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”町おこし”ってなんですか?

”地域おこし”も同様に。
それってどんな意味で、誰のための言葉ですか?

今日、大学生が地域について学ぶプログラムの場に呼んでいただいたときにした質問。別にこの言葉が好きとか嫌いとかではなくて、いわゆる町おこしがテーマの話題になるときには質問したくなるのです。

一応僕は、”地域おこし協力隊”として人口150人ほどの集落で活動していた時期もあり、今は卒業してそのまま”定住”している”移住者”。移住して9年目になったので、客観的に見れば町おこしや地域おこしの実践者の一人なのかと思います。登壇者として地域おこし系のイベントに呼んでいただくこともありました。(そこを自慢したいわけではないのですが)それでも、”町おこし”や”地域おこし”という言葉にはあまりしっくりきていないのです。今回はそんな違和感ワードを掘り下げられたらなと。

そもそも僕が住んで活動している場所は人口150人ほどの小さな集落なので、街でも町でもないわけです。”地域”を”ローカル”という意味で遣うのであれば言葉としては正しいかもしれませんが、現存の市町村なのか、旧自治体の範囲なのか、どれだけ細分化するかも意見が分かれるところです。
だから仮に”限界集落おこし”みたいな言葉であれば、まだ少しピンとくる。でも今度は”おこし”ってなんだ?となってくる。漢字にすると「興し」。
ここで言葉の意味を調べてみると、少しおもしろい発見がありました。

まずは「興し」のみの場合。

おこ・す【興す】の解説

[動サ五(四)]《「起こす」と同語源》 ひっそりしていたものを目立つ状態にする。衰えていたものを再び勢いづかせる。「家を—・す」「国を—・す」「弓道を—・す」
起こす4」に同じ。「俳句の革新運動を—・す」
気力充実させる。奮い立たせる。
「君もしひて御心を—・して、心の内に仏を念じ給ひて」〈夕顔
大挙して立ち上がらせる。
「十八日辰 (たつ) の一点に大衆 (だいしゅ) を—・し」〈平家・四〉

goo辞書より引用

一方で「地域興し」の場合。

ちいき‐おこし〔チヰキ‐〕【地域興し】の解説

地方の自治体などが、地元経済産業文化などの活性化を図り、発展させること。また、その活動。町興し。

goo辞書より引用

単体の「興し」では特に書かれていなかった”経済・産業・文化”が「地域興し」になると現れている。なんだそんなことかと思うかもしれませんが、町おこしや地域おこしという言葉に感じる違和感の正体の一つがここにある気がするのです。

例えば「地域」を僕が住んでいるような集落だとして、そこを活性化させようとするならばまず何から始めますか?ここも意見が分かれるところですが、正攻法でいくならば地元に住む人へのヒアリングからでしょうか。するとわかってくることは、地元の方々はときに経済的な発展など求めていなかったりすることです。実際に会話の中で「今日と同じ明日が来てくれたらいい」といった言葉を聞いたりします。特に諦めの意味合いでもなく。今の暮らしに満足している証拠でもあると思います。

この例でいくと、地域(の住民)は経済的な発展をそれほど望んでいないことになります。ただ、今日と同じ明日を望むには高齢化と後継者不足の問題が立ちはだかってしまっている。放っておいては衰えていってしまう一方であることには変わりないのです。いくら今の暮らしに満足していようとも、1世帯の高齢者が多いという事実が変わらない以上は。だからこそ僕の暮らす集落では、「今日と同じ明日」というイメージが続くために地元の方々の土地を借り、棚田の再生をして暮らしを引き継いでいたりします。

そこに経済や産業の発展と言えるほどの変化がなかったとしても、衰えかけた暮らしを引き継ぎ、地域に人が住み続ける状態を継続させる(=興す)ことはできる。そういった意味での”地域おこし”なら、いま暮らしている集落での活動に馴染みそうです。

一方で世に出ている”町おこし”や”地域おこし”という言葉から人々が連想するのはイベントでたくさんの人を呼んだり、起業して売り上げを上げる仕組みを作ったりするようなもの。いわゆる人口減少の問題を解決してほしい、経済の活性化を図ってほしいといった、住民の本音とは少し違ったニーズへの活動が多い。わかるんです。そういった活動の方が注目されやすい(人々の希望になりやすい)し、広まりやすい。それが広まればまたそのイメージも強くなる。そのことが間違っているとは言わないし、僕もできることなら必要に応じて人を呼んだり稼ぐことができる仕事をつくりたい。でも最初に違和感と言ったのはここにあって、イメージで”町おこし”や”地域おこし”の話が進んでいませんかということです。

長年地域に住んで活動している人であればそんなことはないと思うのですが、あえて言葉にするとなると難しい。それこそ今日のように、大学生や高校生相手に”町おこし”や”地域おこし”をテーマに話すとなると、なんとなくそのまま自分が普段していることを話したり、他の地域での事例を紹介してしまったりして、また”町おこし”や”地域おこし”が実際の土地から離れた場所でイメージとして膨らんでしまう。

そんな状況に今まで何度か遭遇したことがあったから覚えた、”町おこし”や”地域おこし”に対する違和感なのかもしれません。

国やメディアの言葉に踊らされず、自分たちの住む地域とどれだけ向き合えるか。暮らしの関係者と一緒に、理想の地域を描いて実行できるかどうか。暮らしを軸に、土地を豊かなものにしていけるかどうか。

それが「今日と同じ明日が続いたらいい」という願いの延長線上にある、リアルな”地域おこし”ではないかと思います。その土地に住む人たちによる、その土地に住む人たちのための営み。昔はそれが当たり前で、今は離れていても繋がる時代になったからわかりづらくなっているけど、本当はきっと暮らしの関係者が少し増えただけの話。”⚪︎⚪︎おこし”と畏まらず、シンプルな思考でとらえたらいいのではないでしょうか。


…とここまで書いて、冒頭の自分の問いを回収できたのかがわからなくなってきた。夜に文章を書くときのよくないところ。わかりづらい文章になってしまってたらスミマセン。なんとなく意図したいところが伝わったなら嬉しいです。これ以上駄文にならないよう、今日はここまでで。

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