『IWAKAN』編集後記
2020年10月、世の中の“当たり前”に違和感を問いかけるマガジン『IWAKAN』が創刊。今日までに「Volume01 女男」「Volume02 愛情」「Volume03 政自」「Volume04 多様性?」を刊行し、少しずつではあるが多くの人へ、地域へと広がっている。どの特集も既存のジェンダーやセクシュアリティにおける規範、不平等な社会構造に対し、違和感を問いかけながら、様々な選択肢を提案してきた。そんな『IWAKAN』を僕は4号目をもって編集部から退任する。今回は最初で最後の『IWAKAN』編集後記として、企画、創刊から4号目まで携わった僕が、IWAKANを生み出し、制作してきた個人的な想いをお伝えしたい。これは愛するマイベイビーへのラブレターだ。
『IWAKAN』は奪われてきたものを取り戻す作業
この雑誌は、偶然性を計画し、日常の景色を変えていくために存在する必要があると企画当初から伝え続けてきた。規範や構造によって虐げられたり、生きづらさを感じている人たちの中にはインターネットを使えない/使わない人(高齢者や小・中学生を含む)もいる。そうした人たちは、必要な情報やコンテンツに出会う可能性が圧倒的に低くなり、「自分がおかしい」と孤独を感じてしまうこともある。僕自身もそのひとりだった。しかし、ウェブメディアでもなく、ZINEでもなく、雑誌として書店に置かれることで、たまたま訪れた人の目に留まり、その人の選択肢を広げることができるかもしれない。メディアは情報を発信するだけでなく、必要な人たちに届ける必要がある。
また、規範や構造に対して違和感を持った人たちの様々な声が『IWAKAN』を通して書店に並ぶことで、排除されてきた、あるいは気づかれてすらいなかった存在を、確かに「ここにいる」と主張する方法でもあった。僕らは時代の変化とともに突如現れた存在ではない。どの時代にも違和感を声に出し、連帯し、変革を築き上げてきた人たちがいる(まじでレジェンド先輩すぎる)。しかしかれらの存在は、あらゆる規範や構造によって排除され、見えてはいけない透明人間にされてきた。僕らの存在が無いものとされた社会によってデザインされた景色に、僕らの存在を加えることは、奪われてきたあらゆる尊厳を取り戻す作業でもあるのだ。
そんな『IWAKAN』を制作する上で、一編集者として大切にしていたことをお伝えしたい。(僕は編集経験が他の媒体の編集者に比べたら圧倒的に足りないので、ペーペーが何を偉そうにと思われても仕方ないのですが語らせていただく)
イメージの再生産ではなく、再構築を
僕は『IWAKAN』を始めるまで、フォトグラファーとしてメディアに関わっていた。撮影時だけでなく、取材時から同行させてもらっていたので、担当の編集者がどのように企画を進めたり、取材対象者やクリエイターとコミュニケーションをとっているのかを近くで見ることができたおかげで、僕のなかでの編集者像が形成されていったように思う。お仕事で関わった編集者のほとんどが、社会により良い影響を与えたり、より多くの選択肢を発信したり、誰かが排除されることのない変革を求めたりと、編集者、そしてメディアが持つ力を自覚し、より良い方向へとその力を使っていた。(本当に素敵な方々とお仕事しているなあと日々思っています、、)
メディアが持つ一番の力とは、物事のイメージを再構築することだと僕は思う。しかし多くのメディアは再構築ではなく、再生産しているのが現状。それは一部のコミュニティやアイデンティティを持った人が優遇される構造のせいだと僕は思っている。シティーボーイをターゲットとしている某雑誌(笑)は、創刊45年を超えているが、未だに偏ったシティーボーイのイメージを再生産し続けているように感じる。このシティーボーイという定義にどれだけのクィアが含まれているのだろうか。クィアの存在を排除して、現在の東京のカルチャーシーンを語れると思っているところにシスヘテロの暴力性を感じたりする。本来であれば常にシティーボーイの定義を疑い、変化と拡張をし、提案し続けることが編集の力なのではないだろうか。偏ったシティーボーイの型を作ることは、既に創刊時に済んでいることなのだから。イメージの再生産をすることは、誰かを排除している可能性があるという視点を編集者や読者から奪ってしまう危険性もある。
誰もが持つ特権と加害性に目を向ける
僕は『IWAKAN』を作るうえで、誰かを排除していないかという視点は常に意識してきた。力強くエッジの効いた意見を伝えるうえで、特権を持った一部のアイデンティティやコミュニティを批判することは、排除されてきた/されている人々のある種カウンターとして用いられることもある。それも一つの伝え方だし、怒りを表明することは大切だと思っている。しかし、僕が作るコンテンツにおいては、批判対象はシスヘテロノーマティブな社会や、根強く残っている家父長制だ。そこに意識的に加担している人たちは1ミリも肯定できないが、無意識に加担している人たちに対しては、かれらの持つ特権をより良い方向に使っていってほしいし、時にはその特権を手放すアクションをとってほしいとも思っている。そのためにはかれらとの連帯も必要であり、対話し続けることが必要である。僕が企画するコンテンツに関しては、クィアやマイノリティ性を持った人だけでなく、特権を持つマジョリティ性を持つ人々にも開かれ、対話を生むものでありたい。
そしてそれは、“当事者性”を持っていなければ特定のトピックについて話せないというプレッシャーから僕自身をも解放する方法でもあった。
僕はノンバイナリーで性暴力被害者でHIV陽性者。あらゆるマイノリティ性を抱えているが、僕がマジョリティになる環境やコミュニティもある。例えば、外国籍の友達や仕事仲間といるとき、僕は日本人の“見た目”をして、日本語を話し、日本国籍を持っている。この国で生きていくうえで、人種において差別や偏見を受けることもなければ、選挙権も持っているし、あらゆる手続きで不当な扱いをされることもない。それは僕がこの国で生きるうえでマジョリティであり、特権を持っていることを表す。この特権を持っている以上、僕は自分自身が誰かを「加害しない」なんて思うことはできないし、自身の持つ特権と加害性について向き合い、対話し、特権を権利へと変化させていきたい。そうすることが、現状苦しい思いをし、傷つく立場にある当事者を前線に立たせない方法だとも感じている。マイノリティとマジョリティという線引きは好きではないが、時には自分がマジョリティにもなり、特権と加害性を持ち合わせているということを常に意識し続けたい。当事者として話すことや、当事者性を持てなくても、特権を持つ者として話さなくてはいけないことがたくさんあるから。もちろん、当事者が話してくれるタイミングでかれらの言葉や想いに耳を傾け続けることも、僕らのしていかなくてはいけないことである。
すべての責任を負う覚悟で制作したい
ここで『IWAKAN』を退任しようと思った理由の一つをお話ししたい。『IWAKAN』では創刊号の制作途中で編集長やアートディレクターなどの役職付を撤廃した。編集部みんなが平等な関係のなかで雑誌作りをしていくことが重要だったし、誰か一人だけの意思が反映されてしまっては、多様な存在と声の集合体である『IWAKAN』は成り立たないから。実際に編集部のアイデンティティやセクシュアリティ、思想がバラバラだからこそ、一冊の雑誌の中に様々な視点や思い、ユーモアが詰め込まれた、良い意味で読みづらい雑誌が完成した。作り方としては、一つの企画において、誰をキュレーションし、紙面でどのように見せるか、企画の落とし所をどこに持ってくるかなどは担当編集が中心に決め、都度編集メンバー全員で確認をとりながら進めていた。しかし「その声や表現を尊重したいけど、特定のアイデンティティを持った人を批判し、排除しているように感じる」企画が進んでいるときに、この企画が『IWAKAN』として世にでることが怖いと感じることがあったのだ。僕が話しているのは、そうした企画が炎上し『IWAKAN』の信頼を落とすことが問題なのではなく、誰かを傷つけたり、連帯の輪から排除する可能性があるのではないかということ。しかし、その企画で伝えたいメッセージや、ユーモアを用いて皮肉に見せるというのも、『IWAKAN』が当初から行ってきた手法でもあるから、心から支持している。しかし編集長のいない雑誌において、責任の所在が不明になっていると感じていたのも事実だ。僕は自分が関わるものにおいては全責任を負いたいと思っているし、その覚悟のもと編集をしている。しかし、自分が担当していない企画において、僕が責任を取れる立場でもなければ、役職でもない。僕が編集者として大切にしていることを守れない状況は、『IWAKAN』、編集部、読者に対して不誠実だと感じ始めていた。だから僕は大好きな『IWAKAN』を大好きでいるために、自分の編集者像を貫くために、『IWAKAN』を退任することにした。これは僕自身が決めたことだし、『IWAKAN』の編集メンバー一人ひとりの編集者像や編集が持つ力に対する想いがあるだろうし、僕はそれらをリスペクトしている。だから今後の『IWAKAN』も一読者として心から楽しみである。
僕が大切にしたい編集者像のあり方を続けるためには、信頼できる編集長のいるメディアで働く、もしくは自分自身が編集長としてメディアを作り出すことが現状良いように思う。なかなかに働きにくい性格をしているなと思うけど、僕はこれからも自分の、そしてあなたの存在と声を届けるコンテンツを、雑誌を作っていきたいと思っている。『IWAKAN』がそうであるように。
僕は今号で『IWAKAN』を退任するが、素敵な方々や場所との出会いもあったし、序盤に話した、書店に置かれる意味ということを意識し続けた結果、今号は僕の地元にある小学生の頃から利用してた町の本屋さんにも置かれることになった。これは僕が『IWAKAN』に携わってきたなかで一番嬉しかった出来事。僕は本当にたくさんのことを体験させてもらったな。『IWAKAN』を通して出会った皆様、本当にありがとうございました。そして今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
追伸:またどこかで雑誌を作りたいなと思っているので、それまで自分の個人としての編集スキル、ライティングスキル、諸々アップデートしておく🔥それまではフリーランスとしてのお仕事依頼お待ちしております🌷
IWAKANホームページ https://iwakanmagazine.com/
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