Photo by biwars1111 和歌の哲学 2 Kei 2022年8月14日 13:05 備忘録です。ちょっとずつ更新していきます。紀貫之 古今和歌集/仮名序よりやまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴くうぐひす、水に棲むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、たけき武士の心をもなぐさむるは歌なり。紀貫之 土佐日記/二月九日よりかうやうの事も歌も、好むとてあるにもあらざるべし。唐にもここも、思ふことに耐へぬときのわざとか。藤原公任 新撰髄脳/導入部凡そ歌は心深く姿清げにて心にをかしき所あるを優れたりと言ふべし。こと多くそへくさりてやと見たるがいとわろきなり。一筋にすくよかになむ詠むべき。心姿あひ具することかたくば先づ心をとるべし。遂に心深からずは姿をいたはるべし。その形といふは打ち聞き清げに、故ありて歌と聞こえ、文字はめづらしく添へなどしたるなり。ともに得ずなりなば、古の人多く本に歌枕をおきて末に思ふ心をあらはす。藤原公任 和歌九品/上品上詞妙にして余りの心さへあるなり。紫式部 源氏物語・帚木/「〔一五〕翌日、方違えの夜、源氏、空蝉と契る」より月は有明にて光をさまれるものから、影さやかに見えて、なかなかをかしきあけぼのなり。何ごころなき空のけしきも、ただ見る人から、艶にもすごくも見ゆるなりけり。藤原通俊 後拾遺和歌集・序(万葉集、古今集、後撰集、拾遺集の)四つの集は、言葉縫物ぬもののごとくにて、心、海よりも深し。源俊頼 俊頼髄脳/〔八〕「秀歌等の例」よりおほかた、歌の良しといふは、心をさきとして、珍しき節をもとめ、詞をかざり詠むべきなり。心あれど、詞かざらねば、歌おもてめでたしとも聞えず。詞かざりたれど、させる節なければ、良しとも聞えず。めでたき節あれども、優なる心ことばなければ、また、わろし。気高く遠白きを、ひとつのこととすべし。これらを具したらむ歌をば、世の末には、おぼろげの人は、思ひかくべからず。藤原俊成 古来風体抄/〔二〕歌と天台止観この歌の善き、悪しき、深き心を知らむことも、ことばを以て述べ難きを、これによそへてぞ同じく思ひやるべき事なりける。 同/〔三〕歌の理想歌はただ詠み上げもし、詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞ゆる事のあるなるべし。もとより詠歌といひて、声につきて善くも悪しくも聞こゆるものなり。同 慈鎮和尚自歌合/跋おほかた歌は、必ずしもをかしき由を言ひ、事の理を言ひ切らむとせざれども、もとより詠歌と言ひて、ただ詠み上げたるんも、うち詠じたるにも、何となく艶にも、幽玄にもきこゆることの有るべし。よき歌になりぬれば、其の詞姿のほかに、景気のそひたるやうなることあるにや。藤原定家 近代秀歌/〔四〕作歌の原理と方法詞は古きを慕ひ、心は新しきを求め、及ばぬ高き姿を願ひて、寛平以往の歌に習はば、自ずからよろしきこともなどか侍らざらむ。京極為兼世阿弥松尾芭蕉 笈の小文見る所花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像かたち花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。本居宣長正岡子規有馬朗人ヘルマン・ファンロンパイ ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #和歌 #歌論 2