マッサージ師になった理由と出版する理由
私は自分が膝を怪我し、もう絶対に治らない状況になったことで
自分と同じような人を少しでも助けたいと
あん摩マッサージ指圧師になると決めました。
その助け方というと普通はみなさん
手を使って施術をすることをみなさんイメージされるかと思いますが
私の中では実はそれだけではありませんでした。
その時にはまだ言葉に出来ていないけれど
確かに胸の中にあたある想いを誰かに伝えたくて
あん摩マッサージ指圧師になったことに最近気づいたんです。
あん摩マッサージ指圧師の仕事は大変すばらしい仕事です。
自分の腕にも自信があります。
でも『治らない病やケガ』が沢山あるということです。
それはきっとお医者さんでも一緒です。
私なんかより色々と治してさしあげるとこはできるでしょうが
治せないものもある程度あるはずです。
そこをしっかりと治せるようにと色々な研究がなされており医学はどんどん発展しています。
それはそれで良いことです。
でも逆方向をも良しとする発想ってないのかなということです。
それを表現していくには
医師よりあん摩マッサージ指圧師だと当時の畠田少年は感じたのでしょう。(すみません、少し見栄をはりました、ただ医師になる学力がなかっただけです。)
高校生ながら何年も膝の痛みと闘っていると変なことを考えるのでしょう。もともと変態なのもあるのでしょうが
その頃考え始めたことは
『どうぜいつか膝なり腰なり痛くなるよね、みんなより少し早かっただけ』
しかしこれも最初は
一時的に悩んだ時に、悩んだ気持ちを誤魔化すために、だったのだと思います。
それがだんだんと沁みついてきて
本当に膝の怪我を受け入れ始めたとき
見えた幸せってものがあったんだと思います。
当の本人もその時は気付いていなかったでしょう。
怪我をして大好きなバスケができないのにいつも元気で楽しそうな私を
周りは強くて明るい人間だと思っていたのかもしれない、強がりだと思っていた人もいるかもしれない。
でも本当にそうではないんです。
当時は幸せとは思っていなかったかもしれないけど
たしかに記憶としてあるのは
『みんなかわいそうな目でみるけど別に悲しくないけどな』
という感覚。
これは『諦めた』ようにみえるかもしれない。
世の中では諦めないことが良いことのような風潮がありますが
これは『諦めた』より『受け入れた』の方が正しいと思っています。
もちろん怪我は完治しません、治ることは諦めていますが
人生を諦めたわけではありません。
膝の怪我とともにどう生きていくかという新たなチャレンジです。
治そう治そうと頑張っていては到達しえなかった新しいステージは
『受け入れた』ことによって見えたのです。
あん摩マッサージ指圧師になることで
本当に手を使い治療して差し上げたい気持ちももちろんあります。
自分が将来あん摩マッサージ指圧師になって
怪我に悩む子供たちを見つけたとき
上を目指して頑張る子たちを必死で応援することが私にはできます。
自分も同じように夢をみていたし応援してあげたい。
身体をケアすることでも力になりたい。
でもその患者さんの怪我が残念にも良い方向に進まなかったとき
『受け入れる』ことで心が楽になった自分の過去を話してあげられることも
私なりの治療・施術と考えていました。
それを当時は明確に言葉化はできていなかったけど確かにあった想い。
そしてこの仕事には、手を触れるというスキンシップもあり
医師の仕事よりもマンツーマンで話す時間もしっかりと取れる
最高の仕事を見つけたと思ったことを覚えています。
強がって見えたのではなく、夢や希望に燃えていたのです。
膝は治らず、正座もジャンプもろくに出来ないのに、幸せいっぱいでした。
(これこそが不健康を受け入れ幸せになっている事例であり『幸せになるための正しい不健康』)
そして今は歳を重ね
ただの自分の経験としてだけではなく
ちゃんと言葉に出来るようになってきました。
具体的に概念として話せるようになってきたことで
これを今自分が接している患者さんだけでなく多くの人に知ってもらいたい。
実際に触って治療するわけでなくても力になれるのではないかと感じ本にすることを決意しました。
あん摩マッサージ指圧師になったのも
本を書こうと決意したのも
根本は
『不健康を受け入れることで幸せになってもらいたい』
という思いからです。
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