終わりよければすべてよしは本当?ピーク・エンドの法則
終わりよければすべてよし、という言葉がありますが、あれは本当なのか…ということを科学的に説明した話があったのでご紹介します。
まずは結論から。これはピーク・エンドの法則と呼ばれています。
「記憶に基づく評価は、ピーク時と終了時の平均でほとんど決まる。」
システム1とシステム2
何故こんなことが起こるのか…それは、経験をする自分と記憶する自分の違いによって生まれます。
人間は基本的には直感的に、ほとんど意識なく様々なことをこなします。
例えば息を吸ったり、心臓を動かしたり、考え事をしていたらいつの間にか家についていたり…
このような、意志に頼らず行うことを「システム1が行う」と呼ぶことにします。
例えば心臓はシステム1が動かしている、とか、頭がかゆいと思う前に無意識にシステム1が頭をかいていた、とか…。
一方意識して行うこと、例えばこうしてブログを書いたり、難しい問題を解いたり、ウォーリーを探したりするときには「システム2が行う」と言うようにします。
経験する自己と記憶する自己
例えば、経験をするのは基本的にシステム1です。
つまらないと思ったり、楽しいと思ったり、その瞬間ごとに無意識にいろいろな反応を示します。
一方記憶するのはシステム2です。
心臓の鼓動の回数を覚えていないように、システム1は基本的に一々記憶はしませんが、システム2が注意深く見たものは記憶されます。
例えば、映画を見ている自分は基本的にはシステム1ですが、おもしろいシーンに入ったりするとシステム2が活発になります。
瞳孔は開き、心臓は高鳴り、一生懸命記憶しようとします。
逆にとても不快に思うシーンがあったときにも、その不快感をシステム2は記憶します。
ピーク・エンドの法則
そうして一つの映画を見ていざ感想を…というときには、まさに感想をまとめようとシステム2が考えるラストと、ハイライト的にシステム2が記憶したシーンとの平均が、その映画の感想となります。
実際にはほとんどの時間退屈していたとしても、システム2が活性化したときの平均が記憶に残るのです。
こう考えると、記憶と経験は必ずしも一致しないということですよね。
映画の感想ならまだしも、例えば彼の浮気と別れ際の大ゲンカで、結婚生活が台無しになってしまったら、いくらそれまで幸せな結婚生活を送っていたとしても、ピーク・エンドの法則によって結婚生活は最悪な記憶に書き換えられてしまいます。
ほんの一瞬の大きな不幸と、長くともささやかな幸せ、どちらがいいかを比べるのは難しい問題ですが、人間の脳はどうやら一瞬を選ぶようです。
他の例をあげるとすると、治療もゆっくりじわじわと行って、最後に案外痛みもなくさらっと終わらた方が、記憶にはそんなに大変なものとして残らないかもしれません。
ただ、たとえ記憶に残らなくとも、経験しているときは、それはもちろん痛いわけで、ピーク・エンドの法則というバイアスによって忘れているだけだということです。
ですので、もう一回治療を受けたら、「あれこんなにしんどかったっけ」と、経験する自己は記憶する自己に文句を言うことになるかもしれません。
終わりよければすべてよし、なわけですが、それは「記憶の中の話」なわけであって、実際にどうかというのはまた別の話であることを、忘れてはいけません。
参考文献:ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか?(ダニエル・カーネマン )
ps
意思なんてりんごが木から落ちるのと大差ないのではと思う今日この頃。