永遠の緑
悠加の好きだったもの。それは、お母さんがもぎとってくれた緑色に輝く……
「ありゃ?」
気がつくと悠加は知らない町にいた。
どこをどう迷い込んだ、という感覚はない。強いて言うなら、突然、異邦に投げ込まれた。そんな感じだった。
「ここ、どこだ?」
ここは住み慣れた前羽根市の町並みとは違う、どことなく懐かしいニオイのする町だった。懐かしいといっても、海の向こうの懐かしいあのアリゾナの田舎町とは似ても似つかない和風の町並みだ。和風なのに、どことなく異国情緒の漂う、不思議な感じのする場所だった。
悠加は、何故、自分がこんなところにいるのかを考えた。
確か、前羽根学園からの下校途中だったはずだ。
いつものように校門を出て右に曲がり、いつもの坂を下って天羽護国神社に向かって歩いていた。そのはずなのに……
そうだ。
悠加は思い出した。
「小鬼だ……」
帰宅途中の小路で小鬼を見たのだ。幽霊のように希薄な存在だったが、それは間違いなく小鬼だった。見間違いではない。
天羽悠加は、表向きは私立前羽根学園に通う普通の生徒として暮らしている。頭脳明晰というわけではないが、まあそれなり成績をおさめており、教師たちのウケも悪くない。
ちょっと押しが強く手が早いところもあるけれど、サバサバした明るい性格のため、友達も多い。目立つ生徒ではあったが、それでも周囲からは「普通の子」という印象で見られていた。
他の生徒と比べて変わっている点をあげるとするなら、帰国子女であるということと、自宅でもある天羽護国神社で姉と共に神職補佐のアルバイト(つまりはバイト巫女)にいそしんでいるということの二点くらいだった。
そんな悠加だったが、実は彼女とその姉には裏の顔がある。
ひとたび怪異現象による被害が起きれば、一目散に現場へ駆けつけ、被害の原因となる妖怪をたちどころに退治する。
彼女の姉は霊力の込められた神剣で妖怪と戦い、悠加は体術と祓詞を駆使して妖怪と戦う。悠加たち姉妹は、自分たちのことを「妖怪ハンター」と呼んでいた。
人とはちょっと違う特殊な能力を持っている悠加は、普通の人間には見えないいろいろなものが見えることがままある。
だから、別に小鬼が見えたところで怖がったりするということはない。しかし、街中で小鬼に会うなんて、めったにあることではなかったから、悠加はちょっとだけ驚いた。
人に害をなすような妖怪相手なら即座に退治しようと考える悠加だったが、どうやら相手にはそんなそぶりもない。ただ、興味深げに塀の影から悠加を見ているだけだったので、彼女は拍子抜けしてしまっていた。
「あんた……、何でそんなとこでこっち見てんの?」
悠加が声をかけると、小鬼はビクっと身をすくめる。
「ん?」
悠加が不思議に思っていると、小鬼は突然、走って逃げていってしまった。
「ちょっと待って!」
慌てた悠加は、とりあえず小鬼を追いかけることにした。
しかし、小鬼の素早さは尋常でないほど速かった。学内でも脚の速さには定評のある悠加だったが、一向に追いつく様子はない。
しかも、小鬼はいちいち悠加の方を振り返りながら走っていた。悠加との差が開くと走るスピードを緩め、差が詰まると再びスピードを上げる。
まるで悠加に「ついてこい」と言わんばかりだ。ちらちら、ちらちらと振り返る小鬼に、悠加はだんだんイライラしてきていた。
「待ちなさいってば、コノォ!」
そして、小鬼が入り込んだ茂みに悠加が飛び込んだ瞬間、すっと体重がなくなったような気がした。そして、落下するような感覚に襲われて、悠加はそのまま気を失ってしまった。
どのくらい気を失っていたのかはわからないが、気がついたら悠加はこの奇妙な町にいたというわけだ。
「さてと……どうしよう……?」
邪気を吸収して「変化」になってしまった狸か何かに化かされたのかも知れない。とりあえず、悠加は、この得体の知れない町から脱出しなければいけないと考えた。
しかし、どちらへ進んだらいいのか皆目見当もつかない。
しばらく悩んでいると、急に道沿いに立っていた石灯籠が、街灯のようにいくつも灯った。
まるで、「灯籠に沿って進め」と何者かが言っているようだった。
そのまま進んでいいものかどうか迷ったが、悩んでいてもしょうがないので、悠加は石灯籠のリードするままに進むことにした。
悠加がしばらく道沿いに歩いていくと、突き当たりに大きな屋敷にたどり着いた。そこは、時代劇に出てくるような武家屋敷のような大きな建物だった。
「へ~、立派な屋敷だなぁ~。ん?」
悠加が感心して屋敷を眺めていると、門の前に小さな子供が立っているのがわかった。屋敷の召し使いだろうか?
「いらっしゃいま~せ~」
子供は、丁寧に悠加に頭を下げる。
悠加は、お稚児の姿で目の前に立っている子供が、先程の小鬼だと理解した。
「こちらへどうぞ~、ご主人様が~お待ちしておりま~す~」
お稚児はそう呟くと、たどたどしくお辞儀をした。悠加に屋敷の中へ入れと言っているつもりなのだろう。
状況が理解できていななかったのだが、悠加は子供について行くことに決めた。こういうとき、悠加はあまり深く考えずに直感で行動する。
屋敷の中へ入っても安全だと、彼女自身の直感が告げていたのだろう。
悠加は、子供の案内で屋敷の奥の間へとやって来ていた。
「お客様を~お連れしました~」
「うむ、入ってもらえ」
部屋の中から迫力のある声が響いた。
「では~、どうぞ~」
子供に促されるまま、悠加は奥の間へと入っていった。
奥の間には、時代錯誤の武家のような格好をした男が待っていた。そんなに大きな身体でもないのに、ものすごい迫力を感じる。
悠加は直感的に、彼が人間ではないことを理解した。
雰囲気に呑まれてはいけない。悠加は本能的にそう感じた。
「よく来てくれたな。天羽悠加」
男はよく通る声で悠加に話し掛けてきた。
「へえ、私の名前、知ってるんだ」
「まあな。この世に起きる大抵のことは知っている」
大袈裟な妖怪だ、と悠加は思った。
「あんた誰? 妖怪なんでしょ?」
しかし、男は首を振る。
「いや、妖怪ではない」
「でも、こんなに強い邪気を感じるんだよ。こんなに強い邪気を持っているのは……天狗、とか?」
男は再び首を振った。
「天狗でもない。……まあ、強いて言うなら魔王の類だ」
「ま、魔王!?」
突拍子もないことを言うヤツだ、と悠加は思った。そもそも、天狗や魔王が妖怪というカテゴリに含まれるのかそうでないのか、悠加にはわからない。そんなことはどうでもいいような気がした。
その時、悠加は不意に思い出した名前があった。思い切って男に聞いてみる。
「……ひょっとして、あんた、カンナガラナムアモン……ってやつ?」
カンナガラナムアモンというのは、悠加の家に代々伝わる「天羽文書」という古伝に記された神の名前である。悠加の祖母は邪悪な神の名だと言っていたが、その神がどういうふうに邪悪なのか、詳しいことは彼女自身も知らない。
「恐れ多い名前を知っているな、娘……」
「違うの?」
「うむ、違う。安心しろ。そんな大そうなものではない。以後、その名を軽々しく口にするな」
悠加は唇をとがらせた。
「じゃあ、何? もったいぶってないで、名前くらい名乗ったらどうなの!?」
「私の名前は、そうだな……。では、山本五郎左衛門とでも名乗っておこうか」
「変な名前……」
「聞いたことないか?」
「うん、ぜ~んぜん」
悠加が言い放つと、五郎左衛門と名乗った男は豪快に笑った。
「笑わないでよ! もう」
「いや、すまんすまん」
「で、何で私をここに連れてきたの?」
「そうだった、そうだった」
五郎左衛門は、姿勢を正して、悠加を見据えた。急に目つきが鋭くなる。悠加は、五郎左衛門の迫力に呑み込まれないよう、精神を集中した。
「天羽悠加よ、お前は術で魑魅魍魎、妖怪の類を使役しているな?」
「う、うん、まあ……。でも、たまに……だよ。そんなに多くの種類の妖怪を使えるわけじゃないし……」
「それはそうだ。今までのお前は仮免許みたいなものだったからな」
「か、仮免? そうなの?」
五郎左衛門はうなずく。
「だから、お前には、卒業検定を受けてもらう」
「そ、そつけん~? どういうこと?」
「これから私が物の怪どもの頭領として、お前を試す。合格すれば、今までよりもっと巧みに妖怪を使役できるようになるだろう」
「ホント?」
それは魅力的な提案だと彼女は思った。
祖母に言わせれば、悠加は、並外れた霊力と素質とを持っているらしい。しかし、まだ完全に自分の能力を活かせているわけでない、とも言っていた。特に妖怪などの魔物を使役する術を、悠加は苦手としていた。
ここで五郎左衛門の言う試験をパスできるなら、悠加の術者としてのレベルは格段にあがるというわけだ。願ってもいないチャンスだった。
しかし、心配なことがある。
「……合格、できなかったら?」
五郎左衛門はニヤリと笑った。
「合格できるまで、この町から出られないと思っていいぞ」
それは勘弁して欲しいと思いながらも、悠加は聞いた。自分の能力を活かしきれていないといっても、巫術や体術の試験なら合格する自身があった。
「で、私は何をすればいいわけ? あんたと戦うの?」
「そんな物騒なことはしない」
「じゃあ、術の威力を見てみる? それとも早口祝詞?」
「いや」
五郎左衛門はかぶりを振った。
「お前の術者としての能力も素質もすでにわかっている。体術も及第点だ」
「じゃあ、何をすればいいの?」
「お前の得意なものを見せてくれ」
「私の得意な……もの?」
五郎左衛門はゆっくりと頷いて、身を乗り出した。
「ああ、巫術や体術以外での得意なものだ。お前の得意なものは何だ?」
「そうだなぁ……」
悠加はちょっと考えて、それから答えた。
「料理……かな?」
数時間後。
山本五郎左衛門の前には、悠加が調理した和食の皿が所狭しと並べられていた。
「……懲りないな」
「今度こそ、合格って言わせてみせるからね!」
「困ったものだ……。これで何回目だと思っているのだ?」
「いいから、食べなさいよ!」
五郎左衛門はやれやれといった調子で肩をすくめると、十一回目の料理を口に運んだ。
五郎左衛門が悠加に出した課題は「悠加が最も美味しいと思う料理を作ること」だった。
自称「魔王」の屋敷の厨房は悠加に解放されることになったので、悠加は小鬼の案内で調理場へ向かった。
調理道具は使いやすそうなものばかりだったし、どんな食材も、リクエストすれば、たちどころにとびきり上等な素材が用意されたので、悠加はいい気分で料理をすることができた。
(へへ。こりゃ、楽勝だね♪)
一見、がさつで家事全般から縁遠そうな印象で見られがちな悠加だが、料理が得意だという家庭的な面も持ち合わせている。自宅の食事もすべて悠加が用意しているのだ。クラスメイトにはよく「おっとりとしたお姉さんの方が、料理が得意そうに見えるのにね」などと言われるのだが、彼女の姉は料理はからきしである。
どんな料理でも一通り得意な悠加だったが、最も得意なのは和食だった。実家が神社などという純和風な生活をしているから、というわけではなく、単に彼女の姉が和食を好むので和食を作る機会が多いから、というのが理由である(彼女の祖母は外見に反して、イタリアンを好むのだが、あまりリクエストを聞いてもらえないようだ)。
見たところ山本五郎左衛門と名乗る男も、見るからに和食が好きそうななりをしているので、悠加は日本料理で攻めることにしたというわけだ。
悠加が得意げに差し出すと料理を差し出すと、五郎左衛門は箸を取り、無言で悠加の作った料理を食べ始めた。
「ほう、美味いな」
「でしょ?」
あまりに美味しかったのか、五郎左衛門は目にもとまらないほどのスピードで、床の作った料理をたいらげてしまった。
「ごちそうさま」
「どう?」
しかし、五郎左衛門は静かに首を振ったのだ。
「残念だが、不合格だ」
「え? どうしてよ……」
「理由を言うことはできないな。これは試験なのだから」
「ぐ、わかった。作り直すから待ってなさいよ!」
そんなやりとりが、もう十回も繰り返されている。悠加の我慢も限界に近づいていた。
そして、五郎左衛門は、十一回目の食事をやはりあっという間に終え、箸を置いた。
「こ、今度はどう?」
「駄目だ……」
「そんな……何がいけないっていうの? 私の料理はそんなに不味い?」
「いや、美味いぞ。こんなに美味い料理を食べたのは何百年ぶりか……」
「じゃあ、何で駄目なのよぅ! わけわかんないよ!」
気の強い悠加も、さすがに泣きそうな気分になっていた。
「それを言ってしまっては、試験にならんだろう? 大丈夫だ、私は千杯食べても満腹になったりはしないから、何度でも挑戦してくれ」
「ぐぐぐ……」
悠加は、肩を落としてとぼとぼと調理場へ戻った。
調理場で悠加は、考え込む。
道具も最高、素材も最高のものが用意されている。味だって抜群のはずだ。
なのに何がいけないというのか?
五郎左衛門は「悠加が最も美味しいと思う料理を作ること」と言った。その言葉に偽りないくらい美味しい料理を作ったと思うのだが、何度作っても彼は不合格だと言う。
ん?
まてよ?
悠加は、もう一度、五郎左衛門の言葉を思い出す。「悠加が最も美味しいと思う料理を作ること」。
ん?
「私が、一番、美味しいと思うもの?」
私が?
そうか。そういうことだったんだ。
悠加は、顔をあげるととびきりの笑顔で小鬼を呼び出した。
「新しい食材を用意して。エバーグリーンと、塩こしょう、それからトウモロコシ粉とベーコンの脂!」
小鬼は小首をかしげる。
「何やってるの? 早くして!」
「……えばーぐりーんって~?」
「緑トマトだよ。早く!」
小鬼は、悠加の迫力に驚いて一目散に駆け出した。
小鬼が素材を用意すると、悠加はトマトを大雑把に切り始めた。
悠加がまだ合衆国にいた頃、料理が得意だった母親に習った料理である。
「そうだよ。私が大好きだった料理。まだ小さかった頃、お母さんに無理言って、一番最初に習った料理。私、大好きだった。すっごく美味しかった。忘れてたよ!」
厚く切ったトマトに、トウモロコシ粉をまぶし、大きなフライパンで揚げる。
とても美味しそうで、とても懐かしいニオイが調理場を包み込んだ。
「…………あれ?」
気がつくと悠加は天羽護国神社の境内にいた。
「あれれ?」
さっきまで、五郎左衛門の屋敷にいたはずなのに。どうしたんだろう?
まさか、今までの出来事は夢だったのだろうか。それにしてはリアルな夢だった。
悠加は、あわてて所持品をチェックした。
「ん?」
鞄の中には、悠加が今まで見たこともないような御札が数枚入っていた。物の怪を召喚するためのお札だった。おそらく、山本五郎左衛門が悠加に与えてくれたのだろう。やはり、あの出来事は夢ではなかったんだ。
「あれ?」
悠加は、鞄に入っていたお札のうちの最後の一枚に書かれた文字が、他のお札とちょっと違うことに気付いた。
「なんだこれ?」
悠加がそのお札を取り出してみると、そこには達筆な文字で一言だけ書かれていた。
「ごちそうさまでした?」
悠加は、そのお札を破り捨てようかとも思ったが、「ふう」と軽くため息をつくと、思いなおして鞄の一番底へとしまった。