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自己分析編:02「雨の日は古傷が疼くぜ…」というアレから。

映画とかアニメとかでちょこちょこ見かける、シリアスなあのシーン。
敵対してるアイツとの過去が判明したり、守れなかったあの人がいたり。
ストーリー上なにかと重要な話が潜んでいたりするものです。

そりゃまあそうか。雨の日に疼くほどの古傷なんてかなりの大怪我だし、その前後のことは記憶に残る。そもそも大怪我するような場面って非日常の要素に溢れてたりする。

とまあ、それはそれで置いといて。
古傷って実はその人を表すものだったりするなと。
じゃあ僕の場合はどうだろう。
今回はそんな観点から自己分析してみようと思います。

※グロ注意ではないけれど、傷という表現に弱い人はご注意を。

あれはまだ中学生だったころ

中3の夏。サッカー部だった僕は、最後の大会に向けて練習していた。
中学生の僕は体もどんどん大きくなって、できることも増えていって、新しいことを学ぶのも好きで。学校が楽しかった。部活が楽しみだった。

そしてある日、いつものように練習していたときのこと。
思いっきりボールを蹴ったら、パキッという音が聞こえた。
激痛、というほどではないけれど、痛みとともに股関節あたりに違和感があった。
何が起きたかわからなかった。でも、よくないことが起きたのはわかる。

とりあえず練習を抜けて、病院に行った。
病院で、右左腸骨の裂離骨折だと言われた。しばらくボールは蹴れないと。

夢中で練習して、勝ちたいいう想いで臨んでいたはずの最後の試合に出れなくなった瞬間。理解が追いつかなかった。思考停止の状態。
そこからはあまり覚えていないけれど、学校を休んだ気もする。とにかく、自分の部屋で泣いていたのを覚えている。ただ悔しかった。

骨折をしたことで、心がえぐれる思いをした。そんな中3の夏。

傷とはなんだったのか?

もう少し回想を続けます。

骨折をしたのは夏休み前のこと。元々、夏は大好きで、中学生最後の夏ということもあり心底楽しみにしていた。でも怪我をしてしまったことにより、一気にどうでもよくなった。まさに自暴自棄。

当時、中1から付き合っていた彼女とも別れた。今思えばとても自己中心的で、ひどい別れ方だったと思う。本当にごめん。

部活の練習にも顔を出せずにいた。副キャプテンを務めていたけれど、怪我をして、心が折れて、何もできなかった。走ったり蹴ったりできなくても、サポートできることはあったはずなのに。そんな考えに至らないほど、思考停止していた。惨めで、誰かに慰めて欲しかった。でもそれは叶わないと思って、部活から離れた。

病院にもその後は行かなかった。
本気でサッカーを続けたければ、きちんと治してまた練習に戻るという選択もあったはずなのに。試合に出れないなら意味ないじゃんと、いじけていた。

思えば、ここまでの全てが傷だった。足の骨はとっくの昔にくっついていて、生活にはほぼ支障がない。たまにボールを蹴ると痛むこともあるくらい。
でも、思春期真っ只中だった僕の心は、足の骨折以上に傷ついていたのだと今ならわかる。が、当時はわかっていなかった。目を背けていたとも言える。一連の出来事を認めたくなくて、閉じこもって周りを気にすることもできなかった。15歳の少年の僕。

古傷を思い出してわかること

夏の終わりの雨の日に、ちょっと感傷に浸ってしまった感は否めないけれど、自分の古傷についてはじめて文章にしてみました。恥ずかしいような、意外とそうでもないような。

書き出してみて思ったのは、まだ胸が痛むこと。
それはきっと、初めての挫折体験で、克服できずに時間が過ぎてしまったから。あのときこうしていたらとか、もっとこうできたのにとか、いまだに思う。
そして同時に、挫折を克服できなかった自分を許してあげて、受け入れることができたなら、今よりもっと自分を好きになれるんだろうとも思う。
でも、まだできない。けれど、いつかきっとできるんじゃないかと思ってる。そんな気分。あれ、やっぱり感傷に浸ってる?

まぁまとめると、僕にとっての古傷は、中3のときの骨折による諸々のダメージで、ケロイドみたいに弱い部分のまま残っている。ときどきちくっと痛んだりもする。
そんな傷も含めて、自分を愛してあげることが大切なんだなと、ここまで書いて気付きました。

傷ついた分だけ人に優しくできるという言葉があるけれど、それはその傷を受け入れることができた後の話のようで。受け入れられていなかったら「こんなに傷ついてるんだよ、誰か気づいて」と、どこかで主張してしまっている。中3の頃の僕は、それはもう全身で主張していたのだと思う。
それ自体が悪いこととは言わないけれど、人に優しくできる状態ではないですよね。前の記事でも書いたように、僕は人に優しい人間でありたいと思っている。
それなら自分の傷を受け入れて、そこも含めて自分なんだよと言ってあげられるようにならなければ。きっとなれる。

↑小学生の頃、反面教師から「人に優しく自分に厳しく」がモットーになったお話

おわりに

自己分析編は、切り口を決めたらそのまま考えながら書き進めているので、どんな結末になるのか自分でも予想がつきません。そんな今回は思いがけず、前回の自己分析編とつながりました。

人に優しくいたい自分の、どこか矛盾したところに心が気づいているのかもしれないです。


この自己分析編は自己分析を公開することで、「そんな掘り方もあるのね」といった発見があれば嬉しいなという想いで書いていたりもします。もし参考になればぜひ。

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