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亡き父の日記より

親の愛が重すぎると
感じることがあるだろうか?

そうだとしても、許して欲しい。

お前がいくつになっても、
親にとっては
可愛い子どものままだ。

寂しくはないか
不安ではないか
助けを求めていないか
寒くはないか
お前の築いた家庭はあたたかいか
お前の笑顔は変わっていないか
甘えているか
一人で荷物を背負っていないか

・・・・そんな、
どうにもならないことを
心配しながら、
ただ祈りながら時を過ごしていく。

そして、
祈ることしか出来ない自分に
時々苛立ちを感じながらも、
親として生きてきたこと、
お前のために
祈ることができる幸せに
感謝せざるを得ない。

私はもう長くはない。

もし、
可能ならば最期の時に
手を握っていてほしい。

だが、もし間に合わなくても
決して自分を責めてはいけない。

間に合わなくても、
心の手は繋がっているから、
大丈夫だ。

そして、あらためて今、
言わせてほしい。

生まれてきてくれて 
ありがとう。

親として生きる道を
与えてくれて 
ありがとう。

おはようこんにちはこんばんは\(^▽^)/!

こたつねこです。

今回のnoteのタイトルを見て誤解を招くといけないので先に言いますけど…
Facebook『いい言葉は人生を変える』に載っていたのを転記した物でこたつねこ(中の人)はかなり前に病気で母を亡くしておりますけど、父はまだ健在ですので、間違えぬ様にお願いいたしますm(_ _)m
たまたま選んでしまった言葉がこういったタイトルだったのです。
もし亡くなってしまった母が日記を遺していたらこんな内容だったのかなと思っています。実際にそういった物は遺っていないので何とも言えないのですが、世の親御さんは子供の事を常に考えているから書けるとしたらこのような日記或いは遺書を書かれるのかなと。ちょっと想像してしまいました。
自分は結婚も子育ても何にも経験しないまま今の年齢になってしまったけど、もしもこういった立場だったとしたら同じように遺せるだろうかと。多分いや間違いなくムリな気がしたのでそんな立場になってみたかったという事で転記させていただきました。

ここで1曲…

(YouTubeより)

ではまた╰(*´︶`*)♡

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