見出し画像

「不快なこと」を感じる練習 #1

数日前から「不快を感じる」を練習しています。
生活の中で不快に思うことを、ただただ感じます。
例えばこんな具合です。


○私にとって、トイレが汚れていることは、不快だなぁ
○私には、夫が返事をしないこと、不快だなぁ
○化粧をしている時に、子どもが話しかけてくること、不快だなぁ
○床の髪の毛、ホコリ、不快だなぁ

という感じです。
それを数日続けてみていると、今まで気にならなかったというか、
意識していなかった嫌なことが、クリアになってきた感じがあります。

これも例を出すと、
 もし○○が起きたらとか、
 隙間時間があるかもとか、
 寒いかもとか、

そういう思考になりがちで、結果
 →携帯トイレ絆創膏などが入っている大きめのポーチを持って行く
 →読みかけの本を持って行く
 →貼るカイロを2、3個入持って行く

そんな感じでいつもカバンが重いし、大きなカバンになりがちな私です。
でも、

「カバンが重いこと、カバンが大きいことは、私にとって不快」

だったのです。
今まで意識していなかったことがクリアになると、

     不快なことをなぜ自分で「好んで」するのだろう?

と思うようになりました。
なぜ私は自分で不快なことを選ぶのか、
それは潜在意識で「その不快な感情を感じたい何かがある」ということなんだそうです。
その「不快な感情を感じたい何か」はまだ何かはわかりません。
でもそこに何かがあると、いまは思っておいて、
とりあえず置くことします。

そして、もうひとつ不快を感じていると
ホコリが不快。
だから掃除しよう!
掃除してスッキリ。
気持ちいい。

となったり、

段ボールや、雑紙などの紙類がたまって、ぐちゃぐちゃになってる状態は不快。
じゃあ片付けてさっさとゴミステーションに持って行こう!


と資源ごみをまとめたり。
今まで嫌だから置いておいたこり、めんどくさいと後回しにしていたことへの行動が、少し早くなっているという実感です。
これは「不快は自分で取り除ける」という実感となっている気がします。

もう一ついうと、
夫に対し沸く、不快感情に対して、
私の人生でこの不快な言い方、態度などが、「必要ない」と思えてきました。
現時点では、その気付いた必要ないが、「夫が必要ない」という感覚も湧いています。

さて、この感覚や気づきが、これからどうなっていくか、
綴っていこうと思います。

2023.4.18

ついでに
noteで画像を設定したいのに、設定ボタンがすぐ画面から切れて、何度もスクロールして、設定ボタンが出た瞬間を狙って、設定ボタンをその画像が設定されまで、繰り返さないといけないのも、不快です^^
でもそれは私が引き寄せていること。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?