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1ヶ月…。過去と未来のはなし
見つけてくれてありがとうございます。
琴🍀です。
バッジをもらえた
起床して、スマホを手に取り、就寝中の連絡を確認。その後、ずっとやっているゲームにログインし、noteを開く。(ゲームについては、いずれ記事を書く。)
ここ1ヶ月のルーティーン。
今朝は、嬉しい通知とともに始まった。
noteを始めて1ヶ月が経った
と、noteが教えてくれた。1ヶ月、続けられた。毎日は書けなくとも、私は言葉と向き合い続けることが出来た。純粋に嬉しかった。
きっかけ
私がnoteをはじめたきっかけ。
それは、声が出せなくなり、入院をして、関わりをもった医療者さんたちから私の書く声の代わりの文章を褒めていただけたことである。入院してから1ヶ月がたった頃だった。先の見えない生活。生きているのか死んでいるのか、よく分からない心。そんな思いのままを、心の叫びを、私からのSOSを書き綴った文章を、褒めていただけた。
精神科入院のため、IQその他発達関連の検査をたくさんしている主治医の先生。その方から、『言葉を繊細に操る能力の持ち主。言語に関しては非常に長けている。』とお墨付きを頂戴した。
驕り高ぶることの無いよう、慎重に受け取った。
ただ、そのおかげで大きくないながらも自信を手にした私。頑なに避けてきたSNSでの発信に、1歩踏み出すことが出来た。
思うように書けなかった
『これが私です』と伝えられるような記事を、短いスパンで、書きたかった。入院しているのだから、時間はある。できると思った。
ただ、身体は、心は、そんなに上手く私の言うことを聞いてはくれなかった。
体調が優れない日が続いた期間があった。関わった医療者さんの言葉に現実を突きつけられたように感じた。その後は、何も手につかなくなったり、考え事をしすぎて負荷となり、微熱が数日続いたりもした。
それでも、少しずつ書いた。言葉と向き合い、書き続けた。記事の数は多くないが、続けることが出来たことを、喜ばしく思う。
ここまでが、過去1ヶ月の話。
あと1ヶ月
さてさて、私のいる病棟の精神科入院には上限がある。3ヶ月間という、上限が。
私は今この病棟にて、護ってもらっている。
希死念慮さんや、その他諸々の大変さや、どうにもならない生きづらさから、護ってもらっている。
その護ってもらえる期間が、あと1ヶ月になってしまった。
どうしよう
これからのことを、考えなければいけない。
どうやって暮らす?
生きられる?
どうして生きなきゃいけないの?
医療者さんたちがかけてくださる、
「生きて」
「生きていて欲しい」
「死んじゃったら悲しいよ」
ここにいる間に関しては大変ありがたいのだが、この優しい想いたちだけで生きていけるほど、この世界は甘くないし、優しくなどない。それは分かっている。
ただ、死するということも、決して簡単なことでは無い。それも、頭の片隅にきちんとある。
要するに、がんじがらめ(雁字搦めという漢字表記を、最近知った。)なのだ。
たくさん言葉をかけてもらって、せっかく『もう少し生きてみようか』と思えても、『生きられないよ』と思ってしまう。厳しい現実を目の当たりにしている。
帰る場所は?
病棟の外に、安寧はあるの?
外の世界で安心して眠るにはどうしたらいい?
そんなことを、きっと私は、この先約1ヶ月かけて、思い悩みもがき苦しむのだろう。
私へ
それでも、息をしているのならば、この先も言葉と向き合うことはやめないでね。私にしか紡げない言葉を、信じてね。『感性は財産』この授かり言葉を、忘れないでね。
お礼💌
フォロワーの皆さま、
これまで、私の記事や呟きに1度でも目を通してくださった方々、
スキをくれた方々に
心より御礼申し上げます。
これから先も、不定期ながら少しずつ紡がれる言葉に、お付き合いいただけましたら幸いです。
文章を通じた出会いに感謝します。
最後は私の好きなこのフレーズで。
私は、ここにいます。 いつか自分の足元を照らす行燈に灯りを。 見つけてください。私のことを。
また書きます。