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”いつの間にか”の毒気

いつの間にか、煮え切らない心になっていた。
守るべきものが増えていって、日々のあれこれに忙殺されて。などなど、理由はいろいろあるけれど。気づけば心がすっかり燻ってしまっていた。
自分の心を燃やし続けるにはやはり、なにかしらのエネルギーを焚べ続ける必要があるのに、それを怠ってしまっていたのだ。

そうならないために、自分にとってのすべきことは、シンプルなはずで。
考えを書き出し、相手と対話し、行動する。基本はこれでいい。けれど、意識と行動のベクトルがあっちこっちに向いてしまっているのだろう。家族のため、仲間のため、地域のため、会社のため、自分のため。同じ方向を向けそうなはずなのに、少しずついろんな方を向いてしまっているから、エネルギーが散逸してしまっている。それでも日々のすべきことは変わらずやってくる。早く体勢を立て直さなければ、ジリ貧だ。

ならばベクトルを揃えてしまえばいい。のだけど、どこから手をつけようかと、いつもなら悩まないようなことでも思考を止めてしまう。馬力がない証拠だ。そういうときは、落ちるところまで沈みきってしまうのがいいと、最近はそうすることが増えた。

けれども、これが良くなかったのかもしれない。
ここまで書いて、ふとそう思う。


たまになら、沈みきってしまうのもいいだろう。
普段休憩をあまりとらない自分にとっては、必要な時間だと思って(思うようにして)いる。けれど、その間、体力が落ちてしまう。体力が落ちると、代謝が落ちて体の不調も出やすくなってしまう。すると動きをセーブするから、また体力が落ちる。その繰り返し。なんだ、全然よくないな。

そうしていつの間にか、体力は落ちていき、心のエネルギーもすり減っていってしまう。ここしばらく心のどこかで感じていたモヤモヤの正体は、沈んだ後に昇ってこれていない自分に対してのものだった。


気づいてしまえば、なんだそんなものだったのか。
しっかり昇ってしまえばいいのだ。
自分に対して、つまらないご機嫌取りをするのではなく、ただやるべきことをやる。ひとつひとつ、重ねて昇っていく。そうして体力もつけていく。今までだって、そうしてきたじゃないか。自分は、そういう人間だ。

気づいたら環境が変わっていき、それに対して自分も変わらなければと、感じて変わろうとしていた。もちろん、変化は大切だ。けれど、変わるべきではないこともある。そこが揺らぐと、自分が崩れる。
いつの間にか、今までの自分の生き方からズレてしまい、エネルギーを失っていた。意図的にズラすならまだいいが、気がついたらズレていた。

それだけのことだった。


けれど、日々、忙しなく過ごしていると、そんな”いつの間にか”に気がつかない。気付かぬ間にその毒が周り、動けなくなる。

きっと生きていれば、今後そんな場面にも出くわすだろう。
そんな時は、一度自分のシンプルなところに立ち返ってみる。
どうやら答えはそのあたりに落ちていたりするようだ。


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三宅コータ
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