コロナ禍での手術入院
手術が終わった。無事退院。
自身通算4回目だったけれど、
何回目の手術であっても辛いものは辛い。
以前書いたように、私は真珠腫中耳炎という耳の病気を患っている。
「真珠腫」という名前のとおり、耳の中に真珠のような腫瘍が発生して鼓膜を破ったり、骨を溶かしたり、耳の機能や聴力を低下させる。
今までに私は真珠腫によって壊れた耳の再生をするための「鼓室形成手術」を右の耳を2回、左の耳を1回、受けている。
今回は3月に受けたCTに左耳に真珠腫の再発が見られたため左の耳の2回目、通算4回目の鼓室形成手術入院となる。
当初は6月入ってすぐに手術入院の予定だったが、コロナ禍による影響で病院側から2週間ほどの延期を伝えられた。
患者側も今回は速やかに入院をするためにやるべきことが幾つかあった。
6月の頭からは入院当日までの毎日の外出記録と、検温の記録を記入して提出した。
入院日の1週間前にはコロナ陽性陰性を調べるための検査があった。(ここで万が一陽性と判定されると入院は延期)
私は陰性だったので、手術前日から予定どおりに入院した。
入院初日は麻酔科の医師から全身麻酔についての説明を受けたり、口腔ケアを受けたりする。夜の9時からは絶飲食となる。
翌日の手術はだいたい5時間から6時間を要する。全身麻酔のため、麻酔が効き始める直前からぷっつりと記憶は途切れる。
手術を終えると、看護師さんの「終わりましたよー」という呼びかけがどこからともなく聞こえてくる。
看護師さんに続いて主治医の先生が「真珠腫、取りましたからね」と声をかけて下さっているのが見えたけれど、先生の問いかけに返事が出来たかどうかは全く覚えていない。
ようやく手術を終えて安堵したいところだが、
私はこの手術を終えてから翌朝までの時間経過が本当に苦手である。
術後から翌朝までの半日という時間は本当に毎回しんどいのでなるべくなら経験したくはないけれど、手術を受けた後には避けては通れない苦行だと毎回自分に言い聞かせている。
麻酔が切れると、まず手術で切開した耳の後ろから後頭部にかけて鈍い痛みが伴う。
その痛みと同時に継続的な吐き気が伴う。
全身麻酔の際には喉に管が入るのだが、私の場合は喉に管を入れるのが毎回困難らしく、その影響なのかじわじわと喉のかすれや痛みが増してくる。唾液を飲むたび喉元に痛みが走る。
胸元の医療機器や左手の点滴、尿路に刺さったチューブが寝返りを打てなくさせるので背中から腰にかけての不快な痛みをどうすることも出来ない。
手術の時に必ず履かなければならない膝までの医療用ストッキングが両足を締め付ける。
術後には微熱が続くので急に汗ばんできたり、汗がひいてくると今度は手先や足先が凍るように冷たくなってきたりする。
翌朝までいっそ眠ってしまえると良いのだが、麻酔後は目が冴えてしまって一向に眠ることが出来ないのが本当に辛い。
病室の窓が真っ暗なのをひたすら見続けながら
いつ来るのか分からない朝を時間の経過を、痛みや吐き気を伴いながらただただ待つしかないのだ。
この時間が私は心底キライだ。
病を完治するために入院しているというのに、無事に手術を終わらせてくれているというのに、
延々と続く苦しい時間に終わりが見えてこないので、もうここからいなくなってしまいたいとまでいつも思い詰めてしまう。
今回の場合は吐き気があまりに酷かったため、ナースコールを押して吐き気止めの点滴をお願いした。
痛み止めの薬も飲みたいのですが・・・とお願いをしてみたが、朝にならないと水を飲んではいけないと聞かされて痛み止めは諦めた。
ナースコールを押してから何時間経過したかは全く分からない。
時々目を閉じて、ふと浅い眠りに落ちたように錯覚することもある。
でも再び目を開けるといまだに真っ暗な窓を見ることになり、まだ夜が明けないことに絶望する。1秒1秒がこれほど長く感じる夜は無い。
うっすらと窓の外が明るくなってきたかなあと思って少ししてから看護師さんが慌ただしく病室を訪れる。
その日は天気が良くなかったからか病室に朝日が射してこないけれど、夜が明けてようやく朝になったことを確認して胸を撫で下ろす。
看護師さんが来て下さると、1日中ベッドに寝たきりだった身体をゆっくりと起こすことから始める。
看護師さんの介助を受けながら、まずは自立が出来なければならない。
全身麻酔の経験がある人は理解出来ると思うのだが、絶飲食で寝たきりだった身体を起こして自分で立つのは本当に難しい。
今回もフラフラしながらベッドから身体を無理矢理起こして、ベッドの手すりに必死にしがみついて何とか自分で立ってみせる。
立てるようになると次の段階。
看護師さんに付き添ってもらいながらトイレまでの数歩を自力で歩く。自分で歩けなければ転倒する危険があるため、尿路のチューブを取ってもらえないのだ。
ここで今回は問題が起きた。
コロナ禍での入院は、看護師さんが病室に来るたびに患者自身がマスクを着けなければならない。
術後といえどもマスクの着用をしなければならず、しかしながら耳裏が痛むので左耳にマスクのゴムがかけられない私は片方の手でマスクを抑えていたのだが
看護師さんがマスクをかけさせようと左の耳にマスクのゴムを引っかけたのだ。
その瞬間、
ゴムが耳裏に食い込むような気持ち悪さと同時に猛烈なめまいと吐き気に襲われる。
以前にも耳裏の処置で時々パニックを起こしたり、血圧が異常値に下がってしまったりして先生を困らせた経験がある。
看護師さんが急いで車椅子とビニール袋を持ってきてくれた。ビニール袋をもらって口元に押しあててはみたが、絶飲食だった干からびた身体からは唾液すらなかなか出てこなかった。
息が多少荒くなり意識が朦朧とする中、吐き気が止むまでは耳にゴムをかけたくありませんと言って断ると、ビニール袋の代わりにタオルで口元を抑えることにした。
看護師さんに介助してもらいながらようやくチューブから解放され、時間はかかったが少量ずつ水を飲んだりすることが出来るようになり、脱水状態だった身体が少しずつ潤いを取り戻した。
手術翌日からは少しのおかずやお粥が配膳されてくるがすぐに食べることは難しく、
ぐったり疲れた私はしばらくの間は横になるとそのまま夕方まで眠り続けた。
自立歩行の感覚さえ戻ってこれば身体の回復は早い。人間て凄いなあ、と心から思う。
何日かの間は食事は受け付けないが、少しずつ食欲も戻ってくる。
持ってきた本を読んだり、字幕付きにして無音のテレビを観たり、退院までの期間をゆっくりと静養に充てることが出来た。
手術直後は咀嚼をするのが辛いのと、元々私はあまりたくさん食べる方ではないので、毎回の病院食は完食出来ない。
手術では味覚神経に触れる可能性があるため、味覚異常を起こすかもしれないと毎回説明を受ける。
前回の手術後は、病院食で食べた酢の物のお酢が水みたいに感じられたり、退院して旦那さまが連れていってくれた喫茶店のナポリタンの酸味が全く分からないことがあったりした。
今回も、お粥についてきた梅ペーストなどの酸っぱい味覚が分からなくなっているように感じた。味覚異常は日にちが経たないと戻らないので、今回も仕方がないと思っている。
術後の経過が安定し、自分で思っていたよりも早く退院出来ることになった。
退院手続きのため旦那さまが病院に迎えに来てくれて、久しぶりの対面をした。
コロナ禍の入院では、面会制限があった。
病室で羽織るカーディガンや、院内のコンビニで使えるカードなど、何度か病院に持ってきてくれていたが
家族でも直接病室には来れない規則だったため、ナースステーションで旦那さまからの差し入れを受け取った看護師さんがお届けものですよーと持ってきてくれるシステムだった。
コロナ禍においても看護師さんは以前と変わらず患者のために動いて下さっているけれど
本来看護師さんがやらなくても良い業務や負担が増えてしまっていることを実感した。
総合病院は朝から晩まで救急車のサイレンが病室にたびたび聞こえてくるし、自分の手術入院が延期されたのも病院が大変であることには違いないのだが、
入院する患者が今までと変わらず安心して治療をお願い出来る環境は本当に有り難かった。
来週からはまた通院が始まる。
これからも長くお世話になる病院なので、患者が出来る感染対策は欠かさず行いたいと強く思うし、今の感謝の気持ちを忘れないように記しておきたい。
心から医療に従事する方々に感謝します。
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