1ダースの恋 Vol.18【最終話】
「水香……」
薄手のコートを羽織った水香がこちらへ歩いてくる。その距離が5mを切ったところでオレは片手を突き出して止まれ、と合図をした。
「すまない。再結成はなしだ」
努めて笑顔で言った。その言葉で全てを察したのだろう、水香の表情の悲哀の色が強まった。さらに口を開こうとする水香の先を制する。
「何も言うな。オレとお前の道は10年前に違った。お前は進んで、オレも別の方向に進んだ。いっとき、お前と音楽出来たことは誇りだ。でも、その感情とやり直すやり直さないは別だ」
「……でも、リッツ!」
歩み寄ろうとする水香に首を振る。
「お前じゃないんだ、お前じゃダメなんだ」
グサリと自分の言葉のナイフが水香をえぐったのを感じた。オレ自身の胸も痛かった。だが、誰かを選ぶことは誰かを選ばないことなのだ。それは意図せず誰かを傷つけることで、だとしたら覚悟を持って意図して傷つけることもまたひとつ与えられた使命なのだ。
「屋上、だったよな?」
立ち尽くす水香を置き去りにしてビルに立ち入り、上層階行き専用のエレベーターに乗って最上階のボタンを押した。グッと自分の体が持ち上がり、信じられない速度でエレベーターは上昇していく。
亜美とのこと。なんか、放っておけなかった。オドオドして、人の顔色うかがって。あの頃、水香といたころの自分がそうだったことを思い出した。
あの岩本水香が惚れた男、と様々なところから興味本位の女がオレのことを眺めに来た。パンダになった気分で、場合によっては鼻で笑われ、ピアノを弾くことがどんどん怖くなっていたころ。
そんなころの自分を見ているようで、何か気に食わなくて声をかけた。
あんなに曖昧な態度をとっていた彼女が、オレへの迷惑を迷惑とも思わず、一体どうしたというのか。
最上階に着くと、外階段を使って屋上へ出た。雨の中、屋上に人影はひとつ。
傘を差したその後ろ姿を見て、自分の心が昂るのを感じた。
傘を持ってこなかったことを、後悔した。いや、この期に及んでオレは何を考えているのか。
「亜美……ちゃん」
亜美、叫ぶようにそう言って、彼女の意図するところがオレと違うところにあった時のためにぼそっとちゃん付けした。
振り向いた亜美は泣いていた。
キレイだった。生まれてきて、ここまで生きてきて、こんなにキレイなものをオレは目にしたことがあっただろうか?
吸い寄せられるように歩みを進めた。
「律さん」
亜美に名前を呼ばれ、胸の奥がキュッと締め付けられたのが分かった。どうしようもない、バカな男だ、オレは。
「はは、傘忘れちゃって、貸していただけます?」
出会いの時を思い出して、軽口に聴こえるように精一杯虚勢を張って言った。
亜美はその言葉を聞いて、肩をゆすって笑い出した。
「ええ、はい」
そう言うと互いが歩み寄って相合傘をした。亜美から傘を受け取って、オレが右手で傘を持った。
亜美が恐る恐るこちらを見る。オレの右手に、自分の左手を重ねていいか、ためらっているのだ。オレの勘違いでなければ、亜美も……。
「亜美ちゃんさ、オレのことどう思ってる?」
「え?」
亜美はこちらを探るような目で見つめた。
「いや、ダメだ! そういう聞き方ずるいよな!!」
オレは雨に濡れた頭を盛大に振った。頭に滴っていた雨粒が、飛び散る。
それを亜美は嬉しそうに浴びている。なんだよ、この子。
気付いたら傘を捨てて、亜美のことを抱き締めていた。
「あのさ」
「うん」
「オレ、たいした人間じゃないよ」
「そうだね」
亜美が腕の中で笑う。
「付き合ってもない女の前で泣くしさ」
「うん、泣いたね」
「他にも色々あるしさ」
喉の奥に引っ掛かるくぐもった笑いを、今度は亜美はあげた。
「それ気になるなぁ~」
「でもさ、多分、オレ、亜美のことが好きなんだ。誰よりも」
亜美の手が痛烈に肩を叩いた。
「多分って何?」
「えっと、恐らくって意味?」
オレがおどけてそう言うと、オレの胸板をぼこすか亜美が叩き始めた。
「そんなのさ、ないよ。カッコよくちゃんと決めてよ」
そう言われ、背筋がしゃんとした。
「オレは、野口亜美が好きだ。だからオレと、付き合って下さい」
言い終えると同時、亜美の唇にキスをした。
唇を合わせるだけのキスを長い時間し終えて、亜美は言った。
「はい」
オレたちの出会いは偶然だったのかも知れない。
あの日、あの時、オレたちがあのトイレの前で出会って、オレが声をかけなければオレと亜美は結ばれなかった。
だから、人生ってなんなんだろうって思う。
来る時は一人だったエレベーターに二人で乗っていて、手をつないでいて。
それもすごく不思議だし、というか意味が分からないし。
因果とか、運命とか、そんなものがあるんじゃないだろうかとか。
そんなのもっと意味分かんねえしと思いながら、でも、大切な存在が隣にいること、大切な存在のために自分が強くあれることを自分の心臓が強く物語っていた。
「亜美」
「なに? 律?」
「ナンパ、ついていくなよ」
「はは、何それ」
「朝飯はバナナとゆで卵な」
「え~、やだそれ」
「二日に一回は一緒に筋トレな」
「一人でやって、それ」
その返事に、二人で顔を見合わせて笑った。
この出会いに感謝だ。そして、ここに至るまでの様々な出会いにも、感謝だ。
誰にも出会いはある、恋もある。
病める時も健やかなる時も、人はそばにいる。
その誰かと手を取り合えたなら、それ以上の幸せはない。
少なくとも、オレはそう感じる。
あなたの隣にも大切な誰かがいることを願って。
~FIN~
Thanks for Tayu,koneko,fuyuhotaniisann.