「気」遣いと「気」疲れ
私は気疲れする方です。
人からは「気遣い〜(なにかと気を遣うタイプ)」やねぇ」なんてよく言われてました。
だけど、多分違うんです。
人に気を遣ってるんじゃなくて、
自分が悪く思われないように顔色伺ってるだけ。
たとえば
笑顔で挨拶すること。
旅行先のお土産を買って帰ること。
空いた時間にお茶を出すこと。
オーバーリアクションや共感するアクション。
これらは、「されて嬉しいこと」だと思うんです。多分、一般的にはね。
だけど私は「されて嬉しいだろうな」と思ってやるのではなく、
「しなきゃ無礼だと思われる・怒られる」
この強迫観念からやってる人でした。
小さい頃から親や目上の人に怒られる事が多く、友達ともうまく話せなかったので、怒られないように顔色を伺う癖がある人間でした。
だから、怒られないように、嫌われないように、立場が、居心地が悪くならないよう相手の気分が良くなって自分に良い評価をしてくれているかどうかをひたすら確認して生きてました。
「良いことして気持ちよかった」
ではなく、「怒られなくてよかった」
と、いつもどんな時も、上下関係や友達関係にだってそう思って行動してました。
だけどずっと心のどこかで「なぜこんなに自分ばかりがしてあげてるんだ」って。
そこで気づいたんです。
これは「気疲れ」だ。
相手を思いやる「気」じゃない。
自分を守るために使ってる「気」だ、って。
これ、ずーっと自分は満たされないままなんですよね。
これに気づくのにすごく時間がかかりました。
そうやって今まで築いてきた人間関係は自分の心から幸せだと思えるものではなく、
「なんとか繋ぎ止めてきたもの」だった。
それに気づいた時、大切だと思ってたものがガラガラと崩れ落ちていく感覚がありました。
泥臭い友達関係や、信頼関係のある上下の繋がりが羨ましかったり、眩しかったりして苦しくなったりもしました。
だけど、そこからが始まりだった。
保身のために気を遣ってできた関係は少しずつ切れていき、一度孤独になりましたが、自分の心はかなり楽になりました。
ちゃんと「これしてあげたら嬉しいだろうな」
という思いやりの心、おもてなしの心がしっかりと持てるようになりました。
それから出会う人たちには本心から言いたい言葉だけを伝え、本心からやりたいとおもったことだけをやるようになりました。
余裕がない時は無理にギブしない。
すると相手も無理に求めてこないし、どんなに連絡無沙汰でも離れて行かない友人が少しずつ周りにいてくれるようになりました。
私が幸せにしたいお客様をしっかりと絞るようになったのも「気を遣って相手に合わせる」のではなく、「幸せにしたい人を幸せにする」ため。
そしたらお客様はきちんと応えてくれるというか、それを感じる瞬間が多くなりました。
私がやりたいことはこれなんだなって。
これが幸せでやってるんだって。
人の顔色が気になって、怖くて、疲れ切ってしまった方。
その気疲れ、やめても大丈夫、かも。
無理してギブしなくたって人は意外とそばに居てくれる、かも。
力抜いて、自分らしくいられますように。
何か前を向くきっかけになれたら嬉しいです(o^^o)
それではここまで読んでくださりありがとうございました。
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