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【玉葉集】26 見えない横雲
今朝の空は爽やかに晴れて、真ん中に一筋の淡い雲が走っていました。
今日もゴミ捨てに付いてきてくれた娘を抱き上げて一緒に空を見上げます。
「綺麗だね」
「むふう」
「なにしてるの?」
「ひゃっこいの」
娘はどうやら寒いようです。それもそのはず、肌着とワンピースしか着ていません。そのまま娘はむふむふ呟きながらほっぺたを僕の肩に載っけます。
「月が出てるよ」
話しかけても今度は反応もしません。足を僕の脇の下に潜り込ませて、両手を首に回して、可能な限り密着しています。
僕は娘を左手で抱っこして、ゴミ袋を右手にぶら下げて歩きます。多分、今を終えたら二度と経験できない距離感で、娘と二人きりの朝の散歩を楽しみます。
☆ ☆ ☆
百首歌よみ侍りける中に、霞を
夜をこめて霞待ち取る山の端に
横雲知らで明くる空かな
「待ち取る」「横雲知らで」あたりに力が入っている気がします。
とはいえ造語というわけではありません。「待ち取る」は王朝物語にいくつも用例があります。そして「横雲」は、公経にとっては妻の姉妹の夫にあたる藤原定家が詠んだ
春の夜の夢の浮橋とだえして
峰に別るる横雲の空
を意識していると言います(明治書院『玉葉和歌集(上)』補注)。
きっとそうなのでしょう。
源氏物語の幻想から覚めたような、覚め切れていないような淡い世界を象徴する横雲。そんな定家の横雲は、もはや花や紅葉と同じく、見えないことすら詩情を生む存在感を手に入れてしまったのでしょう。
幻想を知らぬ公経の夜明けの空には、なんだか寂しさが漂っているようにも思います。
夜が明けないうちから
霞を待ち受ける
山の端。
そこに浮かぶはずの横雲も知らず、
明けていく空だね。