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自己分析編:01 「三つ子の魂百まで」が自分の場合

昨日の投稿、思っていたより反響が多くあり嬉しい限りです。

「伝える」力を伸ばしたいと再開したnoteの更新ですが、他にも目的はありまして。僕は言葉を書くことは元々好きなのです。それによって考えが整理されたり、新たな発見に出会えたりするので。
だからこそ、今まで以上に「書くこと」を自分に課すことで、自分のことを今まで以上に知っていったり、新たな気づきを得れたら良いなと。

そうやって、文章を書いていくことで自分の人生をもっと楽しむこともnote更新の目的の一つでもあります。

ということで、今まで書きたかった(書きかけていた)けれど、あまり時間を取れていなかったことをしばらくのテーマにしようかと。それが自己分析です。

でも自己分析っていつ必要?

今の僕が思うに、常に必要なのが自己分析。

例えば仕事を選ぶとき。就活を経験したことのある人が、ほぼほぼ通ってきたのが「自己分析」ではないでしょうか。生まれてから自分はどんな人生を歩んできたか。どんなことに幸せを感じ、どんな挫折を味わったか。強みや弱みは何かなどなど…楽しく分析できた人もいれば、めんどくさく感じたり、何から始めたらいいかわからない人もいたのでは。でもきちんと自分を見つめられて、自己理解ができていれば、そして世の中にごまんとある仕事を理解できていれば、幸せな選択ができる。(それが難しかったりするけど)

同じように、服を選ぶときや住む場所を選ぶとき、なんなら明日の晩御飯までも、何かを選ぶときの指針となるのが自己分析だと思っています。そして自分にアンテナを向けていれば、些細なことからもできるのが自己分析の面白いところで。

そんな今回は、なぜか今日ふと「三つ子の魂百まで」という言葉が頭から離れなかったので、それをテーマに掘り下げてみようと思います。でもほんとなんで頭から離れなかったんだろ。

僕にとっての「三つ子の魂」とは

ちなみに、言葉の意味としては「小さい頃の性格や心持ちは、大きくなっても変わらない」といったところ。

小さい頃の記憶を頑張って思い出してみると、写真に頼らず浮かんでくる最初の記憶は3歳の頃。幼稚園で遊んでいて、石を天井に向かって投げたら先生に怒られた記憶。なぜその記憶なのかはわからないけれど、怒られてシュンとしたような覚えがある。もしくはおどけて誤魔化したか。

とにかく僕には臆病な性格があって、小さい頃は大人が苦手だったりもした。生まれが香川で、4歳になる頃に岡山に引っ越してきたのだけれど、初めてちゃんと聞く岡山弁に驚いた覚えもある。なんでこんなに怒ったようにみんな話しているんだろう?と、身構えた。(分かってなかっただけで本当は怒ってたのかもしれないけど)

そして小学生に入った頃、僕はサッカーを始めた。本当は野球の方が興味があったけど、野球チームは近くになくて、ソフトボール部ならあった。でも練習を見ていると、コーチの野次はうるさいし、子どもたちがよく怒鳴られている場面があったのも好きになれなかった。それくらいには臆病だった。あるとき同じクラスで仲良くなった男の子(今でも仲のいい幼馴染)から、一緒にサッカー部に入らないかと誘われたのがきっかけだった。

でもサッカー部にも怒鳴るコーチはいて、そんなコーチはやっぱり好きになれなかった。確か2年生に上がるころ、サッカー部内の広報誌のようなものが配られた。(これも確か毎年配られていた)そこにコーチの紹介が座右の銘付きで載っていた。そして今でも覚えているのが、当時好きになれなかったコーチの座右の銘が「人に厳しく自分に優しく(笑)」と書いてあったことにショックを受けたこと。怒りのような悲しさのような、とにかくこんな大人になるもんか!と思ったのを覚えている。(思えば「反面教師から学ぶ」ということも、小さい頃からしていたのかも)

そしてその瞬間に決まった僕の座右の銘が「人に優しく自分に厳しく」。座右の銘としてしまったから今も意識しているのか微妙なところでもありますが、「三つ子の魂」と言われ思い浮かべるのがこのエピソードです。

臆病ゆえに人に厳しくすることを嫌い、どうすれば優しく在れるのかを考える。そんな性質は昔から今もずっと続いている。少なくとも7歳ごろのこの思いは31歳まで引き継がれているのです。本当に100まで続くのか。それが証明されるには、長生きしないといけないけれど、今のところは続きそうな予感がしています。


振り返ってみて

ということで、今回は「三つ子の魂百まで」をテーマに、自己分析をしてみました。そこから「臆病さ」から「他者への優しさ」「自分への厳しさ」が生まれ、今の性格にも引き継がれているんだなという発見が。

でもなによりもの発見は、自分を「臆病」だと言葉にすることで、どこか心が軽くなったということ。きっと自分への厳しさ故に、臆病であることを否定してしまっていたのだと思います。
それが今回の振り返りによって、図らずとも自分で自分を認めてあげられるように。そんな思わぬ収穫でした。


自己分析編はまだまだ続きそうです。
よかったらまた、覗いてみてやってください。

(サムネイル写真は”三つ子”イメージで、拾ったばかりの我が家の猫3兄弟でした)


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