来的に、人工内耳や補聴器をつけて生活することを選ぶということです。

まず、補聴器や人工内耳をつけても、聞こえる人と同じようには聞こえないということをわかってください。

機械には限界があります。
メガネのように、パッと聞こえるまでに音を大きくはできません。
また、感音難聴という種類ですと、音が歪みます。
子音が聞き取りにくい状態ですが、言葉として聞き取ることが難しくなります。

とはいえ、最近の機器の性能は上がっています。
脳が聞き取りやすい音に変換する機器もありますし、最近では、70㏈ぐらいの子が、補聴器をつけて20~25㏈ぐらいまで持って来ることも可能です。
もちろん人工内耳も、20~25㏈ぐらいまではうまくいけばいけるようです。
ただ、音の歪みは機械では直せません。

さあ、性能が上がってきている補聴器ですが、赤ちゃんがいきなり四六時中はつけられません。人工内耳も同じくです。
つまり、言語にしばらく触れられなくなります。
ということは、言語の発達は間違いなく遅れます。

遅れますが、ただ、長い目で見れば、聴覚さえ使えていれば、いずれ追いつきます。聴覚さえ使えていればですね。

ここがポイントになります。

そもそも調べてみると聴神経がないということもあるようです。
そうなると、完全に聴覚は使えません。ないわけですからね。
その他、様々な要因で、聴覚をうまく使えないという状態になれば、手話に変更する必要はあると思います。

聴覚さえ使えるようになれば、働き出してからの圧倒的に日本語でのコミュニケーションが多い環境でも、対応しやすいでしょう。

もちろん、補聴器や人工内耳をつけても、聞こえる人と同じようには聞こえないので、言葉の聞き取りには神経を使うので疲れることもあるでしょうし、聞き間違えや、聞き逃しなどもあるでしょう。

聞こえる人とのコミュニケーションは取りやすくなるので、それだけ様々な選択肢も拡がることは事実です。


一長一短を語る


日本語、手話、どちらを取ったとしても、日本語の読み書きは重要です。
字なら、聞こえなくても理解することはできます。
読み書きができれば、文字が読めるので文字媒体から知識も得ることができます。
筆談もできるようになります。

日本で生きていく上では、読み書きは、いずれの選択をしても身に付けておく方が絶対にいいと思います。

さあ、補聴器か人工内耳を選んだ場合、言語の発達はもちろん遅れます。
しかし、いずれは追いつくので、僕はあまり気にしていません。
年相応でなくてはいけないわけではありません。
これは私見です。

人には得手不得手があります。

例えば、跳び箱が苦手で、小6だけど小3の平均しか跳べない人もいるでしょう。
この人は人として劣っているのでしょうか?

僕はそうは思いません。

なので、遅れはそれほど気にすることでもないと僕は思います。
聴覚が使えていればいずれは追いつくので。

ただし、赤ちゃんの時期に、言語に触れさせることができないという点については、本当に良かったんだろうかと、僕自身答えは出ていません。

言語学者に言わせると、難聴の赤ちゃんに手話を触れさせないのは人権侵害だとのとです。
確かにその通りかもしれません。

でも、手話ではないけど、笑顔だったり、手を握ったり、抱っこしたり、見つめたり・・・
こういうことも、赤ちゃんにとっては言語のようなものではないかなとも思います。厳密には違いますけど。

我が家で考えると、言語に触れさせなかったために、心がすさんでしまったとか、そういうことはありません。
もちろん、そのときに赤ちゃんが何を考えていたかはわかりませんが、今は良好な関係を作れているので、愛情を持って育てていれば、気持ちは伝わっているはずだとも思います。
まあ、何を言っても言い訳にはなりますが、僕としては、後悔はしていませんが、もっとやれることはあったかもという思いはあります。

そして、手話を選んだとしたら・・・
おそらく、これが自然な選択なんだろうと思います。
しかし、手話を先に選ぶと、聴覚を使えなくなることが多い。
(聴力にもよります)

聴覚を使えなくなったら、後に使えるようにするのは難しい。
でも、先に聴覚を使えるようにしておけば、手話は後でも身に付けることができる。

いずれにしても、小さな頃からやっていた方が早く定着するのはわかりますが、
手話⇒日本語の習得は難しくても、
日本語⇒手話の習得は可能性がある。
だとしたら、可能なら、まず日本語を習得してから手話を取得することが、ベストなのでは?とも思います。

ただし、自然かと言えば自然ではない。
自然さを考えると、やはり手話ではあるなと思います。


過去、現在、未来で最も重要なのはどこだと思いますか?

これは、間違いなく「現在」です。

未来が大事という人もいると思いますが、未来のために今を無理して死んでしまったら意味がないですよね。
だから、「現在」が一番重要なんです。

でも、未来のことを考えないで、「今さえ良ければそれでいいんやー!」ということで選んだ「現在」だとしたら・・・

近い未来、破綻してるかもしれません。

なので、現在が一番大切なんですけど、
「未来を見据えた現在」を考えることが一番大事だと思います。

結局、どちらがいいとかはないんです。
なので、ここは親がしっかりと向き合って考えて選ぶことが大切です。
そうやって選んだ選択なら、きっとあなたの家族にとってはベストの選択だと思います。


両方に関して、選べる環境はあるのか?


例えば、聞こえる親なら、日本語を選ぶ環境はあるでしょう。
療育機関もあります。

デフファミリーなら、手話を選ぶ環境はあります。
療育機関もあります。

では、逆の選択をしたい場合はどうでしょうか?
選べる環境があるかと言うと、それは難しいのが現状かもしれません。

まず、聞こえる親の家庭い生まれた聞こえない子を日本手話で育てたいとしたら。
デフファミリーの協力が不可欠です。

親も学ばなければいけませんが、それこそ親が身に付ける間にも子どもは生きています。
すでに手話ができる人が、子どもとコミュニケーションをほぼ毎日取る必要がありますが、これが現実的かというと、現実的ではありませんね。

もちろん、毎日ではなく週に1回程度ならお願いできたとしても、それだけで足りるのか?
人が変わって毎日尋ねてくれるのもいいかもしれませんが、そんなに人数を確保できるのか?

少なくとも、今このような体制はありません。
もしかしたら地域によってはあるかもしれませんが。

聞こえない親に生まれた聞こえない子を日本語を母語にしたいとしたら。
これも、日本語ができる人に、毎日来てもらう必要があります。
そのようなシステムも聞いたことがありません。

このあたりは、聞こえる人と聞こえない人と、何か連携できるといいなという気もします。

なので、環境を考えると、逆の選択は難しいという現状はあると思います。
そうはいっても、聴力や状況によっては逆の選択をせざるを得ないこともあります。

お互い、連携したいところですね。


この最初の選択が一生の選択ではない


聞こえる親にしてみれば、いきなりこんな選択をまずしなければいけないのか?重すぎる!と思うかもしれませんが、ここで選んだ選択が、一生の選択になるわけではありません。

診断されてすぐ、0歳児あたりでは、まだ耳の状態ははっきりとはわからないことの方が多いでしょう。
だから、一生の選択ではありません。
しかし、どちらかに選択をしなければ進めないので、選択は必要です。

そして、状況は変わりますし、考え方も変わります。

変わったら・・・

針路を変更すればいいだけです。
なので、各段階には双方向の矢印があります。

行き来は自由ということですが、実際問題、行ったり来たり、行ったり来たりを何度も繰り返すことはないでしょうし、行ったり来たりを推奨しているわけでもありません。

ただ、行き来はできるんですよという意味です。

まず、考える。
考えて出した選択に進む。
でも、他の選択肢のことも情報を得るようにしておく。

そして、子どもの状況と情報を加味しながら、進んでいくわけです。

仮決めして進む

こう考えるといいかもしれません。


普通校を選んでうまくいかなかった難聴の生徒の事例を紐解く


よく、インターネットを検索すると、「口話を選んで地域の学校に行き、全く通じないで挫折し、ろう学校に変わったけど、今度は手話ができなくて、どっちつかずになった」という事例はよく出てきていまして、だから、口話はダメだ、地域の学校に行くのはダメだ!(地域の学校に行くことをインテグレーションと呼ぶことがあります)という論調があります。

これを紐解いてみたいと思います。

これはおそらく、聴覚が使えないまま、口話(補聴器や人工内耳をつけて、わずかな声と口の動きを見て言葉を読みとること)をしていたためだと考えられます。

地域の学校の友達や先生は難聴のことを大半が知りません。
だから配慮もなくしゃべることが多かったんだろうと思います。
そうなると、聴覚が使えていたとしても厳しいです。
聴覚がうまく使えてなかったとしたらなおさらで、言葉が理解できないことが多かったはずです。

・聴覚が使えていない
・配慮が足りない
この2つの内、どちらか一方でも口話でのコミュニケーションは難しいです。両方だとなおさらコミュニケーションは取れなかっただろうと思います。

また、昔は聴覚をうまく使えていない状況が多かったように思います。
と言いますのが、新生児聴覚スクリーニング検査なども広まってませんでしたので、3歳児検診や小学校に上がってから難聴が発覚することも多かったと思います。
そうなると、聴力によっては、そこから療育をしても聴覚を使えるようにするには難しいケースもあったはずです。
おまけに、機器の性能も今ほどではありません。
口話でのコミュニケーションを取るには難しい状況で過ごしていた人は多かったんじゃないかと思います。

では、今はどうでしょうか?
今は、新生児聴覚スクリーニング検査も広まってきました。
早期に発見して早期療育できるケースも増えてきました。
また、機器の性能も各段に上がってきました。
そして、送信機能付きマイクなども発達してきました。

聴覚がうまく使えていて、
周りの配慮も進んできた
状況であれば、充分に地域の学校でもやっていけるはずだと考えています。

ただし、もちろん、全部は聞こえているわけではないので、双方の協力とちょっとした工夫は必要です。

昔の状況と、現在の状況と、随分変わってきている面があります。
昔の体験談だけで今を判断するのは非常にもったいないと思いますので、最新情報も得た上で、考えてもらればと思います。


可能なら、手話と日本語両方身に付けることをお勧めします


最初の選択は、手話か?日本語か?なのですが、可能であれば、両方あった方がいいと思います。

全く聞こえないのであれば、日本語の習得は難しいので、そういう場合は致し方ないと思います。

今の日本の社会では、圧倒的に日本語で話してコミュニケーションを取ることが多いので、その中で生活を営むには、日本語ができた方が選択肢が拡がるわけです。

仕事もそうですし、生活の場面でもそうでしょう。

選択肢が狭いのが悪いわけではありませんが、可能なら広いに越したことはないなという話です。
10個の仕事から将来の仕事を選ぶのと、20,000個の仕事から将来の仕事を選ぶのとでは、可能性や納得度は違いますよね。

一方、手話は、会話を楽にする助けになります。
また、将来、聴力が落ちたときに、手話に移行できれば安心でもあります。

聴覚を使えていても、聞こえにくいのには変わりはないので、神経を使います。でも、手話があれば、楽に会話ができます。
この場合は、日本語対応手話で事足ります。
すでに日本語力が身に付いているならですね。
もちろん、ろうの方と話したいなら日本手話を学んでください。

なので、後々は、両方をできるに越したことはありませんが、赤ちゃんの内から2言語を並走して身につけていくというのは難しいはずなので、まずはどちらを母語にするかを考えて選ぶ必要があるということです。

長くなりましたが、まず最初の選択は、母語を何にするかという話でした。

言語力を身に付けるためにはしっかりとした言語を身に付ける必要がある。
すなわち、日本語か?日本手話か?です。

日本語対応手話は、言語力が身に付くものではありません。
日本語ができるようになってから、会話の補足で使うのには非常に便利です。

最初に選んだ選択は、後で変更もできます。
だから、しっかり考えて、自信を持って選んでもらえればと思います。

最後に。
子どもの母語に、日本手話を選んだとしたら、親も死ぬ気で日本手話を学ぶ必要があります。
なぜなら、コミュニケーションが一番とりやすいのは母語でのコミュニケーションです。

英語がいくら得意でも、日本人なら日本語の方が自分の想いを細かく伝えることができるはずです。
(長く海外で暮らしていれば逆転現象が起きることもあるでしょうが)
子どもが日本手話を母語としたら、自分の想いを細かく伝えられるのは、当然日本語ではく、日本手話です。
親が日本手話をできなければ、親子の会話ができなくなります。

これは重要なことです。

死ぬ気でなんて言葉を使ってしまいましたが、楽しく学んだ方がもちろんいいです。
ただ、ネイティブレベルまでわかるようにならないと、親子の会話ができなくなるので、そこは大きな努力が必要で、真剣さも必要にはなってくるかと思います。

これは僕が偉そうに言うのは恐縮ですが、子どもたちのためにあえて言わせてもらいました。
親子の会話をするためにも、子どもの母語に日本手話を選んだとしたら、ネイティブレベルまで身に付けることを目指してもらえればと思います。
すぐにでなくてもちろん大丈夫です。
子どもさんと一緒に学んでいければいいと思います。

これで本当に最後です(笑)
お読みいただきありがとうございます。

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