グッバイ、ハピネス
手放すことが楽だと気づくまでに、メチャクチャ時間がかかった。
荷物やお土産、悩み事や楽しいこと。
たくさんあればあるだけ、自分を形作るものが多いのだと思っていた。
カウンセリングの影響で家庭に居られなくなり、家を飛び出してから贅沢はせず、細々と、けれど着実に1人で生きていた。
その中で、バカみたいに人を好きになってみたり、何かと物事に首を突っ込んだり、手持ちの荷物が嘘みたいに増えた。
それで心がぶっ壊れた。元々脆い器だが、より派手に壊れた。
人の評価を気にするようになった。良く思われようとした。相手が望んでいるかもわからないものを、さも望んでいるでしょう、あげますよ!という感じに、グイグイ押し付けた。
結果、私が無理をしていて、尚且つ本当はそこまで他人のことに必死になれない人間だということを見ないようにしていたのも、自分にバレた。
人間なんて、弱くもないし強くもない。
そんな大したものじゃないのに、必要とか、必要じゃないとか、ぐちゃぐちゃ言ってしまう。
みんなそれぞれ、ただそこに存在しているだけなのに。存在することに、明確な価値なんかないのに、決めたがる。
ほんとは何もいらなかった。
欲しい欲しいと思って手を伸ばすことと、本来の自分が望む、「上に行くこと」というのが、まるで表と裏のように繋がっていて、その実全く違う性質を持っていた。
貪欲でハングリー精神が強いもんだと思い込んでいたのだが、どうやら向上心と自立心が異様に強いだけのようだ。
誰かを押し除けたりして得られるものより、自分1人の力で上り続けて頂の景色を見てみたい。競争や比較の世界から外れた、自分にとって価値あるものへ向き合った現実を生きてみたい。
私の外側にいる人たちの生き方も、私と私が向き合い続けた人生も、等しく尊いものだ。
一歩引いて、ちょっと段差を上がったところからものを見られるようになって、そんな風に感じられるようになった。
誰かといて学べることはたくさんあっても、私は最後には孤独になって、その中でより強くなるんだろう。
また書きたくなったら残そうと思います。