マスクをずらしてみたら
夕方、空の青が段々と濃くなっていく静かな裏道を歩いていく。当たり前のようにマスクをして、イヤホンをして道を歩いて行った時、ふと思った。
暑苦しいと。
暑苦しいと思ったことによって、誰もいないその道でマスクを外すことにした。鼻の奥に繊細な花の匂いを感じる。どこから来ているのか分からない美味しそうなカレーの匂いも、歩を進めるごとに少しづつ強くなっては弱くなっていく。
マスクによって、ぼやかされていた嗅覚の目覚めを感じる。このぼやかしによって失われたものはないだろうか。
秋の香り、冬の乾いた木の匂い。そう言われて、思い出すものは何だろうか。 電車の発射音、街中の声、子どもたちが走り回る声。自転車が横を抜けていく音。
騒音だと決めつけて、音を消し過ぎてはいないだろうか。自分自身、反省しなければいけないと感じた。
効率化、雑音の消去、そうやって色々なものをそぎ落としていくことは、良いことなのだろうか、そうだとすれば、余計なことを考えないことが人間として正しいことだと言うのだろうか。
どうでもいいことを、考えなくてもいいことを、わざわざ書いてみることに意味はないのだろうか?
きっと、そうだとは皆言いにくい部分があるのではないかと思う。自分はいったい何のために生きているのか、効率化やノイズを徹底的に潰して行くための人生は果たして何がしたくて生きていると言えるのだろうか。
まだまだ、未熟な学生には分からないことが多い……。
マスクを外しただけから、こんな事を考えてみるのも、またおつなものだ。