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うつを経験した私がカウンセラーになった訳
オンライン心理カウンセリング癒し空間イルカです。電話、テレビ電話、メール等でカウンセリングを行っております。
カウンセリングの得意分野は、うつ状態、躁状態、引きこもり、いじめです。
福岡県久留米市在住です。
1975年9月26日生まれ、出身は鹿児島です。
31歳の時に、鹿児島の病院の先生に紹介されて久留米の病院に入院してから久留米に住んでいます。
元々人の世話役のが大好きだし、いろいろと苦難を乗り越えて来たからこそわかることがきっとある。と思いカウンセラーの道に進みました。
職場を転々としながら12年間准看護師として様々な科で働いていました。
24歳の時に、職場でのいじめをきっかけに、引きこもりになりました。当時、実家の離れに部屋があっため親にも会わない、お風呂にも入れない日々が続きました。私は病気かもしれない。と思い、鹿児島大学付属病院の心療内科を受診し、重度のうつ病の診断を受け、半年間入院加療をしました。
その後精神疾患を患っていることを公表して看護師に復帰しましたが職場に馴染めず、いじめられて看護師として働くことが厳しくなり自宅療養を始めました。
最初は重度のうつ病だけでしたが、不安神経症、パニック障害、適応障害等の診断も受けました。
小学5年生の時に親の気を引きたくてカッターで自分の手を切っては母に見せてましたが、母の反応は冷ややかなものでした。
看護師として働いていたときは自傷行為はしてませんでしたが、自宅療養を始めてから自分の気持ちをコントロールできずに、大量服薬やリストカット等の自傷行為を繰り返していました。
救急搬送され、気付いたら病院のベットの上ということもありました。
決して本心から死にたかったわけではなく、誰かに自分の辛さをわかってほしいがために命を張ってました。
鹿児島で入退院を繰り返し激太りし、久留米の病院に転院しました。
久留米に来てからも自傷行為しては入院を繰り返す日々が数年続きました。ある日当時の主治医の先生から「このままだと本当に死んじゃうよ。」と言われハッとしました。
私は死にたい訳ではないのに死んじゃうかもしれない。それから自傷行為をしたくなったら病院に電話をして話を聞いてもらったり、救急外来に泊まったりしながらコントロールしてました。
前主治医とも自傷行為はもう絶対にしないと約束をしました。自傷行為は自分も痛いし、傷つくけど、それを見ている周りの人も傷きます。
就労支援事業所に通所をし始めて、他の利用者さんやスタッフの方から頼ってもらえるようになり、自分の存在価値を見出してから自傷行為をしたい気持ちになったり、消えてしまいたい気持ちになる回数が随分減り、親も親なりに愛情かけて育ててくれたんだって思えるようになってからみるみる回復しました。
現在、カウンセリング活動をしながらリカバリーセンターくるめに去年から通所しています。
こころの病気に完治はほぼありません。でですが確実に快方に向かっていくし、現に私は毎日仕事にも行き、友達と食事に行ったり問題なく生活しています。
やりたい事や、夢もできました。
約1年になりますが、知人には「リカバリーに行くようになってさらにリカバリーしてるね。」とみんなから言われます。リカバリーのスタッフの方からも言われます。
私は子育ての経験はないので親の気持ちはわかりません。でも、親にしてもらいたかったことはわかります。
些細なことでも、ちょっとした愚痴でも構いません。相談お待ちしております。
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