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5教科中心の学校教育はいつから始まったの?

前回は日本の教育問題について簡単にまとめました。

簡単に言ってしまえば「画一化された管理教育」によって主に以下3点の様な問題点があるという事をまとめました。

① 個人に適したカリキュラムに沿っていない
② 学校で行われる教育が暗記重視・知識偏重型の偏差値教育になっている
③ 社会に出たことを想定したキャリア育成ができていない

こういった問題によって、日本で行われている学校教育では、「子供の個性」を活かす仕組みが出来ていないのです。

↓前回の記事↓

今回の記事では、なぜその様な教育方針が生まれたのかという事を歴史的に解説していきたいと思います。

冒頭からお話ししている通りで、日本の教育は良い意味でも悪い意味でも「画一的」であるという特徴があります。

この教育は良い意味では、全員を同じ水準に教育することが出来ますが、悪い意味では子供の個性を伸ばすことが出来ず、逆に劣等感を植え付けてしまうという面があります。

これによって自尊心を無くした子供が、自分には何もできないと思い込み、向上心を失い、人生を棒に振ってしまうことも少なくありません。

しかも、仮に勉強ができた優等生だとしても、社会に出た時に役に立つ知識や知恵を学べることは少なく、自分で独立して生きていくために必要な最低限のスキルやノウハウすら習得できません。

お金の稼ぎ方、資産の増やし方、正しい食育と健康法、子供の保育、I Tリテラシーやメディアリテラシーなどの情報に対するリテラシー、

そしてこの国の政治や社会の仕組みなど本当に必要なことは全くと言っていいほど学校教育の中では教わりません。

ではなぜ、この様に社会へ出た時に役立たないことばかりを教えているかと言いますと、

その元凶が「五教科中心教育」であったり「知識暗記型の筆記試験」といった日本の教育にあるのです。

こういった教育ばかりが行われていては、子供たちが個性を伸ばして将来活躍できる人材に育つことは非常に難しくなりますし、それはイコールで日本の国力が衰退するということを招いてしまいます。

そして個人のケースで言えば、自尊心もなく何のために生きているかを見出せない状態から、最悪の場合自殺するようなことにもつながってしまいます。

だからこそ、今の日本においては学校に行くこと自体がリスクが大きくなっているので、別の選択肢としてフリースクールやオルタナティブスクールなどの環境をもっと身近に創っていきたいと思っています。

誤解をしないでいただきたいのはアカデミックな勉強がダメだといっているのではなく、実務の中で成果を出すタイプや技術を習得して作業によって成果を出すタイプがいる中で、知識暗記型のペーパーテストのみを評価する仕組みがおかしいといっているだけなのです。

では、なぜこのような五教科を中心とした画一的な暗記教育が日本の主流になったのでしょうか?

これは歴史を紐解くとわかるのですが、日本でこうした画一的な暗記教育が現在のように講義形式で行われたのは明治時代からで、この明治時代に設立された東京帝国大学で主にこの暗記型の教育が講義形式で徹底されました。

なぜ東京帝国大学でこのような現代の暗記中心主義のスタイルを取ったのでしょうか。

それは、当時自由民権運動が盛んになり、政権から外れた大隈重信が立憲改進党を結党したりしたことや、東京専門学校(後の早稲田大学)を設立して若者に自由な発想のもとで政治的な議論を行うような教育が取り入れられたことがきっかけでした。

これらの動きに対し、伊藤博文はドイツのシュタインから学んだ「国家学」に基づき、国家を安定化させるためには政治的イデオロギーを持った自由な考え方を持つ知識人を養成するよりも、政策や法整備の専門家である官僚を育成すべきという考え方を持っていたため、伊藤は東京帝国大学の設立に動き、ルールや指示をこなしていく能力が高い官僚的な人材の育成に乗り出したのです。

しかし、この方向性が現代日本の教育に多くの遺恨を及ぼしてしまっているのです。

もちろん、こうした教育方法は当初よりドイツ人の教師からも「暗記している解答以外の問題に対応できなくなる」といった批判がありましたし、国内でも京都帝国大学などではゼミ形式のように知識を与えるだけではなく、学ぶ方法を教えることこそ教育だという風潮が起きるようになりました。

しかし、官僚の選抜試験など試験の合格者がほぼ東京帝国大学ばかりだという結果を見た時に、背に腹は変えられないという事で京都帝国大学も自由な教育よりも暗記型教育にシフトしていくこととなったのです。

このように今の教育スタイルの名残は明治頃に完成した官僚制を支える高等文官試験に端を欲し、 戦後は国家公務員試験に形を変えキャリア完了の登竜門となりました。

そして、この試験を目指すために大学教育があり、その下の初等中等教育があるという流れが完成し、その試験に登用されているのがいわゆる五教科を中心とした筆記試験になるという流れなのです。

しかし、国家を支える官僚を育てる機関としては良くても、子供たち一人ひとりが活躍するためには、全くもって相応しくない教育のあり方が現在の学校教育をはじめとした日本の教育環境の実態なのです。

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