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【玉葉集】春歌1
今日に明けて
昨日に似ぬは
みな人の
心に春の
立ちにけらしも
(玉葉集・春歌上・1・紀貫之)
今日という日に年が明けて
昨日の大晦日とは同じ様に見えないのは
世の人全ての
心に春が
やってきたのだろうよ
詞書には「春立つ日よめる」とあります。「春立つ日」は立春のことです。二十四節気の最初で春の始まる日になります。
伏見院に仕事を任された京極為兼が選んだ一首目は立春の歌でした。詠み手は『古今集』の大歌人・紀貫之です。
勅撰集の巻頭歌には立春の歌を載せるのが伝統です。では立春の歌とはどのようなものであったでしょうか。
三代集時代に編まれた『古今和歌六帖』の最初の項は「春立つ日」でした。そこに並ぶ歌を見てみます。
①年のうちに春は来にけり一年を
去年とやいはん今年とやいはん
(在原元方)
②袖ひちてむすびし水の凍れるを
春立つ今日の風や解くらん
(紀貫之)
③年のうちに春立つことを春日野の
若菜さへにも知りにけるかな
(紀貫之)
④春立つといふばかりにやみ吉野の
山も霞みて今朝は見ゆらん
(壬生忠岑)
⑤山風に解くる氷のひまごとに
うち出づる浪や春の初花
(源当純)
①は12月中に立春の日が到来したことを歌います。暦と節気の不一致に驚く歌でした。
②から⑤は立春の日の景を歌います。節気の到来に和する風物に天の祝意を見出しています。
これらの歌と『玉葉和歌集』の巻頭歌を比べてみましょう。するとこの歌では貫之の注目が自然の景物ではなく「みな人の心」に向けられていることに気づくでしょう。
『歌苑連署事書』という書があります。京極派の和歌を批判する二条派が書いたもののようです。『玉葉和歌集』を非難する論がまとめられています。その2つ目の非難がこの巻頭歌についてでした。以下に非難点を現代語の箇条書きにしてみます。
1,少し言葉が変だ。
2,貫之らしくない。
3,巻頭歌の器ではない。
4,「こころにたたむ春」という表現は卑小だ。
5,貫之ほどの大歌人の歌をこれまでの勅撰集で巻頭歌に選ばなかった。それは貫之の歌に巻頭歌にふさわしい歌が無かったからだ。
1~3などは「悪口かい?」とでも言いたくなります。しかし4や5の指摘はちょっと面白いと思います。確かにこれまでの勅撰集選者たちも『貫之集』を見ていないわけがないですもんね。
京極為兼はそれでもこの歌を選びました。立春に自然の風物ではなく人の心を詠む歌を選び巻頭に置いたのです。天の祝意ではなく人の喜びを尊んだのです。
為兼は『為兼卿和歌抄』に
花にても月にても、夜の明け日の暮るる気色にても、事に向きてはその事になりかへり、そのまことをあらはし、其のありさまをおもひとめ、それにむきて我が心の働くやうをも、心に深くあづけて、心に詞を詠まするに、興あり面白き事、色をのみそふるは、心をやるばかりなるは、人のいろあながちににくむべきにもあらぬ事なり。
花であっても月であっても、夜が明け日が暮れる様子であっても、何か歌の題材と向き合う時にはその題材になりきって、その題材の真実を表現し、その題材の有り様を心に留め、その題材に向かって自らの心が揺れ動くその仕方も、心に深く任せ、心に歌の言葉を詠ませると、趣があり素晴らしいこと・風情ばかりを添わせるのは、そしてひたすら憂いを晴らすのは、人の情というものが必ずしも厭わしく思うべきでもないということなのだ。
と言います。為兼は人の心というものの危うさを知りつつもその働きの善性を深く信じていたのです。
今回の歌はその為兼が撰ぶ勅撰集の最初の一首です。
並々ならぬ「人の心」の歌なのだと思います。