大伴のおうち1⃣ 大伴御行
壬申の乱あと、活躍したザ!大伴氏は家持のおじいちゃんの兄弟・御行でした。
御行はあの竹取物語にも登場しています!
「大伴御行大納言」 かぐや姫に「龍の首にある玉」を取ってこい!と言われ、最初は家臣たちに探しにいかせます。(自分で行けや)
でも見つからないし、探せないから誰も復命できない。
家臣を待ってる間、かぐや姫のための御殿を作り、飾り付けしたりしてウキウキ。
でもいくら待っても家臣が帰ってこない! しょうがないので、自ら出かけて行き、さんざんな目にあいます。
挙げ句の果てに、家に戻ったら、元妻に「せっかく飾りつけた御殿の飾り物を鳥なんかが持っていったわよと、超爆笑される…というおまけつき。
まあ、さんざんなんですけど、それだけ当時は名前の知れた著名人だったのでしょうか。
御行はこんな歌を残しています。
壬申の乱を平定してのちの歌二首 大君は 神にしいませば 赤駒の 腹這ふ田居を 都となしつ
『万葉集』
「大君は神にし坐せば」とは、天皇の偉大さを強調。
人間にはできない、だってて天皇は神だから、と言っているのです。
馬の脚が沈み込むような深い田んぼを整備して、都をお作りになった!というのです。実際のところ、本当に田んぼ→都になったわけではなく、それくらいすごいことをしたと褒めてる。
「大君は神にし坐せば」とは、天皇の偉大さを強調。
人間にはできない、だってて天皇は神だから、と言っているのです。 馬の脚が沈み込むような深い田んぼを整備して、都をお作りになった!というのです。
実際のところ、本当に田んぼ→都になったわけではなく、それくらいすごいことをしたと褒めてる。
ところで現代は、第二次大戦が集結してから、戦後78年の節目ですね。
おそらく、80年の節目の時は大きな回顧特集など組まれるでしょう。
それと同じことが古代にもあったと考えられるのです。
そしてこの752年といえば、奈良の大仏さんが完成して開眼供養会が開かれた年です。
聖武天皇の跡継ぎは、娘の阿部皇女が女性皇太子となっていましたが女子であることから、政治的に不安定であるとして謀反の計画が水面下で進んでもいました。
そういった不穏な空気を感じる瞬間もあったかもしれず、天武天皇&持統天皇の嫡流である草壁皇子の末裔が政治を司ることを再認識するような歌を出そう!的な天皇の要請があったのかもしれません。
ちなみに、この歌を掘り起こして万葉集に加えたのは大伴家持だろうと思われます。
時代の要請に答えつつ、大伴一族アピも忘れない… 大伴家持デキる!