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第二章 リスニング0点!?三角関係を育んだ語学学校。
2017年11月2日木曜日、オーストラリア・ブリスベンに到着。
金曜日にエージェントのオリエンテーションに行き、土日を挟んで、いよいよ月曜日から語学学校が始まった。
オーストラリアのワーキングホリデーでは、最大17週間(4ヶ月間)学校に通うことができる。
何度も言うように、僕の英語はからっきし。小心者の僕は、仕事をする勇気なんか到底持ち合わせていなかったので、当然のように4ヶ月間の語学学校を申し込んでいた。
日本で仕事に疲れてしまっていたこともあり、すぐに働きたくもなかったというのもある。今でも働きたくはない。
なんて言ってたって、ワーキング「ホリデー」なのだ。ホリデーをするんだ!と謎に意気込んでいた。
語学学校は毎週月曜日に入学できる。
大抵の学校は入学日もしくは、入学前にクラス分けテストをすると思う。例のごとく僕が通った学校もクラス分けテストがあった。
同じ入学日だったスペインの男の子と隣になり、
「Nice to meet you.」
なんて言いながら、心臓はもうバックバク。口から出てくるかと思った。
テストは、パソコンに向かって、文法・単語・リスニング。隣の席のスパニッシュの男の子と一緒にスピーキングの面接。
めちゃくちゃ英語話せるじゃんか…こいつ…と思いながら、ビビり倒していた。
自己紹介とオーストラリアに来た理由、ビザの種類を「プレゼンテーションして」なんて言われたけど、それはもうお粗末なものだった。
日本で英会話に通っていたし、文法は一通りやってきた。単語帳も繰り返し繰り返しやってきたので、米粒程度の自信が無いわけでは無かったが、それはどうやら一足先に日本へ帰ったらしい。
スパニッシュの子が話し終えると今度は僕の番。My name is でさえ遠く日本に飛んでった。真っ白になった。
さすが、そこは先生も慣れているのか、「What’s your name?」とフォローしてくれた。
その一言のおかげで、なんとか最後まで’’プレゼンテーション’’を終えることができたけど、あのプレゼンテーションにはジョブズも腰を抜かしただろうと思う。
もちろん、悪い意味で。
テストの後、学校の一通りの説明会があり、学校のルールや授業の取り方、ブリスベンシティの話なんかを聞いた。もちろん英語で。分かるはずがない。同じ入学日で、今でも仲の良い日本人の友達も「あの時は100%理解できなかったよね!」なんて、後日爆笑した。
でも、その説明を聞いてる時は、その分からなさに、魂も日本に帰っていたと思う。
学校の説明を受けている間に、テスト採点がされて、その後すぐ結果が発表された。
そして、そこで事件が起こる。
「Hey Kota!!Did you take a listening test?」
もう訳が分からなかった。
「へい、こーた!リスニングのテストやった?」
そう聞いてきたのだ。答えはもちろん
「Yes,I did.」
やっていないわけがない。文法・単語・リスニングとつい30分前に受けた事をハッキリと覚えている。
だが、その後すぐにその意味が分かった。
テストの結果を見たら、なんとリスニングが0点だったのだ。
なるほど納得。0点の結果だけ見て渡してくれたその先生は、俺が受けてないと思ったらしい。
つまり、そのリスニングテストで0点を取る生徒はいないという事だ。
一抹の不安は、十抹くらいに膨れ上がったのはいうまでもない。
僕が通っていた語学学校のジェネラルコースは、下からビギナー・エレメンタリー・プレインターミディエイト・インターミディエイト・アッパーインターミディエイト・アドバンスドとクラスが分かれている。
他にもIELTSクラスやケンブリッジコースなどの資格対策コースもある。
テストの結果で、どのクラスに行くが決まるわけだ。リスニング0点だったので、当然一番下のクラスだと思っていた。
ところがどっこい、プレインターミディエイトだった。きっと、文法と単語で良い点を取っていたからだと思う。
リスニング0点のおかげで、日本に帰ってしまった米粒ほどの自信も、いまやマントルに到達する勢いで降下中。次の日からのクラスが憂鬱でしょうがなかった。最悪の語学学校の始まりだと思いながら、ホームステイ先へ帰った。
ちなみに、同じ入学日で今でも仲良い子もプレインターで同じレベルだった。2クラスあったので、クラスは違ったけど、なんと心強い味方がいるのかと、それは本当に安心した。
僕は、そんなことで安心してしまう程度の器の持ち主なのである。
翌日、登校をすると何人かすでに教室にいた。クラス分けテストの時に見覚えのある顔もいて、ちょっと安心。
僕は、一番後ろの席を選ぶくせがあるので、例のごとく一番後ろの席に。クラスに馴染めるかどうか不安だったので、教室の後ろで小さくなっていた。
続々と登校してくるクラスメイト。
彼らは顔を合わせたら「How are you?」って笑い合うし、僕に気づいたら「Who are you?」って顔で見てくる。そんなことは全然思ってなかったと思うけど。
とにかく、今日から始まる、久しぶりの学生生活にビビり倒していた。
担任の先生は、学校で唯一のアメリカ人だった。日本の英語教育はアメリカ英語だし、1年間通っていた英会話の先生もアメリカ人だったので、めちゃくちゃ英語が聞き取りやすかった。
たまに違う先生が来る時もあったのだが、オージーの先生の英語は全然聞き取れなかった。今でこそ、アメリカ英語の方が違和感を感じてしまう程度にはなったけれど。
すごく良い先生で、新しく入った僕らがクラスにすぐ馴染めるように、授業中もよく声をかけてくれたし、積極的にペアやグループを作って、クラス中で交流ができる授業をしてくれた。
そのおかげもあってか、次の週にはだいぶ馴染めていたと思う。
隣の席のサウジアラビアの男の子もめっちゃ面白かったし、年下の韓国人の男の子とはベストフレンドになった。
語学学校に入学してすぐ、クラスでピザパーティ
そして僕は斜め前に座っている女の子に恋をした。
僕の語学学校生活を話す上で、その子の話は避けて通れない…と思う。
だから少しだけ、彼女の話をしようと思う。
韓国人と彼女と僕の三角関係のお話だ。ちょっと気になるでしょ?
読者のみんなは語学学校の様子なんかを知りたいかもしれないけど、それは後で話す事にするね。
まずは、僕の恋バナから聞いてくれると嬉しい。
もし恋バナに興味がない人は、親指で3回ほどスクロールをしてくれたら、スキップが出来るかと思う。
✱ ✱ ✱
クラスに始めて入った日(クラス分けテストの翌日)から、ランチに誘ってくれたのが彼女だった。
僕が通っていた語学学校は、昼のクラスを選択している生徒は、夜のクラスも無料で出れる事になっていた。
1週間単位で夜のクラスへ申請ができるので、テスト前の1週間、その子と朝から晩までずっと一緒にいた時期もあった。
図書館で一緒に勉強した時もあれば、学校のアクティビティに参加した時もある。2人で一緒にお酒も飲んだし、将来の話も、生い立ちだって、家族の話だってした。
もちろん、恋の話も。
彼女は、僕の2つ上の人で、僕よりも3ヶ月くらい早くから語学学校に通っていた。学生ビザでオーストラリアに来ていた人で、優しくて気が遣える人だった。
年は上だったけど、年齢なんか気にならないくらいに気が合ったし、とにかく一緒にいるのが楽しかった。
自然と彼女の周りの人たちと仲良くなって、みんなで旅行に行ったり、彼女はクリスマスパーティーとか、友達との飲み会に誘ってくれたりした。
どんどん惹かれていったし、気持ちも隠す事もしなかったから、僕の気持ちが向こうに伝わっていたのも知ってた。
ただ問題は、彼女には彼氏がいたということ。
どう?ちょっと盛り上がりそうでしょ。
そう、韓国人の男の子とお付き合いをしていたのだ。
当然僕もそれは知ってた。彼氏いるか聞いたことがあったし、彼氏の話もちょこちょこ聞いていたから。
それでも諦められないくらい、めちゃくちゃに好きになった。なんであんなに好きだったのか、言葉にできない。あぁ、小田和正が心に染みる。
でもひとつだけハッキリとしている事がある。
彼女と韓国人の彼のお付き合いが、必ずしも順風満帆では無かったという事だ。もちろんこれは、僕の主観でしかない。彼女から聞いていた話を基に、僕が想像していただけ。
僕には話さない彼の良いところも、たくさんあったと思うし、カップルだけが見る事ができるお互いの顔なんかもあったはずだ。
ただ、僕が聞いている話の中では、彼女がどうしても心から幸せには見えなかった。好きな人が暗い顔をしていたり、涙を流したり、そんな姿は見たく無かった。
俺ならそんな想いさせないのに。って本気で思ってた。だから彼女にもそう伝えた。
ある時、彼女と2人でお酒を飲みにいった時、告白をした。出会ってから2ヶ月経つか経たないかくらいの時だったと思う。
彼女は、元々僕の気持ちに気付いていた事もあったし、すごく真摯に受け止めてくれた。
「ちゃんと考えたい」って言ってくれたし、その時は、僕の全ての気持ちをぶつけたから、もしかしたら…って気持ちがあったことをハッキリ覚えてる。
そして、その日に事件は起きる。
彼女が終バスを逃してしまった。いや、わざと逃したんじゃないかなって、少しだけ思ってる。だって、あの時、最終バスに走れば間に合ったと思う。
でも、君はもういいよって言った。
僕もずるいから、彼女といられるから、走るのをやめた。
Uberで帰る話も出たけど、高いからという理由で却下。始バスを待つ事にした。
当時僕の家が徒歩圏内だったけど、男6人で住んでいたシェアハウスだったし、友達連れ込みが禁止の家だったので、家に行く事もできなかった。
もちろん好きな女性を1人にするわけにはいかないので、僕も朝まで待つ事に。本音は彼女と待ちたかった。
公園のベンチで、ブリスベン川とシティの夜景を見ながら、色々な事を話していた。あの瞬間ほど幸せな時間は無かったんじゃないかな。
だけど、そんな平穏も一瞬で崩れ去る。
若い男女3人組に絡まれたのだ。そのエリアで絡まれた事はなかったし、そんな話も聞いた事なかったのでめちゃくちゃびっくりした。
物は投げられるし、「F*ckin Bitch!!」と追いかけらて、思いっきり背中を押された。
僕だけならまだしも、好きな子にも手を出すので、よっぽどキレかかるところだったけど、意外と冷静に、彼女を僕の前にして、手を繋いで、なんとか逃げた。
幸い、彼女にも怪我はなく、人通りの多い道まで来れたので、そこまで追いかけられはしなかったが、あの時、あそこで手を離してしまった事を、実は今でも後悔している。
あそこは、手繋ぎっぱなしのシチュエーションだろ!笑
そんなこんなで、ブリスベンシティにあるマクドナルドに逃げ込む。
だが、事件はまだ続く。
僕と彼女がマクドナルドに入ってしばらくした時、彼女の携帯が鳴った。電話の相手は、韓国人の彼。最初は、僕に気を遣ってシカトしていた彼女に、何回目かの電話で出てもらった。
さすがに無視し続けるのは、彼もかわいそうだ。
韓国人の全員がそうだとは言わないが、女性を深く深く愛する。誤解を恐れずに言うと、「お前、俺の女に何してくれちゃってんの?おぉ??」って人が多い。
愛するが故の束縛…なんかも少なからずあるようだった。
彼女は、そんな彼の言動に少し嫌気がさしていたところもあったようだ。
彼と電話をして戻ってきた彼女に聞いてみると、どうやらマクドナルドに一緒にいる事がバレたらしい。
今日、僕と2人で会う事を告げておらず、かつ終バスを逃した事もバレたらしい。
ここで疑問が出たと思う。
"なぜ、一緒にいたのがバレたのか。"
韓国人の彼は当時、ブリスベンから車で2時間ほど離れた地域に住んでいたので、彼が知る術などないと思っていた。
そこに漬け込む僕もずるい。いや、好きならそんな事は関係ないのだ。
なぜバレたのか…
マクドナルドに入るところを、彼の友達の韓国人に見られてしまったらしい。
韓国人同士のネットワークが強いのは、オーストラリアに住んでいる人なら分かると思うけど、どうやら、そのネットワークに引っかかってしまったらしい。
その友達から、彼に連絡が行き、僕らが一緒にいるのがバレた。
彼女は、彼に「なにもない」と電話で伝えていた。実際、やましい事は何もなかった。
僕が告白して、手を繋いで、マクドナルドで頭ポンポンした以外は。
大人の男女だ。それは何もないに入れても、バチはあたるまい。
それから1時間に一回ほど電話がくる。その度に彼女が出ていたので、さすがにUberのお金出してでも帰そうかと思ったけど、それを断る彼女に、僕は嬉しさがら込み上げてくる。
一緒にいられるのが、ただ嬉しかった。決してやましい事何もない。マクドナルドじゃなかったら、分からないけど。
そして明け方5時頃だったと思う。始バスまであと、1時間半くらい。僕も彼女も寝ぼけ眼になりつつも、おしゃべりしていた。
すると、突然彼女から
「こーた、やばい」
と一言。
どーしたの?と言う僕の質問に対する答えは、驚くべきものだった。
「彼がマクドナルドに着いたって」
寝耳に水だ。彼が来るなんて、想像もしていなかった。なんてったって彼が住んでいるのは、ブリスベンから2時間離れた田舎町。しかも夜中。
言葉を失いつつも、冷静に考えたら、何もなかったにせよ、男女が一晩を過ごしたのだ。
彼からしたら、「何してくれとんじゃ、われぇ」だろう。しかも、彼女を深く深く愛する韓国人の彼氏。
実は彼とは一度だけ面識があったので、顔を合わせた時は穏やかな「How are you?」だった。
「じゃ、彼来たし俺は歩いて帰るね!」と告げると、
「Hey,wait. I wanna talk with you.」
と制止された。
この一言目と二言目は一生涯忘れる事は無いだろう
その二言目は「I don’t like this situation.」
修羅場が始まった。
それから、彼の怒涛の攻撃が始まった。殴られるかと思ったがさすがにそれは無かった。韓国は、アーミーに行かなければいけないのだが、彼もまたアーミー上がりだったので、僕のヒョロヒョロの体で殴り合いなど、勝てる気がしない。何より僕は平和主義なのだ。
ただ、彼の怒りはMAXを超えていた。
隣では彼女が俯いて、泣いていた。
彼女の性格もよく分かっていたので、気持ちは痛いほど分かった。
自分の事を好きな男性が、数時間前に告白してくれた男性が、自分のせい(バスを逃した、彼に言っていなかった)で、自分の彼氏から罵詈雑言を浴びている。
こんなに苦しい事はないだろう。
僕はこの時の彼女の表情を忘れる事ができない。彼女が思っていた事なんて、微塵も思っていなかったし、僕に責任があると思っていた。
そして何より、彼女にあんな顔をさせる、目の前の彼氏が許せなかった。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に、彼はヒートアップし続ける。時間にして20分くらいだったと思う。かなりまくし立てられた。
とにかく彼女を家に帰してあげたかったし、彼をなだめなければ、何もならなかったので、僕は生まれてから、それもうダントツで、カッコつけた。後にも先にも、あんなにイキることは無いと思う。
「We are just friends!!And she’s always talking about you.She really likes you.Don’t worry about that.」
英語で、しかも数時間前に告白した女性の前で、
「僕らはただの友達だよ。いつも彼女は君(彼氏)の事を話してる!彼女は君の事が好きだよ。心配することは無い。」
言ってやった。よく言った俺。
そう思った。
おかけで彼も落ち着いて、謝ってくれた。
ただ、彼女の気持ちを考えたら、言うべきでは無かったのかもしれない。正々堂々、俺は好きだ!と言うべきだったのかもしれない。
それは、彼女を奪いたいとかじゃなくて、「自分のことを好きな男性が、自分の彼氏に対して、彼女は彼の事が好きだよと言わせてしまった」と責任を感じさせてしまったからだ。
後日話した時に、謝ったけど、カッコつけるべきでは無かったのかもしれない。
未だに正解は分からないけど、申し訳ない気持ちはずっと消えない。
これがクリスマスホリデーにあった事件。年が明けて学校が始まったときは、顔を合わせても友達の前ではいつもと変わらない生活をしていた。
多分、周りの友達も気づいていなかったと思う。
そして、忘れられない。1月7日。僕は振られた。
学校の空き教室に呼ばれて、2人で話した。
きっとそーなるだろうなって気持ちもあったけど、もしかしたらうまくいくかもしれないって気持ちも、めちゃくちゃあった。正直ね。チャンスはあると思ってた。
それから、彼女と遊ぶ時はグループで遊ぶようになった。彼女が学校を卒業して、僕もそのしばらく後に卒業した。
彼女は一時帰国。僕はファーム生活。
半年近く連絡を取っていなかった。が、まだこのストーリーには続きがある。
ある日、再び小さな事件が勃発した。
僕がファーム生活を終えて、ブリスベンに戻ってきて4日目。時は経って7月のある日、僕の携帯が鳴った。ディスプレイに表示されているのは、好きだった彼女の名前。
ブリスベンに帰ってきたタイミングで、しかも半年近く連絡を取っていなかったのに、突然の電話。
嬉しい気持ちと、何だろうという気持ちと、半分半分で電話をとった。
すると、電話の向こうにいたのは、あの韓国人の彼だった。
そしてまた、英語でまくし立てられた。
「お前、ブリスベン帰ってきたらしいな。次俺の女(名前言ってた)に手出したら、F*ckin kill you!!」
と告げられた。
後に聞いた話だと、僕のSNSをずっとチェックしていたらしい。ストーリーに彼からの足跡がついていたのは知っていたけど、僕の中ではもう終わった話だったので、シカトしていた。
当然、お互いフォローなどしていない。
ブリスベンに帰ってきたストーリーを見て、彼女がいない隙に彼女の携帯から連絡してきたようだった。
実は、連絡を取るなと言われていたらしいのだが、彼女が日本へ帰ったタイミングで、僕から電話をした事があったのだ。
ずるい僕はバレないと思ったし、彼女と話したかった。ふられてから数ヶ月経っていたけど、まだ好きだった。
どうやら、それがバレたらしい。というか、問い詰められて話してしまったらしい。これは俺が電話しなければ起こらなかった事だと思うので、ひたらすら申し訳ないのだが…。
その後、彼女から
「ごめんな。」
と一言電話が来て、それから10分後くらいに、彼から謝罪の連絡がきた。
事なきを終えたと思ったが、彼らから近しい人から改めて連絡が入り
「彼には本当気をつけてほしい。何かあったらどうする事も出来ない。しばらくシティには行かないで欲しい」
と言われた。
そんなことは無いだろうと思いつつも、僕も刺されるのは嫌だし、そもそもの原因は僕の電話だし、彼女に責任を負わせるのも嫌だった。
彼女とは恋人にはなれなかったけど、大切な友達の1人。それは、この本を書いている今も変わらない。
連絡はそれ以来取っていないけど、もし彼女が悲しむ事があれば、駆けつけたいと思ってる。
もちろんそれは、友達として。恋愛感情は、もう無い。
あのマクドナルドでの修羅場から、7ヶ月。ようやく収束した。
語学学校での大恋愛は、やっと幕を閉じた。
ある意味壮絶な恋だったし、彼女との一瞬一瞬は、僕の語学学校の全てだと言える。本当に好きだった。
彼女のおかげで、語学学校に通ってる時は最高の時間を過ごせた。彼女がいなかったら…そう思うと僕のオーストラリアの始まりは、ここまで良いものにならなかったと思う。
それほどに彼女との出会いは大きいものだった。
彼女と出会えて、自分の事を好きになれた。
彼女の包み込んでくれる優しさに、自信を持つことができた。
これを読んでくれている素敵な読者のみんなには、語学学校に行ったら、ぜひ素敵なパートナーを見つけて欲しいと思う。
✱ ✱ ✱
さて、語学学校の様子も話そうか。
上にも書いたように、僕は語学学校に4ヶ月通った。最初に入ったクラスの上のクラスに、スピーキング特化コースがあったので、そこに入ることを目標に頑張った。
僕の学校では、1ヶ月に1度テストがあった。テストで90点をとると、上のクラスのテストを受けることが出来る。そして、そのテストで75点を取ると、クラスがあがる。
もしくは、3回テストをうけて(3ヶ月)、3回のテストの平均点が75点を上回ると、上のクラスに行く事ができる。
3ヶ月で教科書を1周するカリキュラムだったので、普通に授業を受けて、テストを受ければ、たいていの人は3ヶ月で上のクラスにいける。
僕は1回目のテストで90点をとったが、上のクラスのテストで50点しか取れなかった。2回目のテストはたしか、85点。結局3ヶ月間をプレインターミディエイトで過ごすことになった。
今思うと、上のスピーキング特化クラスに行く前に、基礎をしっかり抑えることが出来たから良かったと思ってる。
そしてその3ヶ月のプレインターミディエイトで、今でも続く大切な仲間達を作ることができた。本当に周りの仲間に恵まれていると思う。
彼らとゴールドコーストに遊びに行ったり、夜遅くまで夜遊びをしてみたり、泊まりに行ったり、お酒を飲んだり。
大好きなスマートトーククラスのみんな
1番仲の良かった子は17歳の韓国人。10個も下なのに、なめくさってくる生意気なやつだったけど、憎めない可愛い弟みたいな存在で嬉しかった。
物怖じしない彼のおかげで、僕の英語も伸びたし、授業中にひたすら先生のモノマネをする、というイタズラをしてクラスを湧かせた事もあった。
上に上がっても同じクラスで、そのクラスに参加しないで、ちゃっかり下のクラスの授業に参加して怒られた事も、笑いのネタだった。それを笑って許してくれるオージーの先生、フィリップも大好きだ。オージーの陽気さと明るさに触れたのは、フィリップが初めてだった。
韓国人の彼がいたから、授業にも積極的に参加できたし、分からないとこがあったら授業を止めてでも、手を挙げて先生に質問する事ができた。
いつも抱きついてくるし、腕を組んでくるし、茶化してくるし、こーたの髪型は、韓国では金がないオッサンの髪型だとか、バカにされながらも、そいつと過ごす時間が何よりも楽しかった。
17歳の韓国人のベストフレンド
こんな仲間に出会えたことは、ワーホリの宝物のひとつだ。
そんなこんなで、毎日毎日、日本では想像もできなかった楽しい日々が続いた。ワーホリだと、学校に途中で来なくなる人も多い中、僕は皆勤賞。4ヶ月間1度も遅刻も休みもない。それほどに、大好きだった。
そして2018年3月9日。偶然にも同じ地元のアーティスト、レミオロメンの有名な曲の日に、僕は学校を卒業した。
最高の恋愛も、最高の仲間も、最高の時間も、この4ヶ月間に詰まっていた。
生きていると、振り返るとあっという間…なんて事はたくさんあるけど、語学学校の4ヶ月は、振り返ってもあっという間とは思わないくらい、濃厚な時間だった。
英語を学習する面では、たしかに、セブ留学などの方が費用も抑えられて、英語にもより、集中できるかもしれない。
セブだって最高に楽しいだろうし、最高の仲間と出会えると思う。彼女だってできるかもしれない。
でも、オーストラリアのワーキングホリデーの中での語学学校も、僕はオススメしたい。
正直な話をすると、4ヶ月間という時間は、ワーホリの1年間として見ると、少し長かった気もする。ファームの3ヶ月を足したら、7ヶ月を費やしてしまう。
2ヶ月でも良かった。それでも、最高の時間になったはずだ。(後悔はしていない。4ヶ月は4ヶ月で、仲間と深く仲良くなれたから。いまでも続いてる繋がりだ。)
これからワーホリを利用して語学学校に行くことを検討する人にはぜひ、1年というワーホリの中で、どれくらいの時間を学校に費やすか、しっかり考えて欲しい。
最大で17週間行けるが、最初に2ヶ月。ファームが終わった後や、少しオーストラリアにも慣れて、英語にも慣れてきた頃に、また2ヶ月行ったって良い。ワーホリが終わる前に、1ヶ月だけ行く人にも会ったことがある。
何も一気に4ヶ月を使う必要もないのだ。
ワーホリには、無数の選択肢が用意されている。
それを知ってるいるか、見えているか、実現するか、それは全てきみの手にかかっている。
僕に相談をしてくれても構わない。しっかりと考えた上で、決めて欲しいと思う。
ただひとつ、この章の最後に伝えたいのは、語学学校は最高の"楽しい"が詰まっている場所という事。
たくさんの不安もあるだろう。ビビることもあるだろう。日本に帰りたくなることもだろう。
でも、学校で出会う最高の仲間は、その全てを取り払ってくれる。
"楽しむこと"を忘れないでほしい。
ちなみに、通っていた語学学校は、僕が卒業した2週間後、倒産した。今ではもう、存在しない語学学校となってしまった。
母校が無くなった寂しさを、僕は生涯背負って生きていくであろう事を、ここに残しておく。
✱ ✱ ✱
第三章 僕の名前はMr.スティッカー ▷
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第二章、いかがでしたでしょうか。
僕にとって、語学学校はこのワーホリの中でも特に大切な時間でした。今ではとても思い出で、同時に良い経験でもあります。きっと、生涯忘れない学生生活になることと思っています。
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この本をにきっかけに、ワーホリに悩む人や頑張りたい人、頑張っている人etc.ワーホリや海外へ行く、たくさんの方と繋がりたいと思っております。
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どうぞよろしくお願い致します。
✱ ✱ ✱
こーた
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