お客様にも色々といる。 人間的に合う人・合わない人。 好きな人には自ずと笑顔になってしまう。 だけど、第一印象だけではなく、ものすごくいい人がいる。 その人を逃さないようにしていきたい。 一緒に珈琲を飲んでいても、心落ち着く方が居る 私はその方を素晴らしい人徳のある方だと思う。 私も他の人にそのように接する事のできる人間になりたい。 60歳を過ぎると「残りの人生」と云う考えが出てくる。 死に向かっているのを感じる。 私が生きている間に何を残せるだろう。誰を救えるだろう。
俺は誰の為に働いているのだろう? 妻の為、家族の為、自分のプライドの為、見栄の為・・・・ たまに考えるときがある。 今日たまたまだが、妻の母(俺からしたら義母で妻からしたら毒親の位置にいる)俺から家を訪ねて、義母とあった。カレンダーを渡しした。 義母は喜んでくれ、義母から俺に妻(義母からしたら娘)を支えている事に深く感謝された。 妻は寝ているので知らない。 俺は義母と話をしていてフッと思った。 俺は独立して社長と言われながら仕事するのが「好きなんだ」 大した社長では無いが
最近妻の様子に変化が現れた。 私がサラリーマン時代には、希死願望のある妻を家に一人でおいておけないと考えていた私は、営業という仕事を逆に利用して、泊りの出張は一切行かなかった。 今回は、シニア起業した私は、商売として避けられない出張があり、2回泊りの出張をした。 すると妻に変化が現れた事に気がついた。 妻は、俺の居ない時間が嬉しかったようだ。 私はこの変化を良い変化だと思っている。 この変化の先にどんな事が待っているのか?様々な想像はできるが、それはあくまでも想像である。
起業時に色々と相談していた10歳上の先輩がいた 彼は一流企業に勤めていた。英語もペラペラだった。 しかし、彼の家庭の事情で一流企業退社後に当時私の勤めていた会社に、私が上司に紹介して一緒の事務所で働いた事もあった先輩だった 近況報告と思い、LINEしたがすぐに既読にならなかった。 去年ガンで手術したとは聞いていたから入院でもしてるのかなぁ?と思っていた。 しかし、LINEの返事が来た! 内容は先輩の奥さんから「6月に命を全うして天国に旅立った」との内容だった。 何か返
私は妻の夫。解離性人格障害の妻の唯一味方です。 だから、妻寄りの目線での話になる 妻の母親は「毒親」です。 妻が長女であった事と、妻の母親(俺からすると義母)も不幸にみまわれた人生であった事は間違いない。 若干義母が問題ごとを呼び寄せる事もある。 少なからず、私も結婚してからは、関係ない事で振り回された経験はある。 妻はその「毒親」を憎む心もあれば・・・・ 「おかぁちゃん!」と慕う心も有り、葛藤していた。 妻に私なりの助言をした。 親子なのだから、色々な思いを母親にぶつけ
運を持ってる人と話をすると凄く心が救われるように感じる。 こういう方に逢えた事に喜びを感じる。 還暦を迎えた私だけど、まだまだ人生経験不足です。 もっと謙虚になって、感謝の気持ちを持ちながら生きて行きたいと思う。 運を持っている人は自然と周りに「幸運」のかけらを振りまいているように思います。 その逆で、運の無い人は、他人の運をブラックホールのように吸い取って行くように思う。 その違いは、私が思うに、「言霊」 その人が 口にする言葉だと思う。 ゴルゴ松本さんのYoutub
サラリーマン時代に俺は良く勿体ぶって「あの会社から誘いがあった」とか「お金出すから独立しないか」と誘われたとか云って自己満足しながら、現状に不満を感じていた。 なんとかその状況を変えたいと云う思いから「30年勤めた会社を退社する」ことから始めた。そのきっかけになるのが実はKREVAの「かも」という唄です。ラップです。 グチグチ云っている自分を振るい立たせてくれました。 KREVAの「かも」です。 この詩の内容は凄く的を射てます。中でも次のフレーズです。 ♪「本当の俺はこん
実は私の妻は「人格障害」という病気で有り、それにプラス鬱状態の時もある。鬱状態の時は取りあえず寝たいと云う気持ちが強いようだ。 (多分現実逃避をしたいのだろうと思う) 妻の病気に気がついたのはもう16年前になる。 いきなりの「パニック症状」が発生し、逃げ回る妻が目の前にいた。 俺は戸惑い何がどうなっているのか判らなかった。 後で判ってくるのであるが、「PTSD症状」だった。 妻は実の父親から色々な虐待の上、母親からは「毒親」による精神的な虐待を継続的に受けていた。結婚後に
「運が良い」と云う言葉はすごく大事だと感じた。 日本には「言霊(ことだま)」と云う言葉がある。 私が自分自身「運が良い!!」と思う。 最初個人事業主で開業した時に、訪問しても会ってくれない、会社を離れると180度変える人が多く居た。これは「当たり前」の事なのだと気づいた。最初は悔しく・悔しくて、50歳半ば過ぎでありながら、一人で泣いた夜も幾日もあった。 特に色々と助けてきたりした人が急変するように感じた。でも、それは色々と教えてくれているのかも知れない。 逆に、応援して
それは突然の訃報だった! 彼(俺の友人)の奥さんからの電話だった。 「彼が死んだ」と・・・・ くも膜下出血だったらしい。 彼の奥さんと彼とは学生時代のハンバーガーショップで一緒にアルバイトしていた。 亡くなる前 彼(俺の友人)が「あいつ(俺)はどうしてるだろう?」とよく云っていたらしい。 彼は生き方が、不器用な性格だったかも知れない。 彼と会ったのは10年以上前だった。ハンバーガーショップの客席でお互いの近況と伝えたに過ぎなかった。 また、ゆっくり飲みに行こうと云って別れ
サラリーマン時代でも私は割と自由にしていた方だと思います。 ただ、会社の経営陣が変わってからは色々と束縛が増えてきました。 それも勤め人ならば仕方の無い事だと思っていました。 私は33歳の時に50歳のお客様から、同じ年と間違われる位老けていました。でも、独立して最近は年齢より若干ですが若く見られます。 私の人生でこんな事は初めてでビックリしています。 老人シミも出てきてそれなりに老けてきているのですが・・・ 良い事なのかなぁ!!と思っています。 妻からも「マスクが似合う」と
56歳で30年勤めた会社を退職。昔でよく云う「脱サラ」です。 フリーランスとして3年やってきました。最初は一人でサラリーマン時代の知人に自分の思いを伝えながら、「営業代行(お手伝い)」をPRしながら活動してきました。 私の思いはひとつです。「50歳代からの人生リスタート」です。 これを実践で経験しながら、それを伝えて行きたい。と思い続けています。 3年経った今、仲間も5名増えました。皆さんフリーランスで一緒に仕事してます。そこで私は次のステップ「法人化」をします。 4年前立