社畜だった僕に寄り添ってくれたスヌーピーの名訳。
去年まで社畜でした。
今はわりと余裕のあるところに転職して、こうしてnoteを始める余裕なんかもできているわけだけど、それまではいわゆるブラックな環境で働いていた。
僕の場合はとにかく、気性の荒いおじさん上司に目をつけられてしまって、何をしても怒鳴られ、質を保って出したつもりでも何度もやり直しを食らい、周りも自分が怒鳴られたくないのであまり助けてくれず。。。といった環境。
はよ逃げたらいいやんん、とみんな言っていたが(今の僕もそう思う)、当時はそこまで頭が回らなかったし、自分がやらなければならない仕事を待っている人たちが大勢いて、それにこたえなければと必死だったのだ。
完全にメンタルをやられて正常な判断を失っていた僕に、少しだけ余裕と視野の広さを戻してくれたのがスヌーピーだ。
知ってる? スヌーピーの原作(PEANUTS)って谷川俊太郎先生が日本語訳しているんだよ。それはそれは名訳揃いで、スヌーピーたちの言葉が僕ら日本人の心にすっと寄り添うのは、絶対に谷川先生の力が大きいのだ。(原作がつまらないってわけでは決してないよ)
サリーの持つ三つの人生哲学
出展:https://twitter.com/snoopyjapan/status/627962108270018560
"WHOS CARES?"
"HOW SHOULD I KNOW?"
"LIFE GOES ON."
"関係ないでしょ?"
"知るはずないでしょ?"
そして、"人生は続く。"
大人になるとみんな他人事になっていく
声の大きい人に追いつめられると、自分がどうしてもそれをやらないといけない気がしてくる。陳腐な表現かもしれないが、"真面目で"、"おとなしい人"ほどそうだ。
えてして、思いつめる人ほど当事者意識が高い。
「わたしがなんとかしなきゃ」というところから抜け出せなくなってくるし、追いつめられている時ほど、そこから脱出するきっかけが本当にない。
そうなのに、周りはがんばっている自分を助けもせずに、「必死だなあいつ」くらいの目で冷ややかに見ている。怒鳴り声よりこっちの方がきつかったりするよね。
そういう人たちは、悪く言えば他人事、当事者意識がなくなっているのだ。
良く言えば、人ひとりが頑張ろうが頑張るまいが、社会や会社がほとんど影響を受けないことを知っているのだ。
会社なんて潰れたらいいし、みんなに迷惑をかけたらいいんだ
どうなってるんだ!!!!!!!!
なんて言われたら、鼻で笑って返そう。"HOW SHOULD I KNOW? / 知るはずないでしょ?"
どう責任を取るんだ!!!!!!!!
なんて言われたら、言いながら定時で帰ろう。"WHOS CARES? / 関係ないでしょ?"
だって、会社なんかより大事な僕らの人生は明日も続くのだ。仕事に骨をうずめる必要なんてない。本当にまずくなったら責任を取るのは、その怒鳴っている上司なんだ。
当事者意識なんて必要ない。僕らが泣きながらなんとかする必要なんてないんだ。
なぜなら、そうだ。明日も。
"LIFE GOES ON. / 人生は続く。"