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支える人でもいいんじゃない?

このnoteは、パーソルホールディングスがnoteで開催する「#はたらいて笑顔になれた瞬間」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

依頼をもらえるというのは。
頼ってもらえるというのは。
本当にうれしいものだ。

先輩から頼ってもらった時。
後輩から頼ってもらった時。
同期から頼ってもらった時。
本当にありがたいと思う。

仕事でもそうだ。
「阿部さんに言葉の相談をしたい」
そんな風に頼ってもらった時。
相手の力になれたことをとてもうれしく思う。

けれど時折、迷う。

「もっと自分から企画して、もっと自分から人に頼ってもいいんじゃない?」

ふとそんな言葉が頭に浮かんだ時、迷う。
来たボールを打ち返せてはいる、まちがいなく。
連続講座「企画でメシを食っていく」を主宰してきたけれど、自分からボールを繰り出せているだろうか?

自分なりに、積極的にやってきているつもりなんだけどなあ……どこかで自分は受け身なのだろうかと、うつむきそうになる。

自分が本当にやりたいことって何なのかな、そう自分に問いかける―――

自問自答の闇にのまれそうになった時、ある人の存在を知って僕の心は明るくなった。

喜劇王チャップリンの「マネージャー」の話をしたい

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」

ちょっとしんどいぞという時に思い出すこの言葉を発したのはチャップリン。言わずとしれた、ちょびヒゲ、山高帽、ステッキがトレードマークの20世紀を代表する天才喜劇俳優。

たとえ作品を見たことがなかったとしても、だぶだぶズボンに大きな靴を履いてトコトコトコとペンギン歩きする姿はイメージできるのではないかと思う。

まだ映画に音声がなかった時代に、人の持つ悲しさも愚かさもコメディーで包み込み観客の心をわしづかみにした。優しさ、勇気、平和の尊さを感じる作品はアメリカで大ヒット。その名は世界中に轟いていった。

ちなみに、ハリウッドの映画監督たちが1本の短編映画を1週間で量産していた時代に、20分の短編のために40日以上もの時間をかけて作品を撮っていたそうだ。

ふれたら火傷しそうな情熱と、粉々になりそうな繊細さと。作品づくりに全身全霊で挑むチャップリンの生活を支えていたのは……

日本人マネージャー高野虎市(こうのとらいち)だった。

ふたりの出会いは「求人」からはじまる

その詳細は「チャップリンの影 ~日本人秘書 高野虎市~」(講談社)に書かれている。1916年(大正5年)のことだ。

映画デビュー3年目にして高額の給与を獲得していたチャップリンが新車を購入し、運転手を探していた。

高野虎市は知り合いのツテを辿ってホテルに面接を受けにいく。部屋に入ると、ベッドで朝食をとる27歳の喜劇王は、見るなりこう問うたそうだ。

「君は運転ができるのか?」

高野虎市は「はい」とだけ答えた。

「僕は、できないよ!君はカッコいいね」

このあっけない「面接」で高野虎市の仕事は決まった。

その後、真摯で誠実な仕事ぶりで評価を得て、子どものお守り、スケジュールやお金の管理、次第にマネージャーとして“身の回りのほぼすべて”を任される。来客があるとチャップリンは行き届いた掃除を自慢したそうだ。

「アメリカ人は丸く掃くが、日本人は四角く掃く」と。

この成り上がりストーリーに驚きながらも僕は疑問に思った。

そもそもなぜ高野虎市はアメリカに渡ったのだろうか?

チャップリンのマネージャーが日本人だったというエピソードは、フジテレビ系列の『トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~』でも取り上げられていた。

タモリさんの「へぇ〜」ボタンを押す手は止まない。そこでは「広島生まれの高野虎市は18歳の時に弁護士を目指しアメリカに移住し……」と紹介されていたが、日本を飛び出したのは実際のところ、もっと生々しい理由だった。

嫌なことから逃げていった先に

結婚相手が決められていたことが嫌で嫌でたまらなかったから、だそうだ。

旧家の古めかしい習慣が嫌で、幼い頃から自由を求め、そのまま自由の国を目指し、太平洋を渡った。

本当のところ、弁護士になるという夢があった訳でも、エンタメの世界を目指すというビジョンがあった訳でもない。ここから逃げ出したい。行きたいところに行く。そして、メシを食うために仕事をしなければいけない。自分には運転技術があった。そこで運命の仕事相手、チャップリンと出会った。

運が良い、とも言えるだろうし、運をたぐり寄せて運命に変えたとも言える。

パートナー。そこには信頼関係がある。とはいえアーティストとマネージャーだ。長く付き合っているとふたりの心の天気模様が荒れることもある。

チャップリンに「お前はクビだ」と言われて一週間、高野虎市が出社せずに海岸で遊んでいた。

そこにチャップリンがやってくる。

「魚は釣れるか?時に会社に来ないといかんじゃないか」と言い、「あなたは私をクビにしたんじゃないですか」と返すと、「あれは冗談なんだよ」と言った調子で引き戻す……なんてこともあったそうだ。

男同士の友情と意地の張り合い。
アーティストとマネージャーという役割を超えた人間関係。
ここに僕は、人が生きていく理由があるように感じた。

どんな思いで支えていたのだろう?

ステージに立つチャップリンを、
世界中に名を馳せていくチャップリンを、
高野虎市はどんな思いで見つめていたのだろう?


これは僕の想像にすぎない。

ふたりは仕事をする関係だ。ビジネスとしての側面もあったと思う。でも、チャップリンといる時間が、ただただ好きだったんじゃないだろうか。「好き」という2文字のキャパには収納しきれない酸いも甘いもふくめた感情。それらを飛び越えて、惹きつけられる相手の喜ぶ顔。

支える人は、照らす人だ。

僕はそう思う。ステージの上に立つ人を、裏方が照らしている。

その光があることで、さらにたくさんの人に見つかっていく。

僕が取り組む「言葉の仕事」も、相手を照らす仕事だ。

相手のことを考えて、考え抜いて、言葉を贈るように届ける。相手のいい表情に出会えた時、たまらなくうれしくなる。その瞬間、すべてが報われる。大げさじゃなくて、ああ、生きてて良かったなと思える。はたらいて笑顔になれた瞬間、それは……

あなたの笑顔を見た僕も、笑顔になれる。
照らしたその光が、跳ね返ってくる瞬間を味わい続けたい。
それが好きで、僕の本当にやりたいことだ。

目の前にいる人に、そして新たな人に、旅するように出会いつづける。人が動くと書いて「働く」。このはたらくを「はたらきかける」に変えていけばそのうち、自分から照らしたいと思える人に出会えるのではないだろうか。

ただ、急に照らしたら、相手は驚くだろう。だからそこに関係性をつくる企画を携えていけばいいんだ。

のめりこむようにチャップリンの足跡を辿っていたら喜劇王はお見通しだった。

人間というのは、段々年をとると、停泊地が欲しくなるものである。
それは長い間に良く知り合った人であり、一番楽しい人である。

知り合う、じゃなくて、良く知り合う。それは出会いと別れを経て、また出会えるその人。チャップリンにとってお互いを照らし合った高野虎市はまさしくその人だったのだろう。

これは自分自身に対して、言いたいこと。

ガンガン動いていい結果を残している人を見て、自分なんてと思う必要はない。落ち込むこともない。迷うのは、それなりでいい。人には人の道がある。自分のできることからはじめればいい。

仕事で自分に何ができるのか。仕事で何をしたいのかわからなくなった時に、目の前の相手が喜んでくれることを探そう。

カタカナで言えば、リーダーシップも大事だけど、フォロワーシップも大事、そういう話になるのかもしれない。僕なりに解釈すれば「積極的な受け身」。

支えることからはじめよう。照らすことからはじめよう。そこに生まれる影は、あなたの輪郭をしている。

支える人でもいいんじゃない?

目の前の人を支えたいと心から思えたなら、どうか惜しみなく。本気で打ち返したボールは、胸を打つ、光を放つ。

そしてその次をたぐり寄せるんだ。
その先に、運命的な関係がある、きっと。

テキスト:阿部広太郎 サムネイル:鈴木智也

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