この世界は予定説かもしれない
予定説とは。
聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。
「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠の生命にあずかるもの、永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている」
こんにちは。こんばんは。
この世の中は、すべてシナリオ通りに動いているのかもしれない。
そう思ったのは小学校くらいだったでしょうか。
(今思えばよくそんな幼い頃から考えていたなとちょっと感心しちゃってますが。)
そんな考えを持ったのはあるきっかけがあったようにも思えます。
「偶然にしてはできすぎていること」
みなさんは感じたことないでしょうか。
僕はけっこう思っていました。
こうなんじゃないかとふと思ったことが現実で起きたり、
え、そんな偶然重なる?って思うくらい奇跡的なことが連続したり、
でも、そうじゃなかったり。
高校受験をするときもそうでした。
何かに導かれるように、受験する高校を選んだ気がします。
もしかしたら、
自分の人生はもうすでに、全て決まっているのかもしれない。
そう思うようになりました。
うまく言い表せませんが。
もしかしたら自分の人生はシナリオによって決まっている。
他人の人生もシナリオ通り。
出会ったタイミング。
同じクラスになった人。
同じ部活で共にした人。
その時、その瞬間に起こった出来事や行動や会話。
全てがすでに起こることが決まっていたプログラムなのではないか。と。
でも、もしここで、
全て決まっているんだったら自分がサボったらどうなるんだろう。と考えて見ました。
普段だったら頑張るところを、頑張らないでみたら。
でも、それってもともと決まっていたのかもしれない。
そう言う考えを持って、サボることが決まっているのかも。
考えれば考えるほど混乱しますが、
これってもしも本当ならとっても不思議。
インターネットが普及し、高校生になってスマートフォンを手に入れた僕はふと調べたときに予定説に出会いました。
自分が考えていたことはこれじゃないかと。
予定説は、簡単に言うと、
神によって様々なことがすべて前もって定められている。
という考え方(らしい)です。
僕は歴史や宗教に詳しいわけではないので本当の詳細は分かりませんが。。
それでも調べて「似ている」と直感でわかりました。
みなさんもふっと考えてみてください。
もしかしたら、今日食べたそのご飯。
今日友達とした会話。
明日すること。起きること。
全て決まっていたのかも。決まっているのかもしれません。
あの時、あの人と出会ったのも。
偶然ではなく、必然だったのかもしれませんよ。