岐陽高校体罰死事件~万博の裏側の話~

※断りのない限り報道や裁判資料などに基づいて被害者、加害者共に実名で記載させて頂きます。
もしも本人の代理人で削除して欲しい場合は私のTwitterアカウントまでよろしくお願いします。

学校教育法11条では体罰の禁止が規定されています。
意外なことに、日本では明治時代の時点で体罰を禁止する法律があり、いくら生徒がとんでもないことをしようが行き過ぎた懲戒行為は禁止されていました。
しかし1960年代中盤から広がりを見せてきた管理教育や不良行為と共に体罰を行う人たちが増えるようになりました。
90年代半ばより宝塚高校の事件などで表面化し以降はそういった風潮は衰退していくのですが……

・概要

1985年5月9日、茨城県筑波郡谷田部町字山崎6-888-2のつくばイン・エキスポという宿舎(現在のつくば市)には岐阜県立岐陽高校二年生(現在は学校統廃合により廃校。校舎自体は岐阜県本巣市内に現存し本巣松陽高校が利用している。)の修学旅行の一団が宿泊をしていた。
同校は5月7日より当時開催されていた国際科学技術博覧会の見学を兼ねた修学旅行を実施していた。
国際科学技術博覧会は1985年3月から9月の半年間にわたって「人間・居住・環境と科学技術」をテーマに開催された万博であり、来場者数は2000万人をのぼる大盛況を見せた。
この万博は筑波学研都市の知名度の向上、および企業誘致のために開催され、その後開催地となった谷田部町は近隣町村と合併し1987年につくば市として成立した。
この事件はその万博の裏で起きたものであり、修学旅行3日目の朝にそれは起こってしまった。

・経緯

事件のきっかけとなったのはヘアーアイロンであった。
この修学旅行ではヘアーアイロンといった不要物の持参は固く禁じられていた。が、それでも一部の生徒はヘアーアイロンを持参していた。
修学旅行出発直後には、雨森一法教諭が自身のクラスの生徒がヘアーアイロンを持参しているところを発見し取り上げた。事件当日となる5月9日の朝にも同様にヘアーアイロンを持っていた生徒が発見され同様に取り上げられた。
午前七時の朝食後、これとは別の生徒数名が同じようにヘアーアイロンを持参していたことが発覚、A、B、そして被害者となる高橋君が雨森、および生徒指導担当の藤木保之教諭の部屋に藤木教諭に呼び込まれ、藤木教諭は三人を正座させて注意した。



・出典、参考


筑波研究学園都市 - Wikipedia

水戸地方裁判所土浦支部 昭和60年(わ)177号 判決 - 大判例 (archive.org)

傷害致死罪と量刑の基準-体罰による傷害致死事例の比較検討を素材として- (chobi.net)

第102回国会 衆議院 文教委員会 第17号 昭和60年6月12日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム シンプル表示 (ndl.go.jp)

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