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「読む」を理解する本!?
犬塚美輪 著『読めば分かるは当たり前?』
この本は
渡邉雅子 著『論理的思考とは何か』
の続きとして読みました。気になりませんか
「読むということ」と「論理的に考えること」
後者の本は いのほた言語学チャンネル で知りました(下線をクリックするとその動画に飛べます)。前者の本を何で知ったかは思い出せないのですが、手元にメモが残っていたのです。旧Twitter (現X) のタイムラインだったかもしれません。
犬塚美輪氏の著書『読めば分かるは当たり前?』のサブタイトルは「読解力の認知心理学」です。厳めしい感じを受けますが、「読解」に少しでも興味関心があるのならお薦めです。私のように読解に不安を抱えている人には手に取ってもらいたいです。でも「はじめに」で述べられていますが
”この本は「すぐに読解力を身につける」特効薬ではありません。
しかし、みなさんが自分の読解力についての地図を描き、目的地
に楽しく向かっていけるように、その準備をお手伝いすることは
できると考えています。”
という本です。まずは書店で「はじめに」を読んでみてください。ところで「読解力」とは何だと思いますか。
犬塚氏は、そもそも「読解力」という表現に問題があるといいます。
例えば
「このトレーニングをしたら一週間でサッカーが上手になります」
「この一冊で数学力が身につきます」
などと本の帯に書かれていたとして信じられますか。取り敢えず手に取ってみたくなりますが眉唾物ですよね。「サッカーが上手くなる」とは何を指しているのでしょうか。ドリブル、シュート、ボールへの反射だとして一週間で身に付くでしょうか。数学力が計算や論理として、一冊に収まるでしょうか。小中の計算だけでもそこそこの厚さになりそうです。このように「読解力」というまとめ方が雑だというのです。
では仮に読解力があるものとして、大学入試の国語の問題が解けるからといって読解力があるといえるのでしょうか。もしもある小学生が「ぼくは絵本は全部読めるから読解力は十分」といった場合、果たしてそれを肯定するでしょうか。
犬塚氏は国語の入試問題が解けるからといって、大学の教科書が読めることを約束している訳ではないと書かれています。数学で言えば、入試問題が解けるからといって大学数学ができることを保証していないのと同じです。
読解力は、「はい、身につきました、終了」というものではなく、絶えず鍛えていかなくてはならないものだといえるでしょうと述べられています。
ここまでは「はじめに」で述べられていることをざっとまとめたもので、本を手に取る動機にでもなればと思います。第1章で読解とは何かを考え、第2章からが本題です。▢
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