『マルホランド・ドライブ』考察:腐乱死体のみる夢?新解釈!
デヴィッド・リンチ監督の映画『マルホランド・ドライブ』(2001)は定期的に見たくなる作品の1つ。
もう何回見たかわからない。それでも見るたびに新しい発見がある。
今回はまた新解釈を発見できたので、なるべくわかりやすく解説していく。
(しかしやはり、考察記事を描きながら何度も頭がおかしくなりそうだった。やはり『マルホランド・ドライブ』は一筋縄じゃいかない…)
※記事は全編ネタバレありなのでご注意!
マルホランド・ドライブ定説の解説
いきなり新解釈から入ると混乱すると思うので、まずは前提として『マルホランド・ドライブ』解釈の一般的な定説を書いておく。
簡単にいうと、前半がダイアン(ナオミ・ワッツ)の夢であり、後半がダイアンが見ている現実という解釈(+α ダイアンの回想も混じる)。
ハリウッドに出てきたものの全然売れないダイアン。嫉妬と絶望から恋人で売れっ子女優・カミーラ(ローラ・ハリング)の暗殺を依頼
カミーラが死なないで、自分と一緒になる願望が夢になって現れる(リタとベティが登場する映画前半)
暗殺完了の合図(青い鍵)を見て絶望し、自殺するラスト
夢ではリタ→現実ではカミーラ
夢ではベティ→現実ではダイアン
アイデンティティーのねじれ構造があります(フロイト的でもある)。
前半の夢パートでベティ(ナオミ・ワッツ)が「夢みたい!」と言うと、それを聞いたリタがクラクラとよろけるシーンがある。
潜在意識が夢だと認定するのを恐れているのだろう。
次は、他の考察記事ではあまり語られていない新解釈について解説していく…。
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