差別をなくす方法

認知症や障碍者を保護しようとする優しさは分かるのですが
それって本当に良い方向に向かっているのだろうか。

まず認知症カフェや障碍者の就労支援や
他にも生活保護や要介護者でも同じだと感じるのですが
対策として少し先の未来(社会)は良くなっているように私も思います。
みなさんも疑わずにそう思っていると方が多いと思います。

しかし究極のゴールを考えた時には、果たして今の政策は正しいのだろうか
支援をし助けようと心から善意でやっているのに
実は差別を助長するような作用を
ほんの少しだけ持ってしまっているのではないか
と感じています。

そもそも、なぜ認知症や障碍者といった言葉があるのか
それは差別するため?保護や援助するため?
私はどちらの要素も自然と発生してしまうのではないか
と考えています。

地産地消って言葉って聞くようになったのは最近だと思いませんか?
しかし地産地消なんて古くからずっとやってきたことですよね?
むしろ現代になって皆さんの生活が
地産地消じゃなくなってきてから
生まれてきた言葉ではありませんか?
当たり前のように地産地消が出来ている時には
地産地消って言葉が存在する意味はなく
地産地消でないライフスタイルが生まれた時に初めて
そのライフスタイルと比べるために
地産地消って言葉が生まれるんだと思います。

なら認知症や障碍者って言葉も同じではないでしょうか?
もう言葉が存在した時点で認知症や障碍者の方と
認知症でない方や障害のない方とを
区別してしまっていて
そこに意識の差が存在してしまっていて
差別が生まれるのではないか

区別をしそれが差別になることもあるかもしれない。
区別し支援していく方向が間違っているとは思わない。
究極の最終的なゴールというのは
『認知症』や『障碍者』という言葉がなくなるぐらいのレベルまで
当たり前のようにみんな普通に混同して生活している状況ではないのか。
それぐらいレベルんで本当に当たり前に社会に存在し
認知症であろうがなかろうが
障障害者であろうがなかろうが
健常者だろうがなかろうが
困った人は助けられ余裕のある人が助ける相互扶助の社会になれば
差別も区別もなくなり『認知症』という言葉も『障碍者』という言葉も
自然となくなっていくのではかろうか。

その為の具体的は方法は
認知症の方や障害者の方をそうじゃないと否定していくことよりも
もしかしたら
『自称障碍者の会』をつくることなのではないか。
私は実は健常者に分類されるんでしょうが
嗅覚がほとんどありません。
コンタクトや眼鏡の方は程度問題の話であって
障害といえば障害だと思うのです。
だったらみんな少なからず何か障害ってもってませんか?
なら皆で仲良く障碍者になっちゃいませんか?
クラスの男の子がピンクのTシャツを着ていて虐められたのをみて
なら一緒にピンク着ようぜって話を聞いたことがあります。
そんな感覚です。
みんながピンク着ちゃえば気にならなくなります。
自称障碍者の会をつくって
みんなで自称障碍者を名乗ってしまいましょう。
一億総障碍者です。もし本当にそうなれば
障碍者って言葉は日本から消えるのではないでしょうか。

少なくとも自称障碍者の世界に入った人達の中から
障害という壁はなくなるでしょう。
障害なんて関係なく困っているなら助けようよって社会に
なったらよいなと思いませんか?

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