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思えば、疑問ばかり浮かんでいた。

正確には過去形ではなく、現在進行形で。
生きていく中で、もしかしたら他の人には些細なことも気になり、疑問として心の中に思い浮かんでいる。そしてそれが、今まで自分では言葉にできていなかった、生きづらさのようなものになっていた。そんなことに、今日気がついた。

お笑いコンビんのオードリー、若林さんの著書に『ナナメの夕暮れ』というものがある。先日、おくさんが東京のお土産と言ってこの本を渡してくれた。これまた変わったお土産だなと思いながら開いてみると、まえがきにこんな一節があった。

 第一ボタンを何の疑問も持たずにしめられる人は、きっと何の疑問も持たずに生きていける。
 だけど、疑問を持ってしまう人は「自分探し」と「社会探し」をしなければ、「生き辛さ」は死ぬまで解消されない。

高校生の頃、学ランの襟が首に当たるのが気になって仕方なかったというエピソードからこの話につながる。思えばわたしも、小さい頃からいろんなことが気になっていて、世の中の“当たり前“を窮屈に感じることが多かった。

たとえば進路選択。勉強ができるならいい高校へ。新学校に進んだのならいい大学へ。いい大学に行けたのなら、一流企業へ就職。流石に令和となり、このあたりの価値観は変わってきていると信じたいが、平成に生まれ平成を生きてきたわたしの周りの社会はそんな価値観が当たり前だった。

中学生の頃。勉強自体は好きだったし、成績も悪くはなかったので、当然のように周りの大人たちはいい高校へ行くようにとわたしを促した。しかし当時のわたしは、手に職のある大人に憧れがあり、中でも人の見た目を整え、気持ちも明るくすることができる美容師になりたいと思っていた。だから高校よりも、専門学校で学びたいと思っていた。そんな話を大人たちにすると、まるで社会をわかっていないといった様子で、「お前は勉強ができるんだから高校に行きなさい」と言うのだった。

なぜ「勉強ができる=高校に行く」という選択になるのか、言いたいことはわかるのだけれど、納得できずにいた。勉強が好きだったのは、知らないことを新たに覚える喜びがあったからだし、受験のためだけの勉強にはむしろ興味がなかった。(今は受験のためだけの勉強などないと思えるけれど)
勉強ができる美容師もかっこいいじゃないか。それに勉強がしたかったら、自分でもできる。当時のわたしはそう思っていたため、進路の話になるたびに親と衝突していた。生きづらさを感じた瞬間だった。
結果、今に至るまで専門学校に行ったことはなく、おそらく今後も行く予定はない。今思えばそこまで本気になれなかったというのが理由だが、当時は真面目に考えていたのだ。若林さんの言葉を借りるなら、「自分探し」と「社会探し」をしていた真っ只中だった。

この「自分探し」と「社会探し」は、高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても続いていた。しかし、今暮らしている地域と出会ってからは、「社会探し」はする必要がなくなった。「探す」のではなく、「つくる」ことに力と時間を捧げようと思うようになったからだ。だが、「自分探し」は今も続いている。まだまだ、疑問に思うことがあるからだ。

『ナナメの夕暮れ』のまえがきには、他にも共感できる箇所があった。

ぼくはずっと毎日を楽しんで生きている人に憧れてきた。
(中略)
だけど、結論から言うとそう言う人間になることを諦めた。
諦めたし、飽きた。
それが不思議なことに、「自分探し」の答えと「日々を楽しむ」ってことをたぐり寄せた。
この本には、その奇跡が描かれています。

わたしが文章を書き続けようと思った理由。
伝える力をつけたいというのも大きいのだけれど、自分を知りたい、暮らしを楽しみたい、という想いも大きかったのだ。書き続けることで、そう言った思いが整理され、暮らしがより楽しい方向へ変わっていくのではという予感があった。

一応、補足をしておくと、わたしは生きるのがしんどいわけではないし、日々の中で楽しい時間も多いと思っている。しかし、もしかしたらそれと同じくらいの時間、疑問が浮かぶこともある。時にはそれが、生きづらさに感じることもある。
そして今回、この『ナナメの夕暮れ』と出会って、ああ、やっぱり同じような感覚を抱いでいる人も少なくないよな、と、心にじんわり響くものがあった。

この、暮らしの中で疑問が浮かぶ性格は変わらないだろうと思うし、別にその性格が嫌いではない。ただ、うまく付き合って行けたらなと思うだけだ。
そしてやはり、そのための手法として「書く」ことが自分に合っていると思う。口下手だし、会話においては聴き手に回ることが多い。それは全く嫌なことではないし、そんな会話を通して互いに気づきがあった場合は幸せなことだと思う。
でもやはり、会話をしていても疑問が浮かぶことはあるし、その疑問が会話の中で解消されなければ、しばらく自分に付きまとう。

そんな時には、自分のために書いてあげたいと思うのだ。
自分自身を知る。
自分の周りの社会を知る。
その先にある世界を知る。
まだ知らない世界を知る。
文章を通じて、そんなことを自分のためにしてあげたい。

疑問ばかり浮かぶ自分のために。


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