Birthday

『誕生日おめでとう、良かったら今度ご飯でも』
 当たり障りのない誕生日LINE。もう七年以上前、学生時代に何度かデートした間柄の先輩男性からの連絡だったので、少しドキッとした。まだ会おうとも言われていないのに、朝、鏡に映る自分の姿を凝視してしまった。まだかわいいとかキレイと思ってもらえるだろうか? 職場での男性からの人気が落ちているのは、ひしひしと感じる。デスクから顔をあげて左右に首を巡らせて、自分の置かれた現状を憂う。私の職場は若い女性が多い。それも二十五歳以下。若ければ若いだけ重宝される。毎年新卒の新品の二十二歳の女の子たちが入社する。あまりこういう言葉は使いたくないが、自分の女性としての商品価値はどうなのかと疑念を抱かずにいられなくなる。
 同期入社の仲間たちも結婚と転職で八人いた女子はわずか三人になった。その内一人は既婚、もう一人は私と同じ独身。こういう時、普通ならその同期に相談するのだろうが、いかんせん彼女とは馬が合わない。ここ二年ほど婚活、婚活と叫び、空振りを連続している彼女に振れる話題でもない。
 かと言って何も言わずにもし先輩と付き合って、うっかり結婚なんてしてしまったらとんだ抜け駆けだ。憤怒の形相で私を睨む彼女の顔が想像できる。
 それにしても、このLINEへの返事は非常に困った。
まず一点、今度ご飯でも、の言葉が社交辞令か否か。社交辞令であったなら食い付いて予定を決めようとするのは痛々しいだろう。三十路の迫る女の必死さ、と嘲笑されるのが頭に浮かぶ。
もう一点、今私には彼氏はいないが相手にはどうなのか。いるかどうかを確認するのは自意識過剰な気がする。でも聞かずにもし彼女がいて修羅場なんて言うのはごめんだ。だから断ればいいのだろうが、人間は論理的な生き物ではない。私の感情は先輩に会いたいと言っている。
最後の一点、今日は私の誕生日ではない。こんな真冬の、コートとマフラーの手放せない時期が私の誕生日ではないのだ。だから一番の安全策は「誕生日間違ってますよ~」と言って軽く流すことだろう。だが、会うくらいいいよな。それも相手から言ってきたんだし。昼休みになって、デスクの上にお弁当箱を開くと食事にありつく前に先輩にLINEを送る。
『ありがとうございます。是非、ご飯行きましょう』
 スマートフォンで入力し終えて、いざ送信しようとしたら背後で嬌声が上がった。
「えー! 桜井さんデートですか?」
 内心舌打ちする。三つ年下の前澤あゆが画面をのぞき込んでいた。声に反応して何人か若手女子が群がってくる。例の同期の一杉智恵は一重の鋭い目をこちらに向けている。入社した時の一番人気は彼女だったことを思い出す。クールな美形、頭もよくてスタイルもいい、だけど気が強すぎた。めんどくさいので適当にはぐらかす。
「男友達。それも二人きりじゃない、残念」
「えー、でも敬語でしたよね」
 コイツ、よく見てるな。冷や汗が額を滑るのを感じる。
「先輩だけどね、友達。残念でした。私のシングルライフはまだ続くよ!」
 そう言うとキャーッと歓声が上がる。私はこうして自分の身の上をネタにして彼女らに慕われている。同性に慕われるより、一人ステキな男性に好かれたいよなと笑顔の裏で私はいつも思うのだが。
 その日の仕事終わり、スマホを手にするとLINEの通知が入っていた。
『いつがいい?』
 先輩からだった。社交辞令じゃ、なかった。胸が高鳴る。日にちを指定すれば、もう先輩に会える。一度会ってみればいいか。別にすぐにどうこうする人じゃないし、こっちだってその気はないし。思ってみてから思う、本当にそうか? と。
 新卒で大手企業に入った先輩のその後の活躍は知らない。ただ、気まぐれに七年ぶりに連絡してきて会いたいと言ってくるからには何かがあるはずだ。彼女と別れたとか、手近な女が欲しくなったとか、そういうことが連絡するに至った理由ではないかと考えてしまう。
 でも、それでもいい。会いたい。
『週末なら構いません』
 それだけ送っておいた。
 その後、すぐに話はまとまった。土日をまたいだメッセージのやりとりで、店の場所も時間も日にちも決まった。水曜日の夜、それが約束の日だった。月曜日と火曜日はまるで仕事にならなかった。心ここにあらずで新人の頃にもしたことのないミスをした気がする。水曜日になると落ち着いた。もう、ここまで来たら会うだけだと腹が決まった。
 約束の十九時に間に合うように職場を出た。新年になってはや一ヶ月半。気付けばぽかぽかと暖かな季節がやってくるのだろう。まだその気配を感じることは出来ない。冬の空は上空まで凍てついて、どこまでも澄んでいる。
 待ち合わせた駅は恵比寿だった。JRの改札前は際限なく人が行き交い、先輩の姿はまだ見えなかった。上背はそんなにある方ではなかった。ヒールを履いたら視線が近く感じたので、身長はそこまで大きい部類には入らなかっただろうと記憶している。
 一度だけ、先輩と手を繋いだ。先輩の初恋の話を聞かされた。その時の記憶がよみがえったから、どうしてもと言われ、手を繋いだのだ。このままこの人と一線を越えるのだと思った。でも先輩はその日を最後に私と二人きりになることを望まなかった。
 右手を挙げてこちらに微笑みかける男性がいる、先輩だ。
「由里恵!」
「侑人さん、お久しぶりです!」
 こちらからも連絡の確認のために手にしていたスマートフォンをカバンにしまいながら駆け寄った。
「久しぶりだね、何年ぶり?」
「侑人さんの卒業以来だから七年とかですか?」
「もうそんなに経つのか。早いね」
「ええ、ホントに」
「じゃあ、まあいこっか」
 翻した体に巻き付くようにロングコートが揺れた。その背中を自然に追いかけた。

「生ビール二つ、あと鶏のなんこつのコンフィを」
 お願いしますと言い添えて、先輩、侑人さんは注文を終えた。
「今頼んだコンフィが美味しいんだよ。食べさせたくてさ」
 嬉しそうに侑人さんは語る。あとは何品か二人で決めよう、とメニューを広げて互いの顔の距離を縮めて相談する。いや、心臓に悪いわ。さっきからドキドキ通り越してどっくんどっくんいってますよ。男性とこの距離で話すのなんて、半年ぶりか。
「この豆アジのフリットとか美味しそう」
「いいね、それ行こう。あとサラダもだよね? 豆腐のサラダが美味しいんだよ。それでいい?」
「はい、大丈夫です。あとは、唐揚げとかどうです?」
「いいね、行こうか。とりあえずそんなもんにしとく?」
「そうですね」
「じゃあ店員さん来たら注文しよう」
 二人でまとめた注文をビールを持ってきた店員に侑人さんが伝えた。どうやら侑人さんはここの店の常連客らしく、軽妙なやりとりを店員と交わしていた。私がボーっとしていた時に店員が言ったのだ。
「侑人さん、彼女さん?」
 目と胸の大きな私より五つ近く若いであろう女性店員、ライバル視されてるのは値踏みするようなその視線からよくわかる。
「ああ、いやそういうんじゃないんだけど」
 侑人さんがそう言うと少し得心したような顔を女性店員はした。直後表情を営業スマイルに変えて「ごゆっくりなさってください」ととってつけたような挨拶をして去って行った。
 会話は当たり障りのないものばかりだった。来春から支社に出向になるからそれに向けて準備をしているのだと言う。その話を延々聞かされ、こちらも仕事の話をしてうまく核心を突かないように話をしていた。今日私にとって一番大切なことは、今後二人に未来があるのかと言うことである。
 やはり結婚だって意識する年齢だし、次に付き合う人とはそうなればいいと思っている。でも、ガツガツと彼女がいるのかとか、結婚願望はあるのかとか、聞けない。
「誕生日さ、誰かに祝ってもらったの?」
 そんなシーソーゲームの様相を呈していた会話で先に動きを見せたのは侑人さんだった。少し気まずそうにこちらを見ないで料理に夢中なフリをしている。演技に気付いていないふうを装う。
「いえ、半年前に別れて以来デートもしてなかったので」
「あっ、そうなんだ。フリーなんだ」
 安堵したような雰囲気を侑人さんの言葉から感じ取った。こちらから切り返してみる。
「侑人さんは?」
「ん? オレ?」
 また目を合わせなくなった。これはきっと彼女か奥さんがいるのだ。後ろめたさがにじみ出ている。やっぱり、男なんて。
「結婚、するはずだったんだ去年。それが、婚約者が他に男作って逃げられて。方々に頭下げ終わったら突然なんか空っぽになって。会社、行けなくなったんだ。ダサいでしょ?」
 自嘲するような卑下したようなため息を侑人さんは吐いた。
「今は?」
 そう尋ねるのが精いっぱいだった。
「復帰したけど、なかなか元の調子には戻らなくて。だからさっき言った支社への出向は半ば左遷だよね。島流し」
 お箸でするっと侑人さんは弧を描いた。
「でさ、すごい大変で参ってどうしようもなくなって。その時にパって浮かんだのが由里恵だった。なんでか分からない。付き合ってもなかったし、もう連絡だって途絶えてたのに助けを求める相手は由里恵しか思い浮かばなかった。なんでだかホントに分からないんだけど」
 いつも朗らかで笑顔を絶やさなかった侑人さんが怯えているのが分かった。侑人さんは人が怖くなっているのだ。それでも誰かに助けを求めなければならず、私を頼ったのだ。
「頼ってもらえたのは嬉しいです。でも、その大変だったお話を聞いて可哀想だから同情してどうこうって言うのは、なんか違う気がするんです。だけど、侑人さんが立ち直っていくお手伝いはしたいかなと思います。あと、私の誕生日は七月二日です。二月七日じゃないですよ」
 侑人さんが驚いた顔をする。
「えっ? この前じゃなかったの?」
「夏の日だって教えたじゃないですか」
「ツナの日じゃなくて?」
「違いますって」
「マジか、オレ勘違いしてたわ」
「でもその勘違いがなかったら、今日こうして会ってないですよ?」
 視線が絡み合う。
「それはそうだね。会ってなかった」
「大変だったと思いますけど、侑人さんがそのショックで取り返しのつかないことをしてなくてよかったです。またこうして会えて、安心してます」
「ごめん、ありがとう。オレも会えてよかった。情けなくて、申し訳ないけど」
「情けないなんて自分で言うもんじゃないですよ。またこうやって飲みましょう。話ならいくらでも聞きますから」
「ありがとう」
 新たな恋のはじまりを感じていた、予期していたものとは少し違ったけれど。手負いの虎が相手だとは思っていなかったのだ。でも自分が支えてこの人が力を取り戻していくのを眺められたら、私はもしかすると幸せかもしれない。


fin

おはようございます、こんにちは、こんばんは。 あなたの逢坂です。 あなたのお気持ち、ありがたく頂戴いたします(#^.^#)