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SS ① 「好きなのに」

せんべいは必ず自宅で食べる。

子供の頃からせんべいが好きで、年寄りみたいだねと笑われながらも濃い醤油味のせんべいをしゃぶる様に食べていた。

ある日、母の運転する車の助手席に座り、小学6年の僕はやっぱりせんべいを食べていた。厚焼きの田舎せんべい。買い物に行ったスーパーで見つけたものだ。「家に帰ってから開けなさい」という母の言葉を聞けずに食べ始めてしまった。母の苦笑いを横目に、大きめな1枚をバリンと割った。その瞬間、とてつもない衝撃が来た。交叉点で信号無視の大型トラックに右側から突っ込まれた、と後から聞いた。

僕は割れたガラスで3カ所怪我を負った。傷跡は残ったものの無事で10年経った今も元気だが、母は右腕と右足がうまく動かなくなり、今も不自由な暮らしをしている。あの日以来、せんべいを割ると交通事故に会いそうな気がして怖い。それでもせんべいが好きなことは変わらないので、安全に自宅で食べることを守っている。

困るのは買いに行く時。持ち帰るまでの間に何かの拍子で割れてしまうのでは、と不安が止まらない。だから通販で買う様にしているのだが、一番好きな浅草のせんべい屋が通販をしてくれない。店に来てくれたお客さんにだけ売りたい、というこだわり。それはいいのだが、僕は困る。困るけれどもどうしても食べたくなるので、勇気を決して1年に2回買いに行く。

車は使わない。電車で行って、地下鉄の浅草駅から歩く。厚手の生地のカバンにタオルを入れて行く。買ったせんべいはすぐにタオルで包んでバッグにしまう。大事に抱えながら、人にぶつからない様に歩道の端を慎重に駅に向かう。

雷門前の一つ手前の交差点。信号待ちをしていると、飛ばして来た軽自動車がタイヤを鳴らしながら左折、その先に横断歩道を渡る二人が。お母さんと娘に見えた。危ない、と思った瞬間になぜか僕はカバンの中のせんべいをぎゅっと抱き込んで、バリバリっと割っていた。割れば車にぶつかるのは僕で、あの二人は助かるなんて思ったのかもしれない。実際に急ハンドルで母子を避けた車はまっすぐに僕に向かって来た。

脚と腕を骨折して、病院のベッドに寝ている僕。あの運転手は逃げることもなく、何度もお詫びの見舞いに来ている。保険も入っていたようで、治療費は全て彼が払ってくれている。それにしても、と思うのは「せんべいを割ったら事故に会う」こと。せんべいを買うことを諦めるしかないのかな。そう考えていた時に見舞客がきた。

見慣れない顔だが、話してみたらあの時の横断歩道を渡っていた母子らしい。お母さんは間違いなく自分たちがひかれると覚悟したのに、一瞬後に事故に会っていたのは別の人だった。助かったのだけど、何だか身代わりになってもらったような気がして気持ちが収まらず、警察の人に無理を聞いてもらって僕のことを教えてもらったそうだ。流石に「せんべいを割って身代わりになった」とは言わずに、お礼を伝えた。

ちょうど母がきたのでお茶を出してもらったが、母の姿を見て「お母さん大変そうですね。私の家は近くなので困ったことがあったら連絡ください」と電話番号を書いたメモを置いて行ってくれた。なんだかほんわかとした気持ちになって、嬉しかった。

退院後にちょっとだけ勇気を出して、電話をしてみた。無事退院をしたことの報告とお見舞いのお礼をしたい、と。遠慮されてはいたが、自分の方が会いたくなっていた僕は気持ちだけですからと押し切って、浅草に出かけていった。カフェで会うことになり、可愛らしいデザインで人気の洋菓子の包みを娘さんにと渡す。その場で開けた娘さん、4歳だそう、はにっこり笑ってくれた。「お菓子、好きなんですね。私も製菓衛生師としてホテルで働いているんです」とお母さん。

1時間くらい話しただろうか。お母さんは僕より4歳上で今はシングルマザーだなんて事まで聞いた。笑顔が太陽のようで、話す僕らをじっと見ている娘さんも可愛い。僕はこの2人に出会えたことに感謝した。

半年後、僕たちは結婚した。僕は仕事を辞めて、彼女の家に婿入りした。彼女の実家はせんべい屋。跡取りのいない義父は強面の職人だけど、丁寧に仕事を教えてくれる。僕は大好きなせんべいを自分の手で作れるようになった。もう割れるのを怖がりながら買いに行くことはない。妻と娘の笑顔と合わせ、大好きなものに囲まれる生活がやってきた。母も喜んでくれている。

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