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誰かのせいにしていた自分へ。

こんにちは、阿部広太郎です。

ここに書いてあるコラムは、2012年、東京コピーライターズクラブの新人賞を受賞して、それからの5年間の出来事を、そのクラブに寄稿したものです。

行動して、ぶつかって、気付きながら、ひとつひとつ積み重ねています。その中で、「自分らしさ」という感覚に出会えて、今に至ります。

ここに書いたことが、誰かの新しい気付きになりますように。


こんなはずじゃなかった。

ある時、そう思ったまま、
仕事がまったく手に付かなくなった。

携帯の通知は止まらない。激しく飛び交うメール。
クライアントの意見を反映した再プレゼンは、
イメージと違かったのか再々プレゼンになったそうだ。

週明けに改めて提案しなければならない。
当然、チームの雰囲気はにごっていく。どよんと淀む。
上司も苛立ちが滲むのか、言葉のとげを隠せなくなった。

広告を見てくれた人の心を動かそう。
同じ目的を共有しているはずなのに、
みんなの心は、とっくにばらばらだった。

意気揚々と社会人になって、
配属されたのは会社の人事だった。
クリエーティブ試験を受けて、
コピーライターの肩書きを手にした。
寝食をわすれて仕事に打ち込んで、
東京コピーライターズクラブの新人賞をもらった。

「東京で、コピーライターとして、がんばれ」

そう背中を押してもらえたような気がして、
可能性をたくさん感じてこの仕事してるはずなのに、
どうしてこんなことになってんだよ、と思った。

こんな風に思ってなかったか?

目の前の仕事が当たりだとかはずれだとか、
はずれの場合は、自分を押し殺し、過ぎ去るのを耐える。
この仕事は賞を獲れるとか、獲れないとか言って、
傾向と対策であたまの中をいっぱいにする。

会社にやまほどいる、コピーライターの中から、
広告賞を獲って、すこしだけ目立って、
いつの日か大御所と呼ばれる方たちに見つけられて、
大企業の大ブランドのどデカい仕事に関われたらと願い、
壮大な順番待ちに並んで、いつか、いつか、いつか…
自分は何者かになれるはずだと漠然と思う。

そう思いながらSNSで日々流れてくる、
誰かの受賞の報告に心をさいて、
誰かと比較して勝手に傷ついて、
あいつはいい環境にいるからだとか、
あいつはいいチームにいるからだとか、
どうにもならない愚痴を溜め込んでいく。

なにをしてるんだろう、自分は。

仕事は、そんなもんじゃない。
人生を、そんなもんにしちゃいけない。

会社のデスクにかじりついて、
考えているのが仕事ではない。
会いたい人がいるなら今すぐ会いにいけばいい。
いま会えないなら、会える自分になればいい。
納得いかないことがあるなら、
どういうことですか、
なんでそうなるんですかと、
今すぐ話をしに出掛ければいい。

くだらないプライドなんかかなぐり捨てて、
心の叫びに従ってまっすぐな気持ちで仕事をする。

この地球上で最初に仕事をした人も、
自分のできることを目の前の人に贈って、
喜んでもらうことからはじめたはずだ。

心の奥の、脈打つあたりから、
自分自身に言われている気がした。

今うまくいかないことを、誰かのせいにするな。
仕事がつまらないのは、お前がつまらないからだ。
何者にもなれないのは、お前が何もしてないからだ。

変わりたい。

コピーの書き方を身につけて、
なにかいいことがないかと、
受け身でいる自分を。

なんのために働いてるんだろう?
なんのためにコピーを書いてるんだろう?

自分の生き方を真剣に考えたのは、
今から5年前。

2012年、僕が26歳の時だった。


生きてて良かったと思いたい。

生きてて良かったと思うことがある。

中学3年生からはじめたアメリカンフットボール。
大学4年生までつづけた。計8年間、没頭した。

試合に勝つのはもちろん嬉しいけど、
ハドルの瞬間が嬉しかった。
アメフトでは、円陣のことをハドルと呼ぶ。
試合中は、作戦を共有するためにハドルを組む。

「オールメンハドル!」

試合の前後には、声を枯らすほどの熱で、
全選手、全スタッフで気持ちを鼓舞していく。

この半径3メートルは、無敵だと思った。
気持ちがつながり合い、すごく生きている感じがする。
試合を決するビッグプレーが飛び出した時には、
スタジアムがひとつになる確かな手応えがあった。

この一体感が、大好きだった。
あぁ、生きてて良かったなぁと思える。
感情がこぼれだして、目頭が熱くなる。

それはきっと、僕の中学時代が、
圧倒的に孤独だったからだと思う。
友達もいなくて、休み時間は本の世界に逃避して、
放課後に居場所はなくて、逃げ帰るように家に帰り、
録画した「笑っていいとも!」を見るのが唯一の生き甲斐。
人との関わりに飢えていた自分が、
何か起こしたくて飛び込んだのがアメフトだった。

世の中に一体感をつくりたい。
もしつくれるのであれば、そのためであれば、
僕はどこまでも生き生きとがんばれる。
そのつながりは、誰かを変える。誰かを孤立から救う。
そんな志を持って、電通という会社に入社した。

一体感のはじめの「一」を、言葉でつくる。
それを僕は今、コピーライターでしようとしている。
これまで自分が歩んできた曲がりくねった道に、
ちゃんと答えはあった。

もしも、目の前の会社の仕事に心が入らないなら、
自分の面白いを見つける努力をしないといけない。

もしも、誰かにとって都合のいい自分でしかなくて、
胸が苦しいなら自分の仕事を切り拓かないといけない。

ただ、新しいことをはじめても、
すぐに評価される訳ではない。
そんなに社会と会社は甘くない。
場合によっては、また遊びみたいなことやってるって、
金にもならないことやってって、そんな風に見られる。

簡単には伝わらないから、新しいことなんだ。

だけど、だんだんと弱気になる。

会社の中で、評価項目に沿って加点されたり減点されたり、
金銭がからむフィードバックを受けると、戸惑う。修正される。

少しずつ、少しずつ、そのものさしが、
自分にとって大切なものさしになってきてしまう。

だから手が止まる。足が止まってしまう。
自分がやりたかったことは、消える。無かったことになる。
誰かの決めたことを当たり障りなくこなす、
これまで通りのお決まりの日々がはじまる。

でも、そういうことじゃない。
もしそれが、本当にやりたいことなら、
本当に信じることなら、つづけないといけない。
逃げない。やるべきこと、果たすべき責任を越えた上で、挑む。

それは勉強かもしれない。
それは文章を書くことかもしれない。
それは企画することかもしれない。
仕事が終わって眠るまでの数時間。
みんなが楽しく遊んでる休日。

誰よりも深く悩んで、
なんでこんなことしてるんだろうと思っても、
なんでだよと愚痴をこぼしそうになっても、
笑われたり、先行きが見えなかったとしても、
自分の心をつかいまくって、
誰かの心を奮い立たせる何かをつくらないといけない。
やり抜かないといけない。それが自分の選んだ道なら。

2013年、27歳。だから僕は、
ラブレターみたいな企画書をつくって、
会いたい人に会いにいった。仕事をつくりにいった。
もう待たない。コピーを書きに行く。
めちゃくちゃ大変で、いつも楽しかった。
目の前によろこんでくれる人がいる。
お金や人やモノも少しずつうまくまわりはじめる。
そこに自分がいる。すごく生きてる心地がした。
仕事に対する向き合い方が根底から変わっていった。

その年の暮れ、
「今でしょ!」は流行語大賞になった。
制作チームのひとりとして携わった仕事。
自分が面白い!と信じた一言が、
みんながつかう言葉になっていた。

ラーメン屋に入って、
隣の席に座った若い夫婦と小さなお子さん。

「いつ食べるの?」「今でちょ!」

そう笑いながら言い合っているのを見て、

生きてて良かったと思った。


手だけで稼ぐな、足でも稼げ。

「なんだよ、そういうことかよ」
読んでいた本を閉じ、僕はぼんやり宙を見た。

いい仕事がしたい。
いい仕事ができる人になりたい。
そうとなれば、いい仕事をしている人の本を読もう。
歴史に名を刻む偉人から、
現代を駆け抜けるトップランナーまで、
お手本にすべき人はやまほどいる。

とにかくこの世に成果を残している人の本を、
街の本屋で、アマゾンで、
仕事本やビジネス本を買い漁り、
暇さえあれば読みふけった。
彼らの言っていることの根底は同じだった。

動け、考えろ、続けろ。

これだ。ぼんやり宙を見ながら、確信した。
成功している人と、成功しない人の違い。
極論と言われるかもしれないが、
結局この3つでしかない。

そして、その自分なりの発見を、
自分に組み込まなければいけない。

他人がいかに動き、他人がいかに成し遂げたか。
本を読み、自分と重ね合わせ、やる気が湧いてくる。
でも所詮、人からもらった熱量はもって3日だ。
心地いい読後感だけでは、人生は好転しない。

自己啓発で終わらせちゃだめだ。
自己開発まで背伸びしなきゃだめだ。

いわば自分自身のエンジンを駆動し、
ガソリンをそそぎ続けなければいけない。

そのためにすべきこと。
それは、自分ならどうするか?を、
愚直に考えつづけることだ。

時に、2013年ごろから、
「広告業界はもう終わった」
「コピーライターに未来はない」そんな、
無責任なニュースが増えていたように思う。

いつだって、終わってるというやつが、いちばん終わってる。

僕はこう考えていた。

「広告とコピー」と捉えれば小さい。
でも、「仕事と言葉」と捉えれば、
コピーライターの活動領域は無限に広がる。
むしろ、こんなにも可能性のある、
エキサイティングな職業はないんじゃないかと思っていた。

その上で、働き方も変えた。
働くというより「働きかける」を大切にする。
3つのワークを、念頭において動きはじめた。

1、コピーワーク
その仕事の大義名分を考え、言語化する。
その言葉は、仕事のリーダーシップをとる。

2、フットワーク
まず動く。まず会いにいく。まず現場に行く。
好奇心の赴くままに、せっかくだからを大切に。

3、ネットワーク
ひと月に新しい人、50人と出会う。
他人と出会うことで、自分が見えてくる。

まだ無名で、まだ自分の存在なんて、
あまり知られてないということで、
自信がなくなったり、落ち込んだり、
すぐ言い訳しそうになる。
けど、けど、だからこそ、
誰かがチャンスを与えてくれることを、
誰かが見つけてくれることを、
待ってちゃだめなんだ。

手だけで稼ぐな、足でも稼げ。

そんな風に自分を奮起させて、
ただひたすらに、世の中に働きかけ続けた。

自分でつくった仕事が、
ほんのすこしずつ育ち、うまくまわり、
仕事への手応えと、それに対して、
自分の限界も見えてきた2014年の暮れ。

もうひと踏ん張り、背伸びする決心をした。

それが、学校をつくることだった。


他人と出会って自分になれる。

嫌いな先輩がいるのなら、
好きな先輩を見つければいい。

部活の経験を通じて、そう強く感じた。

僕がのめり込んできた、
アメリカンフットボールは、
関係のスポーツだと思ったことがある。

ボールを投げる人。
ボールをキャッチする人。
ボールを持って走る人。
ボールを持たずぶつかる人。
楕円球をゴールラインへと運ぶために、
極めて専門的な技能を持つ人たちが集まる。
それぞれの関係性が噛み合い爆発することで、
ひとつの強靭なチームが出来上がっていく。

アメフトをはじめた十代の頃、
僕はメガネでひょろひょろだった。
当然だ。本しか向き合う対象がなくて、
それまで運動はろくにしてなかったんだから。
日々のウエイトトレーニングと、成長期が重なり、
メガネはコンタクトになり、ムキムキになっていく。

からだの変化とともに、ポジションも変わっていく。
ボールを投げる人からはじまり、
最後はボールを持たずに敵を押す人へ。
すると同じチームでも、ともに過ごす先輩も変わる。
チーム全体で練習する時間はもちろんあるけれど、
練習の大半の時間は、ポジション別の練習になるのだ。

あるポジションで腹立つ先輩と出会う。
また違うポジションで敬愛する先輩と出会う。
たくさんの先輩との関係の中で、違う自分と出会う。

そして、同じチームで勝利という目標はひとつでも、
そこに関わる人の考えはひとつじゃないことを知った。
ダイバーシティなんて言葉、当時知らなかったけど、
色々が重なり合って、ひとつの色をつくりあげるんだと感じた。

社会人になって気づく。
会社も同じなんじゃないか。
同じ人、同じ環境、同じ居場所だけにいると、
そこにある世界は広がっていかない。
嫌な先輩がいるなら、外に一歩踏み出したらいい。
そこにはきっと、好きになれる先輩がいる。

でも最近は、外に開くどころか、
油断してると、スマホがあることでなお一層、
動くよりも、手の中で完結させてしまう気がする。
その結果ぽつんと、自分の孤島化がすすんでいく。

自分を開け。
他人を受け入れろ。

そうだ。
たくさんの人に磨かれざるを得ない、
学校でいう部活のような環境をつくればいい。
ひとりでどれだけ頑張っても限界がある、
なら、社会人になっても、
先輩・後輩の関係で、刺激の総量を高めていけるような
ひとつのチームをつくれたらすごくおもしろいんじゃないか。
いちど思ったら、いても立ってもいられなくなった。
それは社会人になって、いきなり、
人事に配属された自分の使命な気さえした。

そうして完成したのが、
横浜みなとみらいにあるコミュニティスペース
“BUKATSUDO”で開催している
企画の学校「企画でメシを食っていく」だった。

映画、お笑い、物語、ファッション…
あらゆる業界でひた走る先輩たちから、
課題を出してもらい、企画をし、講評を受ける。
まっすぐで、真剣なまなざしをしている。
講師のみなさんはもちろん、企画生のみなさんも。

この場で、繰り広げられる各講義のテーマ。
その中には興味を持っていなかった分野もあると思う。
でも、何かにひたすら打ち込む人に会うと、
「トントントン」と、
自分の中にいるまだ見ぬ自分を、
ノックされたような気になる。
その人のしてることに猛烈に惹かれると、
「ドン!ドン!ドン!」と、
眠っていた自分が叩き起こされる。

「え、こんな自分がいたんだ」と、
自分でも驚いて、もっと言うと、
それを自分もはじめたくなる。

半年間で12回のクラスがある。
いろんな自分が起きる。
いや、起きたと思いきや、
ほんの気の迷いだったかのように、
また寝てしまうこともある。

でも、誰かと出会って、火花が散って、
じんと熱くなって、ぐわーっとうずうずしはじめて、
いつの間にか、自分が変わることは確かだ。

2015年の一期、
2016年の二期を経て、
24回の熱を浴びてきた。
いちばん変わったのは、

僕かもしれない。


きっかけは一生忘れないから。

いつか、なにかあった時に、
おそらく見るであろう走馬灯ってやつが、
編集にこまるくらいの人生がいいなあ。

ふとんにもぐり眠りにつくまでのひと時。
ふっと、そんなことを思ったことがある。

一生忘れられない光景。
それは、このコラムにおいて、
ここまで綴ってきた自分の経験。
何かに挑んで、変わっていく世界。
それはもちろん目に焼き付いている。

それだけじゃない。

どちらかと言うと伏し目がちで、
飲み会でも、いつもすみっこの方にいて、
相手の瞳をまっすぐに見れなかった後輩が、
回を追うごとにほんの少しずつ、自信をつけて、
仲間を巻き込んで、企画をかたちにして、
すごくすごくまっすぐな目で報告してくれたとき。

ああ、目撃してしまったなと思う。

変わろうとして、人が変わる瞬間を。
心に熱をもつ感覚がじんわりと広がっていく。
そんな忘れられない人間ドラマを、
「企画メシ」という場は見せてくれる。

きっかけになりたいのかもしれない。

言葉は、誰かの始まりになれる。
言葉は、誰かの拠り所になれる。
言葉は、誰かの思い出になれる。

僕は誰かのきっかけになりたいんだ。
人生を変えるきっかけは一生忘れないから。
言葉を通じてそんな仕事をしたいんだ。

そう思った時に、以前に綴った、
これからの目標が出てきた。

広告の世界を超えて、紙もデジタルも超えて、
読んだ人が、ワクワクする、ドキッとする、ゾクゾクする、
ほんのり泣きたくなる、なんだか笑いたくなる、
そんなものを手づくりできる作家になりたい。

過去の目標に、
おい、今はどうだい?と、
背中を叩かれた気がした。

変わりたいと願った人が変われる、
そんな物語のそばにいたい。
湧き出る正直な思いは、どんどん大きくなって、
2017年1月、僕は、
会社のコンテンツをつくるセクションに異動した。

悩むこともある、答えが見えないこともある。
まっすぐ突き進めるほど、甘くはないと思う。

でも、自分の大切な芯は見つかってるから、
あとは、その瞬間瞬間、頭に汗をかいて、
よし、こっちだ!そう思う方にひたむきでいたい。

とことん考えた先の清々しさが、潔さだと思うから。

正直なところ、
これから自分がどうなっていくのか、
まったくわからない。

だからこそ、次、
どんな報告ができるのか?
楽しみで仕方がない。

東京五輪がある、その先も人生はつづく。

ここからだぞ、俺。

そう、5年前のコラムで言って、
また同じことを言うなんて思わなかったなあ。

30代、おもいきりいこう。

変わることをおそれない。
意味なんていくらでも後付けできるから。

2017年3月24日。
僕の2度目のリレーコラムは、
今日で終わりです。

金曜日までお付き合いいただき、
本当にありがとうございました!

最後に…宣伝させてください。

これまでの生き方、
これからの働き方をつづった書籍、
待っていても、はじまらない。—潔く前に進め」(弘文堂)
潔く前に進むためにはどうすればいいのか、書きました。
心を込めて、時間をひたすら掛け、
読んだ人の背中をぐぐっと押す本にできたと思っています。ぜひ。

そして、
BUKATSUDO講座「企画でメシを食っていく」つづけています。

これからも、たゆまず進みつづける。

自分の信じる、いい仕事をしましょう。

<2018年11月追記>

待っていても、はじまらない。—潔く前に進め」(弘文堂)全文公開しました。よろしければぜひ…!

<2020年3月追記>

あの日々があったからこの本が完成しました。

愛と書かずに愛を伝える本です。ぜひ。それでは、またどこかで!

このコラムのつづき、2020年版はこちらに↓


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