【知らないでしょ】モーニング娘。はマジで沼③
私、最近マミーと電話したのですが、マミーが突然「アスパラガスが美味しい」と言い始め、私もアスパラガス食べたい!という気持ちになったんですね。
普段はご飯だけ炊いて、おかずはコンビニのレトルトとかで済ましていた私ですが、何故かアスパラへの執着心がやばくて、久しぶりにスーパーへ行きました。
スーパー着いたら、さすがにアスパラとマヨネーズだけ買うのもなぁ。と思いはじめ、アスパラの肉巻きにしよう☆とかいう思考になり、一人暮らし1年半にもなって初めて、みりんとか料理酒とか買ってみました。
初めて包丁なるものを取り出し料理をしてみたのですが、本当に美味しくて。私才能あるかも、と勘違いしてから早2週間。私は毎日自炊するという奇跡が起きています。
でもこの状況、スーパーにも中々行けないので作りたいものがあっても材料がなくて、毎日悶々としています。2週間前まで、コンビニウェイ!!!最高!自炊ってなに!?洗い物とか面倒くせーし!コンビニウェイ!!!という感情だったのですが、洗い物もきちんとできてるし、人間ってこうも変われるもんなんだなぁ。と感じております。
このやる気を転職活動にぶつけろよ。って思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私も思っているのでもう何も言わないでください。ぅちとのゃくそくだゾ☆
というわけで「モーニング娘。はマジで沼」シリーズも第3弾となりました。
このまま行ったらどこまで続くのか先が見えないのですが、たとえ見てくれる人がいなくても私は書き続けます。
よし、道重さゆみ後篇いっくよー!!!
【道重さゆみ 後篇】
皆さんが思っているよりも苦労人でモーニング娘。愛が満ち溢れていた道重は2012年、念願のリーダーに就任。当時、同期の田中を除くメンバーがほぼ小中学生ということもあり、その苦労は計り知れません。特に、後に紹介する10期の問題児、佐藤優樹という強烈なメンバーがいながらも多幸感溢れるグループにした道重はリーダーとして最高な人材だっと感じています。
道重がリーダーになってからのモーニング娘。は徐々に知名度を増していきます。
前回の記事でも説明しましたが、2013年には52枚目のシングル「Help me!!」でオリコンウィークリーチャート1位を獲得。その後も53枚目、54枚目、55枚目のシングルでも1位を獲得するなど、新しいモーニング娘。は順調にファンを増やしていくのでした。
53枚目のシングル発売後、同期である田中れいなが卒業。10年間苦楽を共にしてきた6期コンビ、また愚痴や文句を言える唯一のメンバーだった田中の卒業は、スキル的にも(田中は歌がめっちゃ上手い)メンタル的にも不安だったと思います。
ただ、そこから後輩メンバーの成長やメディアの露出(そんなに多くはないけど)もあり、再度モーニングはのし上がっていきます。
そんな中、道重は“卒業”を意識し始めます。
本人は2012年くらいから卒業を意識し始めたと語っており、2014年の春に秋のライブをもって卒業することを発表しました。
理由として「後輩たちが頼もしくなったから」と語っています。
確かに田中がいなくなってから、後輩メンバーはみるみる実力をつけていきました。
大量にあった田中パートは必然的に他のメンバーに引き継がれていったり、春と秋にある単独コンサートや夏と冬にあるハロ!ープロジェクトのコンサート(通称ハロコン)などを通して、パフォーマンス力を伸ばしていったのです。
そして、道重が卒業の時を迎えます。
会場は4年ぶりとなる横浜アリーナ。
道重は元々あまり足が強くなく、何度か足が攣ってしまうというアクシデントに見舞われながらも、笑顔を絶やさず(本当気付かなかったレベル)最後までやり遂げました。
このアクシデントがあり“譜久村ダッシュ”という名シーンも生まれたりと(また今度説明するぞ☆)モーニング娘。の対応力にも驚かされました。
ライブの終盤ではオーディションの課題曲、「さゆーじあ」ならぬ「赤いフリージア」を披露。
当時から道重を見守ってきたファンにとっては涙なしでは観れなかったのではないでしょうか。
あんなに下手で笑いものにされていたのに、道重独特の歌い方で観客を魅了させるなんて夢にも思っていませんでした。
ピンクのサイリウムだらけの会場にピンクの花柄衣装を纏わせて歌う姿は、神々しさすらあり、今までの努力や愛情がこの歌に表れていたと感じています。
そして、道重は大好きなモーニング娘。を卒業していきました。
その後のモーニング娘。は道重イズムを継承しながらも日々成長していくのでした。
【田中れいな】
田中れいなとは。おそらく世間の目からうつる彼女は「ヤンキー」や「気の強そうな女」という、あんまりいいイメージを持たれないメンバーだったと思います。まぁそのイメージは間違ってはいないんだけれど…。
2001年に初めてモーニング娘。のオーディションを受けるも、年齢が達しておらず断念。達していないのに受けようと思う精神がまさにクレイジーで最高だったりもします。そして2003年に道重、亀井と共に6期として加入。イメージカラーは水色。愛称は“れいな”、“たなさたん”など。
当時から見た目は相当ヤンキー。地元では“総長”と呼ばれていたこともあるほど、見た目、話し方(ゴリッゴリの博多弁)など、ただならぬヤンキー感を醸し出していました。
そんな田中の武器といえば、なんと言っても“歌”。
彼女の歌声はどの時代でもモーニング娘。を支えてくれました。
6期としての初シングルである「シャボン玉」
今でもフェスやコンサートで欠かせない楽曲ではありますが、この曲のセンターはまさかの田中という異例の抜擢。それほど田中に対する期待は大きかったのだと思います。
そこから、田中はハロプロ特有のデコ出し(おでこ全開の髪型にすること)を拒否し、いったん干されたと言われています。しかし、最初からセンターという経験をした彼女は、とにかく目立つためにダンスに注力をし始めるのです。
その努力もあってか、徐々にまた歌割りや立ち位置も主力ポジションへと戻り、基本的にメインボーカルとして最後まで活躍してきました。
そんな田中は、イメージ通り1匹狼の気質があると感じています。
後輩には基本自分からは関わらない。同期の道重のことも、最初は苦手だったとも話しています。
そんな田中が信頼を置いていたのは5期の高橋。一緒にメインボーカルを務めることも多かった高橋は、田中と切磋琢磨して共に成長してきたのだと思います。
高橋が卒業してからは、9期の鞘師と共にメインボーカルを担当。後輩と関わることをあまりしなかった田中ですが、そんな田中のフィールドにずかずか土足で踏み込んできた怖いもの知らずが登場します。
そう、10期のモンスター佐藤優樹。彼女の存在で後輩への接し方も変わってくるのです。
佐藤については後々ゆっくり説明しますが、とにかくすごい。相当なバカだと当時は思っていましたが、彼女は天才です。
田中のことを“たなさたん”と呼び、臆することなく田中に近づくことで、他のメンバーも徐々に田中と接するようになるのです。
そんな多幸感が現れ始めた2012年の終わり、田中は2013年の春公演で卒業することを発表しました。田中は、LoVendoЯという新しく結成されたバンドでボーカルとして活躍していくことも決まっていたため(2019年活動休止)、今後の活躍を期待されながら卒業していったのでした。
ということで、今回は道重後篇、田中について語ってきました。
次回より9期10期について、カラフル期の続きについて語っていこうと思います。
よしっ!今から自炊するぞー!!