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酔うなら酒でも過去でもなく、未来に。

僕は、お酒が飲めない。
それがずっと、コンプレックスだった。

そもそも、どうして「飲む = お酒」なんだろうって、20歳から今に至るまで生きてきた。お酒が飲めないだけで、「あー、そうだんだ。」という言葉の後に、無言の疎外感を感じてきた。


他人が好きに飲酒していることは、別に嫌じゃない

「俺が・私が飲んでいるのに、なんでお前は飲まないんだ」

そういう空気を作られることが、本当に嫌だった。

居酒屋に行って、烏龍茶を頼みながら店員さんに「ウーロンハイって言って僕にください」みたいな事を、何度も言ったことがある。

どうして、彼らが楽しむために、僕自身が飲んで気持ち悪くなって、トイレに籠らなくちゃいけないのか。「今日は少しで良いから飲まなくちゃ」とか「気を遣ってでも飲んだ方がいいかな」と、自分が飲みたくもないお酒を無理やり飲んできた経験が、あまりにも多すぎた。宴席は僕にとって、気の置けない仲間と集まる場というより、張り詰めた緊張との戦いだった。


お酒を楽しめないと、食事の本質はわからない

これも、本当によく言われた言葉だった。

僕は料理も好きだけど、何より食べることが大好きだ。そんな僕にとって「お酒が飲めない」という理由だけで、食事への美学に水を刺されるような感覚になるのが、凄く不快だった。

ただ僕も、一応舐めるくらいならお酒の味を確かめられる。料理好きと自称する僕も「お酒と食」と言いたい気持ちは理解できる。お酒に合わせて料理の味をコントロールする面白さも、僕も趣味の域だが自覚している。

その上でだ。長らく僕は、こう思ってきた。


ノンアルで、食と一緒に楽しめて、気持ちいい飲み物はないのか?


と。本当に長らく思っていた。

そして去年、ちょうど歌を歌いたいと思い始めた前後に、
僕は出会ってしまった。運命的な出会いだ。

日本橋兜町 caveman

その日、僕は午前中の予定を大手町あたりで終えた。大手町は普段、あまり行かない場所。一緒にいたと、どこかでランチして帰ろうという話になり、嫁が兼ねてより僕を連れて行きたいと言っていた日本橋のレストランを予約した。それが、僕の味覚体験の運命を変えた、cavemanとの出会い。


まず、内観が僕の好みそのものだった。モルタルとウッド、そしてレストラン中に生い茂る植物たち。カウンターの先には、丁寧に研がれた包丁たちと炭火焼きのための七輪。何料理を提供するお店なのか、ぱっと見わからない。そんな多国籍感が、僕の興味をそそった。


初めての、ノンアルコールペアリング

ドリンクがとにかくすごい、という嫁の太鼓判で、僕は迷うことなくペアリングを選んだ。cavemanは、ノンアルコールペアリングのコースを、アルコールペアリングと並列させている。

今でこそ、少しずつそんなお店は増えてきている印象が僕にはあるけど、
先に結論を言うと、いまだにcavemanを超えるお店が現れる気が、
全くしない。

その時期に手に入る果実や野菜(お茶の花などここで初めて知った食材も多々)。それらを、コンブチャなどを使った発酵、真空調理など一度聞いただけでは到底理解できないほど途方もない工程でドリンクにしていく。

ノンアルコールドリンクを自ら開発する、cavemanのソムリエ・小林貴志さん(通称:コバさん)。彼は毎回、ペアリングの相手となる料理一品一品も、シェフなの?ってくらい細かく調理工程や大切にしている想いを僕らに伝えてくれる。本当に細かく。めちゃくちゃ忙しそうにしているのに。

嫁曰く、アルコールのペアリングも抜群とのことだけど、僕はやっぱり自分がノンアルでも「時間と空間と料理、ともに食べる人に"酔いしれられる"」という喜びを知れたことで、ノンアルコールへの敬意と憧憬が強い。味覚体験として、ドリンク単品でも強烈に影響を受けている。


熱量と繊細さ、複雑怪奇とポップネスが同居する料理たち

ドリンクのことばかり話してしまったけど、言うまでもなく、料理は想像のはるか上を、軽々と更に超えていく。

季節の食材を、和洋はもちろん、南米や東南アジアなどエスニックと思しき味覚も多用しながら作り込まれた料理たち。上記は、僕の脳裏に今もなお焼き付く、食体験が忘れられないお皿たちだ。

白状すると、cavemanで知った食材を僕は必死で探し(売ってないものは無理やり通販で取り寄せたり)、自分も日々の料理に使ってみようと何度も試みた。無論その食材を使ったとて、僕の料理はあくまで自分の料理でしかない。どうやったらこんなにも、食材同士「独立自尊」できるんだ。

シェフのShun Hishiyaさん。頭の中、どうなってんだろうって食べるたびにいつも驚かされる。すごいのは、コバさんもHishiyaさんも、伺うたびにより大きな感動をくれることだ。「同じ料理・ドリンクを、2度と作らない」というポリシーをお持ちだそうで、だからこそ毎回とても楽しみになる。何より、作り手としてとても刺激を受ける。

こんなお店に出会えた自分の現世を、とても嬉しく思う。


アルコールの有無は、もう関係ない

そう確信できたcavemanでの体験は、単に僕の味覚への価値観だけでなく、生き方そのものに大いなる自信をくれた。上述した、

お酒が飲めないと、人・大人として「足りない」

的な感覚は、マジでゼロになった。

そもそも自分は元々、音楽さえかかっていればテンションは最高潮になれるし、何より割と常に、自分に酔っている(笑)。そんな僕が、お酒の力を頼らなければ生きていけない絵姿を、いまだに想像できない。なら、もう今後もいらないじゃん。そう思えた。


強調しておきたいのは、これはあくまで僕の話であり、僕が同席する宴席で他の方がお酒を飲んでいること自体は、全く気にならないということ。僕は人と話すのが基本的に好きだし、相手がお酒を飲まないと気持ちよく本音を言えないのであれば、是非飲んでもらって話したい。

ただ、深酒に付き合ったり、酔った人を介抱することには、正直あまり興味はない。我を忘れて酔ってしまった人のことは、今後もおそらく「あとはごお好きに」と置いて帰るだろう。お互い、大人なら尚更。

一番言いたいのは、
お酒を飲むことも、飲まないことも、いずれも本人同士が決めることで、
どちらかを強要する空気を作ること自体が、ナンセンスということ。
それぞれが一番居たい自分でいるのは、一番大事じゃん。


故に 欲しいのはモクテル

そう強く思えた瞬間、この決意と気づきを、音楽にしたいと思えた。そして、このフレーズが生まれた。

故に
欲しいのはモクテル
星屑は溶け
泡に絡んで 甘い苦い辛い
長いMidnight 漂う光

ノンアルコールなら、酔うこともない分、好きな時間にチルアウトタイムを作れる。素敵な景色と、彩る音楽に、気持ちを鎮めてリラックスできるドリンクがあれば、いつだって自分のムードで心を解放できる。

そんな喜びを表現することが、これからの自分が自分自身で世の中に居場所を作っていくためにも必要だ。ちょうど、のちに「leift(レフト)」と名づけることになるシンガー名義の活動を構想して曲を作っていた時期と重なった。だから、このメッセージは僕自身が歌うべきだと思えた。

そう決意したのが、2021年の9月ごろ。
ここから延べ1年ほど、僕は作っては捨て、更に作っての
「『Mocktails』制作の旅」に出ることになる。


欲しい『Mocktails』が生まれるまで。

まずそもそも、作り始めた当初、僕は自分の声が持つ得意な音域も理解してなかった。実はメロディと歌詞は、割と早々に固まっていた。でも自分がどんなトラックなら歌としてムードを出せるのか、そしてどのキーなら自分らしい歌を歌えるのかを、1年模索してしまった。

シンセポップ、ディスコなど、本当にたくさんの音楽スタイルを試した。トラックは、まるまる15回くらい作り直した。そんな工程の中で、だんだん聴いていて気持ちがいい歌のキーも見えてきた。

ミックスまで終わった頃。もう、今年の夏が終わりかけていた。

ミキシングも、何度も何度もリテイクしていた。普段そんなにミキシングで悩んだりしないのだけど、この曲はスケジュールギリギリまで細かく調整して粘った。おかげで、ボーカルをメインに立てつつ、トラックの音像を存分に楽しんでもらえる楽曲にできたんじゃないかと自負する。


マスタリングで化ける、leiftの曲

シンガーソングライター「leift(レフト)」の楽曲は、作詞作曲をleiftが、編曲・録音・ミキシングなどのトータルプロデュースをKOTARO SAITOが担う。つまり、ほぼ全ての楽曲制作工程を僕1人で行っている。

これは意図してそうしていて、いつかはトラックを他人に任せる曲も作ってみたいかもしれない。けど少なくとも、1st.アルバムまでは僕自身が考えるleift像を明確に構築したい。


そんな僕にとって、唯一客観的な音楽的テコ入れができるのが、
マスタリングという最終工程だ。


leiftは僕が思う「ポップ」を体現する

KOTARO SAITOは、音像そのものまでが強く作品性・作家性に影響する。だからこそ再生デバイスに限らず、アナログ・オーガニックな音像を強く求めて作ってきた。分かりやすいのは、この2作。

高音域から低音域まで、滲み湧き出るようなサウンドを強く欲して作ったこれらの作品は、leiftになってからの自分とは全く違う価値観だ。

leiftはより、

①ストリーミングサイトで聴いて魅力が最大化できる
②繊細さとパワフルさ、どちらも共存しながらグルーヴ味が強い

という2要素を意識して作っている。それが僕の思う「現代のポップ」で、これを実現すべく、自然とミキシングへの考えも大きく変わった。滲んで溢れていた部分の「人間臭さ」を徹底的に削り落とし、ソリッドでミニマル、強い音は最大級に強く、繊細な音は鋭くしなやかに鳴らしている。


本物は、本物に作ってもらう

leiftはデビュー作から、より国境のない音楽を目指して作ってきた。歌詞こそ日本語だけど、パッと聴いた印象でどこの国の音楽なのか、解らない音楽を目指して作っている。

そういう意味で、僕が求めるサウンドは、必然的に「今のポップミュージックを体現する人」に仕上げてもらうべきだと当初から考えていた。


そんな時に見つけたのが、
英国の名門スタジオ・Metropolis Studiosのマスタリングサービスだ。

leiftは最初の作品『bleach』以降、ずっとこちらのスタジオで、Stuart Hawkes氏にマスタリングを依頼している。Stuart氏のキャリアについては、サイトで見てもらえれば一目瞭然。その経験値を以てしてなのか、これまでリリースした楽曲は文句なしの一発OKだった。

当初はオンラインサービスで、依頼時に僕が細かく目指す方向性を英語でメールしていた。最近は、ちょっとした問い合わせをキッカケに知り合った日本人スタッフの方と密に連絡を取っていて、オンライン依頼とは別の、直接依頼に切り替えて依頼している。

僕が目指すビジョンを各楽曲で叶えるためには、僕自身が進化する必要性は言うまでもなく、マスタリングを第一線のその道の人に依頼するのが、最短経路だって感じてる。マスタリングって同じ人に依頼すると、

このミックスだと、こう変化して返ってくるのか

という結果が、より如実に見えてくる。是非、leiftの曲をリリース順に聴いてみて欲しい。模索しながら作った『bleach』『draw』からの、サウンドのビジョンが明確になってきた『Beige』でのブラッシュアップぶりを。


こうして、『Mocktails』は約1年の制作期間を経て、当時の自分にとってベストだと思える楽曲に仕上がった。


アートワークに、cavemanへの尊敬を込めたい

そう感じていた僕は、思い切ってコバさんに、ドリンクの写真を使わせてもらえないかと、できたばかりの楽曲と歌詞をインスタのDMでお送りした。

コバさんは、食だけでなくアートや音楽にも造詣が深い方。そんな方の大切なドリンクを、作品と作品のコラボという形で使わせていただきたかった。何より、自分が心を大きく動かされた存在だったから。

コバさんは、曲も聴いてくれた上で、快諾してくれた。
とても嬉しかった。僕にとって、アートワーク面でも、
嘘のない作品に仕上がるという確信が持てた。

コバさんから貸していただいた写真を、KOTARO SAITO時代から僕のアートワークやロゴなどのビジュアルをデザイン・アートディレクションしてくれている伊藤裕平さんが、素晴らしいデザインへと昇華してくれた。

まさに、こんな余白とカラフルな色達が、泡のように絡み合う味覚体験を描きたかった。裕平さんには、僕が書体にも物凄くこだわる姿勢にお力を貸してくれる。毎回とっても素敵なロゴで、嬉しくなる。


『Mocktails』が変えてくれた景色

僕がこのnoteを、リリースから1ヶ月以上寝かせてしまっていた理由はこれ。この曲を機にleiftという歌い手を取り巻く環境が、少しずつ変わっている。それらを、自分がどう捉えるべきか、ずっと考えていた。


4年前〜leiftを始めてすぐの頃の話

僕がそもそもnoteを書き始めた1番のきっかけは、作曲家KOTARO SAITOとしてアルバム『BRAINSTORM』をリリースした際、Spotifyでプレイリストに入った時だ。このnoteは、書いて4年も経った今もなお、ずっと読まれてる。

ここから僕は、Spotifyという大きな力に頼って、沢山の曲をリリースしてきた。中にはDIYで音楽をやりたい人にとって、当時誰も書いていなかった情報もたくさん書いた。今でこそストリーミングでのリリースは当たり前になった日本の音楽シーンに、少しは貢献したんじゃないかと思っている。

しかし僕はその間、Spotifyの「プレイリスト」という文化に頼りっきりになってしまった。アーティストとしての本質的価値を「人が作ったお皿」で測ろうとしてしまった。ちなみに、そんなnoteも書いた。

だから僕はleiftとして活動する時、強い気持ちで決めたことがあった。

もう、プレイリストに期待するのはやめよう。
自分の力で、自分の音楽を届ける努力をしよう。

って。だからleiftとしての1st.シングル『bleach』がSpotifyのプレイリストに入らなかった時も、「大丈夫。そうだとしても、自分の力で地道に進むんだ」って自分に言い聞かせていた。でも裏では、正直ガッカリした。

恥ずかしい話だけど、流通をお任せしているThe Orchardの方々に「僕は嫌われているんでしょうか・・・。」と相談すらした。

彼らは丁寧に、僕が4年前に経験したロケットスタートのような状況が極めて起きにくいと話してくれた。その理由はSpotify含むストリーミング市場に、4年前とは比較にならないほど数多くのアーティストが楽曲をピッチ(キュレーターへのプレゼン)しているからだそう。

そんなアドバイスを頂いているからこそ、僕は少しずつでも自分自身の力で曲を知ってもらえるよう知恵を絞っている。自分が望むleiftとしてのアーティスト像と、現代のトレンドの交差点を、今も手探りで模索している。


そんな中で、起きた出来事。


Spotifyのフックアップ

これまた、4年もストリーミング中心でリリースしているのに、って感じでお恥ずかしい話なのだけど、『Mocktails』がリリースされた日の瞬間、僕は妻である安奈ちゃんの前で狂喜乱舞してしまった。

『Mocktails』が、作曲家名義の自分でも見たことない数の
プレイリストに掲載されたからだ。

思わず、掲載されたプレイリストをスクショして、こんなビジュアルまで作ってしまった。今思うと「また他人のふんどしで曲の価値を伝えようとしてるぞ、お前」って自分に思うのだけど、あの時の嬉しい気持ちを、僕はどうしてもここで伝えたくて、恥を忍んでnoteに貼らせてもらう。

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この嬉しい気持ちは、何なんだろうと、1ヶ月考えていた。
僕は、ひとつの結論に辿り着いた。

歯を食いしばって「なんで歌えないんだよ!」って自分を恨んで。
未来が全く見えなくても、前に進めてきた自分。
そんな僕に対して、Spotifyが「がんばったね、期待してるよ」って
声をかけてくれたような気がしたからだ。

Spotifyは、職業作曲家として活動していた4年前の僕に、作曲家アーティストとして生きる道を作ってくれた存在だって思ってる。そのSpotifyに、今回もまた、背中を押してもらった。

leiftは無名で、読みすらも何と読むのか分からないであろう存在。そんなleiftに対して「さぁ、道は引いてやったぞ。ここからは先は、お前次第だぞ」と言われている気がしてならない。それが、今この瞬間の素直な気持ちだ。


leiftの「今」

楽曲『Mocktails』のリリースを機に、僕は自分の想像より早く、leiftをより多くの人に知ってもらえるチャンスが来たと思ってる。単に再生数を見てそう思っている訳じゃない。感覚的な「兆し」を掴んだことと、より細密にデータを分析した結果の両輪で、そう思えてる。

『Mocktails』は、サウンドの質感に加えて、きっと「ノンアルコールでも気持ちが酔いしれられる」というテーマ自体も現代的だったのだろう。自分が捉えている感覚が、社会と共に「今」を生きている実感を得られた。


だからこそ今、
僕は半年先に待つファーストアルバムの制作にひた走っている。

僕が考える、現代に僕が生きる場所は正直、全く「ここだ」と言えない。今僕は、まだ誰も間に受けてくれないであろう景色を脳内で描いている。そう言う意味では、ファーストアルバムこそが僕が描く場所の「第一歩」だ。

今年の頭に、アルバムのタイトルを有料記事でだけ発表しようと決めた。3月の不安で仕方がなかった頃の僕の脳内と今とでは、描けている景色の解像度がまったく別の次元だ。

僕はまさに、『Beige』というタイトルをアルバムに冠するつもりで作っている。自分の今を「β」と名づけ、leiftが今の自分らしさそのものだと規定して音楽を作っている。

だからこそ、『Beige』という楽曲はリリースしたものの、
僕の「β」のあり方は、アルバム曲を作り進めながら、
どんどん進化を続けている。
解像度が細密になり、より自分にブレがなくなっている。

これらは全て、僕が努力で積み重ねた来たものたちと、そんな僕を支えてくれたリスナーの皆や家族・仲間たち、そして僕の楽曲を世に送り出そうとしてくれる人たちの掛け算で構成されている。僕はその在り方を決して

「過去に構想していた何か」

に留めたくない。
常に現在を生き、未来を見ていたい。


そういう意味で、この『Mocktails』という曲は僕の過去〜未来を、
ずっと彩ってくれる楽曲だと信じてやまない。


協力してくれたcavemanの皆さん、
改めて本当にお世話になりました。
皆さん、聴いてください。

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leift / KOTARO SAITO
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