
火足の手纏・水極の手纏
黄昏時。
場所は前羽根郊外の雑木林。
空は素晴らしいまでの夕焼けだったが、すでにあたりは薄暗くなりはじめていた。
今、周囲の茂みから少女に迫り来る妖怪は三匹。
どれも小さな邪気が小動物を取り込んで変化しただけの存在だった。
まだまだ修行中の未熟者とはいえ、それらは彼女にとって大した相手ではないといってさしつかえないだろう。
(私の敵じゃないや。今日は楽な仕事だなぁ。一人で来て正解だったよ)
そう判断した天羽悠加は、構えをといて呼吸を切り替えた。
そして、意識を集中して拍手を打つ。彼女は、すぅと息を吸うと、身体中にみなぎる息吹を言霊に乗せた。
「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の……」
しかし、彼女の祓詞が完成するよりも早く、三匹の妖怪は悠加に襲い掛かってきた。
「わわ!」
悠加は、あわてて身をひるがえす。
咄嗟のステップで妖怪の攻撃を避け、彼女は軽く舌を出して「エヘ」と笑った。
「ちぇっ、やっぱり間に合わなかったか……」
術をつかうことをあきらめた悠加は、再び格闘家のように構えた。
そして、呼吸を切り替え、再び息吹を身体中にみなぎらせる。
途端に彼女の感覚は研ぎ澄まされ、周囲の気配を察知しはじめる。
今、悠加には、茂みの中から彼女を狙う三つの邪気の位置が手にとるようにわかった。
「来い!」
悠加の声を合図に、三匹の妖怪は一斉に彼女に襲い掛かった。
「は!」
一匹。
「たぁ!」
二匹。
「いえーーーー!」
三匹。
流れるような、それでいて直線的な鋭さをもって拳を繰り出し、確実に妖怪たちを倒していく。
悠加が動くたびに、巫女装束──動きやすいようにと彼女自身が戦闘用に改良したものだ──がひらひらと宙を泳ぎ、美しい曲線を描きだす。
三匹の妖怪が地に伏したのを確認すると、彼女はいつものように得意げな笑みを浮かべ決めの台詞を叫んだ。
「成敗!」
天羽悠加は、前羽根市にある前羽根第三中学校に通う中学三年生の女の子である。
もともとは姉と一緒に両親の都合で海外に住んでいたのだが、中学一年の夏休み頃、日本へとやって来たいわゆる帰国子女だった。
日本へ来て二年。最初は生活スタイルの違いに戸惑ったものの、元来、活発で順応性の高い悠加は、何の苦もなく日本での生活に溶け込んでいった。畳の上での暮らしにもすっかり慣れたし、クラスの友人たちとも仲良くやっている。
何も問題はなかった。ただひとつ、勉強を除いては。
海外の学校にいたころは意欲的に勉強にはげみ、姉と同じ学年まで追いついていた悠加だったが、日本での堅苦しい勉強方法についていけず、帰国早々、授業についていくことを放棄したのだ。
特に数学と英語の科目が苦手だった。
海外暮らしが長いのに英語が苦手というのもおかしな話だが、実生活レベルでの英会話が堪能でも、学校の成績とはあまり関係ないようだった。
悠加にはそれが納得いかない。
だから、余計、やる気が失せた。
進路については祖母も姉も何も言わなかったが、悠加は姉のいる学校に進学できればいいな、程度にしか考えていない。
もちろん、進学のための最低限の努力はするつもりだった。
そんな悠加が、学校の勉強よりも励んでいることがある。
それは妖怪ハンターとしての修行だった。
悠加と彼女の姉には、普通の人間には見えないものを見たり感じたりするという、感覚を超越した不思議な力が備わっていた。だから、彼女たちの父 親は、悠加たちを日本に住む祖母の元へあずけたのだ。
姉妹の祖母、天羽双葉は、日本の前羽根市にある天羽護国神社という神社で、神職をしていた。悠加たちも普段は自宅でもある神社で、表向きは、アルバイトの補助神職として働いている。
しかし、双葉の真の職業は、単なる神職ではなかったのだ。祖母は、その裏の仕事のことを「妖怪ハンター」と呼んでいた。
妖怪ハンター。それは、闇にうごめき人間社会に害を成す妖怪を退治するという、一般にはあまり知られていない職業。
悠加も姉も、祖母の双葉を尊敬し、いずれは祖母のような立派な妖怪ハンターになるのが夢だった。
そもそも、「妖怪」というものがどういうものなのか、悠加はあまり理解していない。
ただ、彼らは確実に存在し、時折、人々の生活に悪い影響を与えるということだけは、何となくわかっていたから、祖母の仕事をはじめて聞かされたときにも、あまり驚かなかった。
それよりも、異形の者と戦う祖母の姿を見て「カッコイイ~!」と感じ、わくわくしたことの方が、印象に残っている。
「ひふみよいむなや、こともちろらね……」
慎重に祓詞を唱え、三匹の妖怪たちを浄化する。
悠加のお祓いによって、三匹は邪気の束縛から解放され、たちまち元の動物の姿に戻る。
エゾリスだった。
「なんだ、リスだったのか……」
悠加は、茂みの中で気を失っているリスたちを優しくなでると、その場をあとにした。
しばらく放っておけば、彼らは何事もなかったように、目を覚ますだろう。
それよりも、一刻も早く、この雑木林の動物たちを妖怪化させている原因を見つけ出さなければならなかった。
祖母の双葉に言わせれば、悠加の才能は、祝詞や祓詞を唱えるときにこそ発揮されるものらしい。
しかし、悠加は、その才能を開花させることができずにいた。
彼女の姉は、自らの力を剣に宿すことで妖怪に立ち向かうことができる。
だから、姉と一緒に妖怪と戦うときは、姉の後ろで存分に祓詞を唱えることができた。
しかし、先程のように自分ひとりで戦うときにはそうもいかない。
今の悠加の実力では、内に秘めた力を言霊に乗せ敵に向かって解き放つまでに時間がかかりすぎるのだ。これでは祓詞を完成させる前に、敵に襲われてしまうことは必至だった。
「悠加ちゃんには才能がある。尋常じゃない力を秘めてるってのが、オレにはわかる。でもな、自分の中の強すぎる息吹をコントロールしきれていないんだなぁ。惜しいことに」
双葉はそう言って笑った。修行不足、ということだろう。
悠加の力とは、極めれば妖怪を捕らえて使役したり、術をあらかじめお札にこめて使ったりすることが、できるようになるものらしい。
ともあれ、お婆ちゃんに追いつくにはまだまだ時間がかかりそうだな、と悠加は感じた。
何にせよ、どんなに素晴らしい才能を秘めていようと、秘めているだけでは何の役にも立たないのだ。
だから、悠加は、言霊をあやつる修行とは別に、体術の修行も始めた。
運動が得意な悠加だったから、それらを習得するのにはさして苦労しなかった。そして、攻撃の際に打撃に息吹をこめて妖怪を滅ぼすための呼吸法をも身につけた。
これで、当面は一人でも戦える。そう思った。
双葉には「そんなのは本末転倒だよ、悠加ちゃん。ふぇっふぇっふぇ」と笑われたのだが。
「そんなこと言われても……」
悠加は下唇をつきだすようにしてスネた。
彼女としては、凛としているようで、どこか抜けている印象のある姉をサポートするのが自分の役目だと思っていた。姉に守られているとは思いたくなかった。
「しょうがないねぇ」
そんな悠加を見て、双葉は彼女にあるものをくれた。
「お婆ちゃん、これは?」
「いいから持ってな。いつかきっと、それは悠加ちゃんの役に立つよ」
「ふ~ん……」
「ここだな?」
流れ来る邪気をたどって、その源を悠加が探りあてた頃には、あたりはかなり暗くなってきていた。
見ると、茂みの中にポッカリと穴が開いている。
穴の脇には、大きな石が転がっていた。それは、石碑だったのかもしれない。なにやら文字のようなものが書かれているようだったが、表面はほとんど風化しており、読めなかった。
「この石がズレて、中から邪気が流れ出していたんだな」
空気のよどみを感じて、悠加がつぶやく。
こういうことがたまにあるのだ。
この星の大地からは絶えることなく様々なエネルギィが流れ出ており、そのエネルギィは、常に生き物たちに影響を与えている。
そういったエネルギィの中でも、生命に悪影響をおよぼすもののことを悠加たちは「邪気」と呼んでいるわけだ。
だが、邪気の源の多くは、悠加たちの偉大な先達によって封じられており、周囲の生命に悪影響をあたえることはない。
しかし、自然災害などの影響で、その封印が解かれてしまうことが、ごくまれにあった。
ここの封印が解かれたのも、おそらく、この間の台風の影響に違いない。
「ここを封印しちゃえば、万事解決なわけだ」
悠加は、さっそく、穴を封印するために術の準備を始めた。
「っと、待てよ」
祖母には、原因がわかったら、すぐに戻って報告するように、と言われていたの思い出したのだ。
「どうしよう? すっかり忘れてたよ……」
この場をそのままにして、一旦、祖母や姉のいる神社まで戻るべきか。
悠加は少し考えてから、「まあ、いっか」と呟いた。どうせ、ここを封印してしまえば、この仕事はおしまいなんだ。深く考える必要は無いんだ、そう思ったのだ。
よし、神社には戻らずに、穴を封印してしまおう。
お婆ちゃん、お姉ちゃん、ごめんね。手柄は全部、私がいただき。
彼女は意を決すると、呼吸を整えた。精神を集中し、天地の息吹が自分の身体を巡っていくイメージを膨らめていく。そして、ゆっくりと両手を打った。
一回、二回。
パン、パンという小気味良い音が雑木林に響き、続いて悠加の凛とした声が周囲を支配する。
「おきつかがみ、へつかがみ、やつかのつるぎ、いくたま、たるたま……」
しかし、悠加は最後まで祓詞を唱えることができなかった。
あまりに突然すぎて、異変を感じる間もなかった。
悠加は、背中に激しい衝撃を受け、自分の身体が宙に舞うのを感じた。
「……あぐ!?」
肩から地面に落ちる。一瞬、何が起きたのか悠加にはわからなかった。
起き上がろうとすると、左肩に激痛が走った。
「ててて……」
痛みをこらえながら、なんとか起き上がり、周囲の気配をうかがう。
悠加の目の前には、狼のような姿の四本足の生物が立っていた。
ただ、狼にしては異様に大きい。間違いなく妖怪だった。
野良犬の変化だろうか?
妖怪は、低い姿勢で悠加に向かって唸り声をあげている。
この森林の妖怪たちの長だろうか? だとすると、言語を操り、術を操る高等妖怪の可能性がある。
しくじった、と悠加は思った。
術の準備に入る前に、周囲の邪気に気を配っておくんだった。目の前の邪気にばかり、気を取られていた。
精一杯の去勢をはり、悠加は妖怪に向かって構えをとった。
「何? 私とやり合おうっての? 後悔することになるよ!」
しかし、巨大狼は悠加の呼びかけには応じなかった。
言葉が通じるタイプではないのか?
悠加は眉をひそめる。
その一瞬の隙を妖怪は見逃さなかった。一気に距離を詰めて、巨体が悠加に飛びかかる。
「うわぁ!」
悠加は、とっさに妖怪の攻撃をかわす。だが、完全にはかわしきれていなかった。巫女装束の肩口が妖怪の爪で裂ける。鋭い痛み。
悠加は意を決して、妖怪に立ち向かった。身体中の息吹を拳に乗せ、打撃として妖怪に打ち放つ。
「は!」
鋭い打撃が妖怪をとらえる。渾身の一撃だった。
打撃を受けた妖怪は、後方へ吹き飛ばされる。
悠加はそれを追って、もう一撃、鋭い蹴りを加えた。確かな手ごたえ。
「やった!」
だが、妖怪はひらりと宙返りすると、何事もなかったかのように、しなやかに着地した。ダメージを受けているような様子は微塵もない。悠加は愕然とした。
「あ~ら、ずいぶんと未熟な退魔師ねぇ」
「誰?」
女性の声が周囲に響く。見ると、狼型の妖怪の巨大な体躯の周囲をひらひらと蝶のようなものが舞っていた。
「これは、せっかく見つけたエネルギーの源なのよ。東洋のこんな辺鄙な場所に来て、ようやく見つけた大事なものなの。あんたみたいな小娘に封印させるわけにはいかないのよ。わかる?」
蝶は怪しげに発光しながら、悠加の周囲を挑発するように飛んだ。蝶が撒き散らすよどんだ邪気が悠加を包む。
この蝶が、周辺の妖怪たちの長だったのだ。しかも、かなり高等な妖怪。
自然災害によって偶然にここの封印が解かれたのではなかったのだと、悠加は直感的に確信した。
「さあ、この迂闊で未熟なお嬢ちゃんをサクっとやっちゃいなさい」
蝶の指示を受けて、狼妖怪が低く身構える。
悠加は戦慄した。
「これはなぁに?」
悠加は祖母からもらったものを見ながら首をかしげた。
祖母がくれたもの、それは二つの布製の装飾品のようだった。二つの装飾品は対になっていて、ほぼ同じものだったが、微妙にデザインが違っていた。
「これはね、火水の手纏といってね、手につけるものなんだよ」
「カミのタマキ?」
手にはめてつかうものなら、二つあるのも頷ける。しかし、この二つの装飾品がどういったものなのか、悠加には全く理解できなかった。
「こっちが火足の手纏」
「ヒタリの……タマキ?」
「そう。火足は左。左手にはめるものだよ。で、こっちが水極の手纏」
「ミキのタマキ……」
「そう。水極は右。右手にはめるんだ」
祖母が何を言おうとしているのか、悠加にはさっぱりわからなかった。
「左は陽、すなわち火と太陽と御魂を象徴し、右は陰、水と月を身体を象徴する。そして、左と右はひとつになって火水……カミとなる。わかるかい?」
「よくわかんないよ」
「ふぇっふぇっふぇ、今の悠加ちゃんにはまだ難しかったかな? ともかく、その手纏を身につけることによって、自分の中の息吹をコントロールできるようになるよ。ババアからのプレゼントだ。とっときな」
「こんなもので、私の力が制御できるの?」
いぶかしげに悠加が手纏をつまみあげる。
「ま、悠加ちゃん次第だけどね」
「こんな道具に頼らなくたって、私は自分の力を制御できるようになってみせるもん!」
悠加が顔を真っ赤にして抗議すると、祖母はただ優しく笑った。
力の差は歴然だった。
悠加の攻撃では、妖怪相手に微々たるダメージしか与えられない。しかし、戦闘を繰り返すたび、悠加の身体の方はどんどん傷だらけになっていく。
くっそぉ、術さえ使うことができれば、あの程度の獣妖怪なんて、一撃で倒してやるのに。
しかし、今の悠加には術を使う余裕などなかった。
じりじりと迫る妖怪の攻撃をかわすだけでせいいっぱいなのだ。
ごくり、とつばを飲むと血の味がした。おそらく口の中を切ったのだ。
「サイアクだぁ……」
悠加はうめいた。
このままでは勝てないだろう。なんとか逃げて、姉や祖母を呼んできたほうがいい。彼女の理性がそう警告していた。しかし、簡単に逃がしてもらえるような状況ではなかった。
強行突破だ。それしかない!
悠加は、意を決すると、狼妖怪に突っ込んでいった。
「うああああ!!!」
そして、残った力を振り絞り強烈な蹴りの一撃を加える。妖怪は、その攻撃を避けようともしない。
「余裕のつもりか、おるぁア!」
クリーンヒット。妖怪が後ろに吹っ飛ばされた瞬間、悠加は踵を返して反対方向へ全速力で逃げ出した。
(よし、逃げられる!)
悠加が確信した瞬間、背中にものすごい衝撃を感じた。
狼の口から発せられた衝撃波は、悠加の小さな身体を吹き飛ばすには充分な威力だった。
「うぁ!?」
もんどりうって倒れこむ悠加。
地面に身体を打ちつけたせいで、あちこちが痛い。
「ずいぶんとてこずらせてくれたわね。さ、もう観念なさい」
蝶があざ笑うかのように悠加の上を、くるくると舞った。
駄目だ、逃げられない。逃げられないよ、お婆ちゃん。
悠加は悔しさで、拳をぎゅっと握り締めた。歯をぐっと食いしばったが、涙が止まらなかった。
「ん?」
地面に倒れた悠加の顔の前に、彼女の巾着袋が落ちているのが見えた。涙でかすんでぼんやりとしか見えなかったが、見間違えるはずがなかった。悠加が肌身離さず持ち歩いていた巾着袋だ。
倒れたときに腰からほどけてしまったのだろう。
この中には、悠加が祖母からもらったものが入っている。意地を張って今の今までずっと使っていなかった、だけどとても大切なもの。
悠加は自然と祖母の顔を思い出した。
祖母の顔は笑っていた。
「さて、そろそろ覚悟ができた頃かしらねぇ……。ど~お、勝気なお嬢さん?」
余裕を見せているのだろうか。妖怪がこちらを襲ってくる気配はまだなかった。
悠加は涙をぬぐうと、倒れた姿勢のまま巾着の中から火水の手纏を取り出し、両手にはめた。
左手に火足、右手に水極の手纏としっかりと結びつける。
「!」
そして、その瞬間、悠加はすべてを理解した。
途端にみなぎる力。それはまぎれもなく、悠加自身の力であった。
そうか……。
私は、今まで道具の力を借りて強くなるってことが卑怯なことだと勝手に思い込んでいた。
でも、道具の力を借りて強くなるってわけじゃなかったんだ。
この二つの手纏は、拡散してしまう私の力を、正しい方向に導いてくれているだけだったんだ。
それに、私の術自体が、大いなる天地と神々の御魂の力をほんのちょっと借りるもの。私自身の力じゃないんだもんね。
お婆ちゃん、わかったよ。独りよがりじゃ、駄目なんだね……。
やっとわかったよ。ありがとう。
悠加は、両手の手纏を通じて、自身の息吹が身体中へみなぎっていくのを感じていた。
「それにしても遅いですね……」
天羽悠紀は、気が気でなかった。
邪気のよどみを調査に行った妹がいつまでたっても帰ってこないのだ。
先程までは神社の本殿の中で妹の帰りを待ち続けていた悠紀だったが、予定の時間を過ぎても帰ってこない妹を待ちかね、神社の外へ飛び出したのだ。
辺りはすっかり暗くなってしまっており、街灯がたよりなく天羽神社の鳥居を照らし出していた。
ひょっとしたら、調査に行った先で強力な妖怪に襲われたのかもしれない。
どうしても悪い方へ、悪い方へ考えがいってしまう。
やっぱり、私も一緒に行けばよかった。
「お祖母様! やっぱり私、様子を見てきます!」
悠紀は、意を決して振り返る。祖母は、悠紀のすぐ真後ろに立っていた。
悠紀の訴えに、しかし、祖母はゆっくりと首を横に振った。
「その必要はないよ。悠紀ちゃん」
「え?」
「ほら、見てごらん」
祖母が指差した方向へ悠紀が振り返る。
「あ!」
見ると、ズタボロの巫女装束に包まれた妹の姿があった。重い身体を引きずるように、神社へ向かって歩いてくる。
妹の身体は、あちこち擦り傷だらけで、見るも痛々しい様子だった。
「悠加さん!」
悠紀は、いたたまれなくなって、妹に向かって駆け出す。
「悠加さん!」
悠加が傷だらけの身体を引きずって帰ると、神社から姉が駆け寄ってきた。暗くてよくわからなかったが、姉の表情は今にも泣きそうな感じに見えた。
「悠加さん、大丈夫でした? 私、心配で、心配で……」
お姉ちゃん、きっと心配したんだろうなぁ。ごめんね。
そう思うと、何故か自然と笑みがこぼれてきた。
そうだ。ここは笑うシーンなんだ。姉を心配させてはいけない。
「えへへ……」
「悠加……さん?」
姉が首を傾げる。
「エヘヘヘヘ、だ~いじょうぶだよ。大丈夫に決まってんじゃん! 何、心配してんのさ、お姉ちゃんってば。そんな情けない顔しないでよね!」
悠加は、これでもかという満面な笑みをニカッと浮かべ、姉に向かってVサインを二つ同時に突き出した。
その両手には、勝利の証である火水の手纏が月明かりを受け、輝いていた。
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