九州へ移住します この度、40年間生きてきた東京から九州の大分県へ移住することになりました。その為、株式会社ピカピカを年内で退社致します。 3年半前、コロナ禍で精神も生活もズタボロだった僕は家に引きこもっていました。俳優業を15年、鳴かず飛ばずではあったけどありがたい事にお仕事をコンスタントにいただいていました。しかし、コロナになり舞台ができなくなりこの先の人生が不安になっている時に、YouTubeで入江さんが清掃している姿を見ました。「この人の下で働きたい!」そう思いすぐ
こんばんは🌙 この度17LIVEを始めることにしました。 LINEライブと言うアプリで配信というものに出会い、数年配信をしていました。色々あってそのアプリを辞めました。それから、俳優という職業を離れ、表現することを封印してきました。 仕事に向き合い、清掃員として1年半。もちろん、これからも今の仕事に誇りを持って頑張っていきます。 ただ、1度きりの人生。僕は表現することをしていたい。だから、聴いてくれて、見てくれる人が1人でもいるのなら配信というツールを使って表現して行
2022年の大晦日 久しぶりにnoteを書いてみます ただ、Simejiを使ってるのですが、キーボードの所に花火がずっと打ち上がっていて文字を打つのに邪魔すぎます笑 Simejiを使ってない方には何を言っているか分からないと思いますが、Simejiを使ってる人は共感してくれてると思います笑 さて、2022年が終わろうとしています!社会人2年目の僕は、今年もまだまだな部分があるし、ダメなところもたくさんありますが、少しだけ成長できたかなと思っています。 12月はほとんど
いつの間にか38歳になっていた。 子供の頃サッカーに全てを捧げ、高校サッカーに出ることや、Jリーグを夢見ていた僕は小学校の卒業アルバムで【将来の夢】のところに「有名になりたい」と書いた。この時は自分の名前をサッカーで知ってもらえるようにという夢だったはず。 小学校では区の選抜に選ばれ東京都で戦ったりと、本当にサッカーに時間を使った。サッカーを諦めたのは高校受験に失敗したのがきっかけだ。それまで全国高校サッカー選手権に出ることを夢見てたがそれが叶えられなくなり、そこで諦めた
ピカピカに入り1年が過ぎ、今は1番仕事へのモチベーションが上がっている。目標を自分の中で立て、40までにどうなっていたいかを具体的に考えるようになった。個人的な目標もあるが、会社をどうしたいか、会社の為に何をすれば良いかを考えるようになった。 入江社長がずっと仰っているスピード感を大切にするということ。自分の性格上かなりマイペースなところがあり、30年以上もそれで生きてきたのでなかなか言われても変わることができなかった。でも、最近は意識的にそこを変えている。人間が変わるには
今日はちょっと仕事のこととは関係ないことを綴ります。 9.11 僕は21年前の今日、アメリカに居ました! あの日から21年が経ちました。信じられない……高校2年から21年も経ったのか。早過ぎる。 未だにあの日の事は鮮明に覚えている。高校2年生の僕はアメリカ研修でアメリカのテネシー州にいた。2ヶ月間の研修も後半に差し掛かり、楽しさ最高潮だった。アメリカと言えばニューヨークやロサンゼルスを想像していたが、テネシー州はかなりの田舎。最初はがっかりしたが、都会生まれの僕はアメ
僕は小さな頃から恥ずかしがり屋だった。 人前に出るのが苦手で、小学校に上がって授業中先生に指されて発言しなければならない時にはスグに赤面してしまうほど。バイオリンをやっていたが発表会に出た時は死ぬほど緊張した。 しかし、大好きなサッカーをしている時だけは違った。ゴールを決め、注目された時の快感。目立ちたい!褒められたい!認められたい!そう思っていたのだと思う。 学芸会や、合唱コンクールなどは目だなたいように目立たない役を選んだり小さい声で歌うようにしたりしていた。 そ
全ては人と人との繋がり。 先日、とあるお宅にエアコンクリーニングに行かせていただいた。そのお客様はTwitterから御依頼をいただいた。 「三浦孝太指名で!」 指名は初めてだった。 その方は仮面ライダーアマゾンズで僕のことを知ってくれてファンの男性だった。 遊友にも来てくれたことのある方で、お顔を見てすぐに分かった。作業をしながら、アマゾンズの話や遊友の話をして懐かしくなった。 俳優を辞めたことで離れていった人もたくさんいるが、こうして今の僕を違った形で応援してくれよ
昨年の7月、僕がピカピカに入社したのと全く同時期にピカピカに入社した男がいる。 彼は僕同様、YouTubeの山本圭壱さんのチャンネルに入江さんが出ていたのに感銘を受け、インスタのDMで入江さんに直接連絡した。 その日から僕らはずっと一緒に歩んできた。全く異なる職種からお互い清掃業に飛び込み入江さんの元で自分を変えようと足掻いていた。 彼は沖縄出身で、僕よりもマイペースなところがあるが、ひとつの事を突き詰めるという職人気質なところがあり、僕なんかより清掃業に向いていた。清
こんばんは! 今日も暑い中みなさんお疲れ様でした! さて、今日はと言うと。営業方法を変えてみました。言わいる飛び込み営業。しかしながらこのご時世、コロナ禍において飛び込み営業は特に嫌がられる。 なかなか話を聞いてもらえない。3時間くらいずっと歩き続けました。汗だくになりました。営業の方は今どのように動いているんでしょうか?良かったら教えて欲しい。 初めてのところに飛び込むというのは中々勇気がいります。正直怖いです。でも相手方の方が怖いですよね。いきなり来られて何を売り
8月に入り、社会人として2年目に突入した。 1年間清掃業をやり、何も分からないまま試行錯誤しながら続けてきた。この職は自分にむいてるのか?自問自答しながら続けてきた。 1年前までやっていた俳優と言う職業とは180度違う清掃員という仕事。いつまでこの仕事をやるかは分からない。自分がこの先一生続けていくのか。 そんなことを悩んでいたが、まだ何もやり遂げていないのに悩んでる場合ではない。会社のために、そして、将来の自分のために、やり切らないと。 8月に入り、現場へ出ず、営業
今僕にはひとつの夢がある。 セカンドキャリアとして生きている今の自分の経験を元に、大好きなことと繋げてみたい! 過去の経験を、そして自分の感覚を生かして、新たな物を作ってみたい。僕がいつかやってみたいと語ったことを入江さんが「やってみなよ」と言ってくださった。 それを実現するためには生半可な気持ちではできないので、しっかり今から準備していきたいと思う。もし、それを実現できて成功したら、また新たな道が開けるのではないかなと思っている。 ピカピカに入ってから4ヶ月経つが、
11月6日から7日 宮崎に社員みんなで行ってきました! 今回の目的は極楽とんぼの山本圭壱さんが主催されたフェスを見に行くこと。山本さんのYouTube、けいちょんチャンネルを僕はずっと見ている。今の株式会社ピカピカに入社したきっかけとなったのもこのチャンネルのおかげである。 昨年、コロナの影響で何もできなくなってしまった時にYouTubeを見ているとカラテカの入江さんが山本さんのチャンネルに出ていて、入江さんがセカンドキャリアとして頑張っている姿、山本さんが全てを理解し
株式会社ピカピカでは特殊な福利厚生がある。他の企業ではおそらく体験できないこと。 先日カンニングの竹山さんの竹山報道局を見学させていただいた。今回の竹山報道局に入江社長が出演したのだ。今回の内容が放送禁止という竹山さんが毎年開催されているLIVEの今までを振り返ると言った内容。入江さんはこちらのLIVEへ毎年欠かすことなく見に行ってらっしゃった様で、今回ゲストとしてお声がかかった。 竹山さんはこのLIVEを2008年から毎年開催している。14年も続けている事が素晴らしい。
俳優をやりながらバイトをしていた日々。正直言ってバイトはお金を稼ぐための手段でしかなかった。もちろん楽しかったバイト先もあるが、ほとんどの場所では楽しさを感じなかったし、ただただやるべき仕事をこなし、バイト時間が過ぎるのを待っていた。 宅配、館内配送、事務、コンビニ、レンタカー、などなど上げればキリがないくらいアルバイトを経験したが、どの仕事も生活をするためにただただこなしていた。言ってしまえば誰でもできる仕事。手に職が付く訳でもなく、自分がいなくなったとしても代わりはいく
みなさんは清掃の仕事と聞いてどんなイメージを持っていますか? 決して目立つ仕事ではないし、地味なイメージだと思います。裏方の仕事で、輝くことはないし、下に見られる職業かもしれません。実際、芸能界という華やかなイメージの場所とは真逆のイメージであることは確かかもしれません。 しかし、入江社長はそのイメージを変えたいと仰っています。入江社長は芸能界という華やかな場所で、トップの方々と一緒にお仕事をされてましたし、第一線で活躍されてました。 そんな入江さんが清掃員になり、独立