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「なつかしい」と「慣れ」

携帯に入っている動画を見返していたら
従兄弟の子どもと私の母の

👩🏻「こんにちは」 おじぎ
👧🏻ぺこっ 「けけけけけっ」(と笑う)

をただひたすら繰り返しているかわいい動画が出てきた。

わたしも小さい頃はちょっとしたことが楽しくて、

お兄ちゃんのオナラでいっぱい笑ったな。
お兄ちゃんの後ろをついて回って笑ったな。
ボードゲームに勝手に追加ルール作って、自分の首絞めて負けて泣いたり、運良く勝てて喜んだり。
大富豪で、麻雀で家族にコテンパにされて泣いたけど、なんどもやったな。

おにいちゃんの肩車。
図書館で借りてきた本をよんだり、
テレビの聞こえる横の部屋で宿題したり、

教科書ですら、
全部が新鮮で、刺激的で、楽しくて。

ただただ、毎日を生きることが楽しくて。
疲れを知らずに生活していたような記憶がある。

でも、
「夜の救急車のサイレン」が怖くて、
「戦争」が寝てる間に起きるかもしれないことが怖くて、
夜寝る前にいつも怖くなって
なかなか眠れない時もあったな。

テレビを見ながら
お母さんの近くで寝落ちして、
そんな時が1番よく眠れた。

「嬉しい」きもち
「おもしろい」きもち
「怖い」きもち

沢山の気持ちと共に大きくなって、
気づけば色んなことに慣れてしまって、

ただただ、毎日を無意識に生きてしまっている。いま。


「慣れは改善ではない」(桜田洋さん)

最近、この言葉に出会い
「慣れ」を考えた。

懐かしい気持ちにさせるのは
そこに「慣れ」があるから。
怖い気持ちが薄れてるのは
考えることに、恐怖心に「慣れ」てしまったから。

ただただ、毎日を無意識に生きてしまっているのは
色んなことに「慣れ」、社会人への「慣れ」も出てきたから。

仕事の内容にも、
仕事で疲れることにも、
「慣れ」てきてしまったから。

「慣れ」て良いこともあるけれど、
「慣れ」てしまったと感じた時こそ、
立ち止まって、ゆっくり休みたい。

「慣れ」は感情を薄くさせる。
成長点を止めてしまうのではないかとも思う。

だからこそ、立ち止まり、成長の限界を「慣れ」に邪魔させないようにしたい。


おわり。

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