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部屋の片隅に鎮座するベースに思い馳せる


小学校6年生ぐらいの頃、同級生とジャズバンドを組んでいた。トランペットが2本、アルトサックス、テナーサックス、ピアノ、そして私がエレキベース。たまにトロンボーンの子やバリトンサックスの子が参加するよく分からない編成のジャズバンド。


赤いYAMAHAのジャズベース、兄のものだったけど、その時の兄はギターに夢中だったのでほとんど私のものになりつつあった。兄はそういうところが寛容だった。

小学生でジャズなんて生意気だけど、メンバーの半分以上が地元の大きなジャズスクールに入っていたし、ピアノの男の子はコンクールで優勝するぐらいの実力者だった。
私は兄からチラッと弾き方を教えてもらっただけで全く上手ではなかった。
ピアノとトランペットの経験はあったけど、実力者揃いのメンバーの足元にも及ばなかったので、必然的に被りがいないベース担当になっただけだった。


しかも私はジャズが好きではなかった。聞いたこともない。兄から教わったのはロックばっかりだったし、私もロックが好きだった。
ジャズバンドやってるんだぜ、と言えるかっこよさだけでバンドに入った。そもそも私のベースの実力なんて誰も知らないのに、よく私を誘ったもんだ。

全員の家から歩いて行ける音楽スタジオを練習場として、月に何度かスタジオ入りした。

バンドを始めてもジャズの魅力は全然わからなかったけど、ここはもっとグルーブ感があった方がいいとか、テナーを目立たせようとか、適当にそれっぽいことを言っていた。幸か不幸か幼い頃から音楽には触れてきたので、言っていることは案外的外れではなかっただろうし、それをメンバーもちゃんと聞いてくれた。
音を鳴らすことよりもバンドやってるんだぜってポーズが快感だった。ベースを担いでスタジオに入るだけで、脇汗をかくほど興奮していた。絶対に使わないコードやらシールドやら替えの弦なんかもバッグに入れて、不要なもの7割で構成された大袈裟な荷物を抱えて受付のお姉さんの前を通る時、脇汗が肘まで流れていた。


ジャズの楽譜は難しくて、ベース初心者の私には到底弾けるものではなかった。ただ、ベースの音はアンプの音量を下げればほとんど管楽器にかき消されるし、そもそも音のバランスを調整すれば粒の目立たない歯切れの悪い音作りができたので8分音符を弾いているのか4部音符を弾いているのかさえ聞き取れない音を作って適当に弾いた。コードは理解していたので不協和音にならない音さえ選べばそれなりに弾けているように聞こえていた。


アルトサックスの男の子が、来週ひとつ上の先輩が主催するライブに出ようと言い出すまでは私のバンドごっこは背伸びをした遊びだった。


突然のライブ決定は危機的状況だった。
もちろんそこには先輩のジャズバンドが複数出演するし、ベースの人だっている。自分の担当楽器は注目するのが当然だろうし、ベースが弾ける人から見た私はただ音の鳴る木を肩から下げた子供にしか映らないのは明白だった。そもそも音作りの時点でベーシスト失格と見做され聞いてすらもらえない可能性の方が高かった。
ひとつ上の先輩と言っても小6と中1の差はそれはそれは大きかった。
なんとなく誤魔化してきたバンドごっこでは許されない。ベース経験のないメンバーは騙せても、経験者は騙せない。


そこから1週間私は必死に練習をした、譜面通りじゃなくていい、コードに沿った音でなるべく楽譜のリズムに近づけるように、間に合わせの練習。及第点でいい。及第点を目指そう。それしか考えていなかった。
ライブ前最後にスタジオ入りした時、私は脇汗どころか全身汗だくだった。手汗で感電するのではないかと思いながらベースを弾いた。

ライブ前夜、私は開き直った。そもそも私は小学生だ、どんな下手くそだって、可愛いというワードひとつでギリギリ片付けてくれる年齢だ、と信じよう。むしろ下手な方が子供らしくていいじゃないか。


本番当日、私は精一杯やった。目立たないように、外れないように、休符だけは徹底して守る。途中、メンバーと顔を見合わせながら微笑んだりして余裕なふりをしながら、手汗ベタベタで4曲全てを弾き終えた。

私たちはトップバッターだったので先輩バンドも自分たちの準備で忙しく、大して聞いていなさそうだったし、お客さんはほぼ保護者や友人たちだったし、誰にも私の下手さはバレていなかったはずだ。
メンバー同士が初めてのライブを無事終えたという達成感を共有している中、私は1人別のミッションをクリアしたことに安堵していた。


先輩バンドの演奏が始まった。8部音符なのか4部音符なのかさえも聞き取れないフレーズが響くこともなく、管楽器の音にかき消されていった。


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