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自己分析編:04 自分は大雑把だとずっと思い込んでいたけど、それどころか神経質だった話②

昨日のつづきです。大事なのは、なんでそう思い込んでいたのかをもう少し掘り下げることかなと思ったので、少しだけ。
昨日の記事はこちらから。

要はタイトルの通りなのですが、「O型の人は大雑把な性格!」というよくある性格診断から、気づけば25年近く自分の性格を誤認してしまっていたという話です。

ほんと、なんで思い込んでいたんだろう。今になってみればそう思うのですが、以前は特に疑うこともなく「確かにそういうところもあるし、そうなんだろうな」と思ってしまっていたのです。
ここでひとつ大事になってくるのは、僕の中で大雑把な部分が0ではないということ。そんな性質も確実に存在している。けれど、神経質な部分の方が大きい。自分をつくるさまざまな性質の中で、大雑把<神経質だった、という気づきがあったよ、というのが前回までの話です。

それを踏まえて、なぜ自分は神経質であることを自覚せず、大雑把だと思い込んでしまっていたのか。ひとつは純粋であることが大きいかなと思っています。
自分で言うのもなんなのですが、昔から結構純粋なところがあり。天然とも言い換えられるかな。
O型=大雑把という説から「確かに自分もそういうところがある気がするし、みんなもそう言ってるならそうなのかもしれない」と、あまり疑うことをせずにきてしまった。小さい頃から純粋で、その心を今まで持ってきてしまっているが故に起こった思い込み。それが原因の一つなのかと。

もうひとつ考えられる原因としては、今まであまり自分を見つめる、振り返るということを本質的にしてこなかったということ。

例えば今しているような自己分析。「自分はどう生きたいのか」「何がしたいのか」といったことは考えてきたのですが、「自分の長所や短所」「どんな性格なのか」ということについてはあまり深く考えず、今まで暮らしてきた中で感じたことを当てはめていただけでした。だからこそ「確かに自分もそういうところがある気がするし、みんなもそう言ってるならそうなのかもしれない」という理由で自分は大雑把なんだと思っていた。これは結構大きな原因かもしれない。

ではなぜ、今まであまり自分を見つめる、振り返るということを本質的にしてこなかったのか。それは、根っこのところで自分を好きになれていない、許容できていないということがおそらく理由で。

以前の自己分析編の記事で書いたことにも繋がるのですが、自分を許容できていないことの原因は、昔の挫折経験にあるかなと。

要は努力してきたつもりが怪我で結果を残すことができなかった、その挫折体験後、挫折を乗り越えるための努力ができていなかったこと、自分が傷ついていた時に、自分を大切にできていなかったことが原因で、今も自分を好きになれていない自分がいる。ということ。

思春期の挫折を乗り越えられないまま大人になり、自分を許せていないところがある。言葉にしてみると、あまり良くない状態な気がするな、これ。
ちなみに現在、中3の時のこの挫折を毎日思い出すようなレベルで引きずっている、それが原因で心を病んでいるといったことは全くないです。でも、心のどこか、奥底の方で、つっかえたまま残っている。そんな感覚。
だから今よりも自分を好きになる、自分を許容するためには、本当の意味でこの挫折を乗り越える必要があるのではないか。今はそう思っています。もしかしたらこの自己分析編のゴールはそこにあるのかも。そんな予感。


毎度この自己分析編は、“伝える“というよりも自分を知ることに重きを置いているので、自分でも最後にどういう結末になるのかは全くわからない。のですが、この編のゴールは自分を知った先、自分を好きになることにありそうだということが今回の記事で確信に近づきました。自己愛や自己受容。その先で、本当の意味で自分の人生を楽しむことができるようになるのだと、今は思っている。

それが本当なのかどうか、確認するためにも、まだまだ自己分析編は続きそうです。ご興味ある方はお付き合いいただけると嬉しいです。

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