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史上初!? クラシカルDJは何を変革し得るのか?

フランスで発祥した世界最大級のクラシック音楽のフェス、ラ・フォル・ジュルネ。日本での15回目の開催となるラ・フォル・ジュルネTOKYO2019が、5月3〜5日にかけて、東京国際フォーラムを中心に盛り上がりをみせている。

その初日――5月3日の20時10分から、ホールEのキオスクステージにおいて、Aoi Mizuno(水野蒼生)を中心とするメンバーによるフォル・ニュイ!! 第1夜「LFJ feat. Aoi Mizuno -VOYAGE MIX-」が執り行われた。

水野は、モーツァルトの故郷として知られるザルツブルクで研鑽をつむ若手指揮者であり、「史上初のクラシカルDJ」を自ら標榜する音楽家。2018年には伝統あるクラシックの(もともとは保守系の)レーベル、ドイツ・グラモフォンからCDデビューを果たしたことで注目を集めている存在だ。


そんな彼が、この音楽祭で一体どのようなパフォーマンスを聴かせてくれたのか? 50分ほどのステージは、おおよそ3部で構成されていた(以下、それぞれを仮に「第1部」「第2部」「第3部」と呼称させていただく)。

第1部はデビュー盤で聴かせたような、ドイツ・グラモフォンらしい楽曲チョイスによる名曲リミックス。語弊を恐れずにいえば、水野自身というよりも2000年代のドイツ・グラモフォンが志向していた初期のリコンポーズド作品(端的に言えばマックス・リヒター以前)の文脈を強く感じさせるミックスに――少なくとも私には――感じられる。そして水野自身も語っているように、これは踊らすことを想定したDJプレイではない。クラシカルDJというものを、クラシックをメインとする聴衆へアピールする「挨拶」のようなプレイだ。

続いての第2部は、バレエダンサー4名(正確には、うち1名はコンテンポラリーダンサー)を加えた、今回の音楽祭のメインテーマにあわせた「旅立ち」というキーワードによるパフォーマンス。結論からいえば今回最大の見ものは、このセクションであった。

ご存知の方には説明するまでもないことなのだが、テクニックやセンス(選曲やその繋ぎ方など)もDJという音楽家にとって大事ではありつつも、長期的な目線でみたときにより重要になってくるのは、それまでとは異なる文脈をうみだし、既存の価値観とは異なる評価軸を広めることである(「レアグルーヴ」や「クラブジャズ」といったような単語をそれぞれググっていただければ、その趣旨をご理解いただけるはず)。いわゆる伝統的な作曲(リミックスではないトラックメイキングを含む)をおこなわないDJほど、単なる盛り上げ役ではなく、独自の地位を確立していくために、この視点はとても重要なものになってくる。

分かりやすく言えば、第1部では、既存のクラシックの価値観のなかで、名曲としての地位が確立されている楽曲が多いように感じられたため、いくら新鮮なサウンドのミックスであろうとも、知識がある聴き手ほど既存の文脈を強く感じさせられてしまう。それに対して、ダンスが加わった第2部では「クラシックのファンなら知る有名曲」「マニアや専門家でないと知らないが、傑作として既に評価されている曲」「マニアでもなかなか知らない曲」等など、様々なレイヤーに位置する曲が、ひとつの時間軸上で、時に重なり合いながら連なっていた(個人的に最も印象的だったのは、ブリテン《ピーター・グライムズ》からのチョイスだったことを付記しておこう)。この両者の差は、文脈の更新という視点ではあまりに大きい。また、文脈の再構成がおこなわれていたのは、音楽だけではない。専門外のため断定は避けるが、バレエ(≒ダンス+演劇)も様々なスタイルがミックスされているかのようだったのだ。

だが一般的な見方でいえば、完成度の高いものではなかっただろう(踊りのレベルが低いという意味ではなく、振り付けの作品としての完成度の話だ)。しかし、その視点が意味をなすのは、音楽と振付が固定化され、同じ形態で再演されていくことを前提とした場合のこと。今回は明らかに、それには当たらない。そもそもDJというのは、どんな場でも同じミックスを流すということはない。簡単にいえばTPOに合わせ、その機会の最善を尽くすのが、DJとしてのあるべき姿なのである。

今回のパフォーマンスは、そもそもダンスをメインにした作品と捉えるのではなく、(何度でも書くが、「ダンス」と「演劇」が合わさったものが核となる)「バレエ」という要素が加わることで、BPMを軸にした一貫性を持ちづらいクラシカルDJのプレイに、別に軸をもたらしたと捉えるべきではないだろうか。しかも、演じられるのが一貫したストーリーではなく、想像力を働かせられる(時に極端にキッチュな)断片が組み合わされていく様は、まさに水野がDJとしてやっていることそのものであるように思われたのだ。

(加えて、今後の展開としては、VJによってバレエとも異なる軸をもたらしたりすることも期待したい。)

いよいよラストの第3部。水野はマイクパフォーマンスで煽りに煽り、聴衆をステージ上にあげて踊らそうと目論む。DJとしては、クラブフロアをまわすかのように、古今様々なクラシックのなかから水野の感覚で踊れそうな部分がセレクションされていく。しかも、踊りやすいように比較的長い尺で。

最初は遠慮がちだった聴衆も、やがてはステージ全体を満たすほどの人数がステージに登っていく。その光景をみて、思わず思い出したのはTEDの「ムーブメントの起こし方」だ。

水野は、衒(てら)いなくマイクで煽る。良い意味で、過度の気遣いはそこにはない。音楽に身を任せることの楽しさを身をもって示し、各自が「その一歩」を踏み出すのを待っているのだ。

しかしながら、ステージ上にあがった者であっても、そう簡単には踊れないようだった。どう身体を動かせばいいのか分からず、ただただ手拍子で音楽にのる人たちが大多数を占めていた――そんな流れが変わったのは、あの曲だった。

この曲が鳴り出した瞬間、自然と動きが縦ノリに変わったのだ。ステージ上にあがった人々は恥ずかしかったのではない。身体を音楽にどう委ねればいいのかを、「身体で」感じることが難しかったのだろう。

このブレークスルーが起きてからは圧巻であった。《第九》で踊らせ、《木星》の中間部をチルアウトとして聴かせ、最後は第2部でも踊られたヒナステラの《マランボ》で大爆発。まさに水野たちは、TEDの動画における「ムーブメント」そのものを、目の前で起こしてしまったのだ。


もちろん、今後の課題は多い。ただそれらは、いずれこうした現場が増え、水野自身が経験を重ねることで自ずと解消されていくだろう。

私個人にとっても、
・クラシックの楽曲でも打楽器や金管のノイズ成分が多い部分ほど、DJ的なイコライジングやエフェクトが効果的(通常のDJがかけているような音楽を考えれば、当然のことなのだが、今回のパフォーマンスを観るまで思い至らなかった)

・第3部での《春の祭典》の〈春のきざし〉で、不意打ちのアクセントをもろともせず、裏打ちの手拍子が実現!(ラデツキーのような表打ち拍手しか、クラシックのコンサートでは持続できないことも多いのに!)

・ジャズ系のリミックスで、黒人のアジテーターをラップやポエトリーリーディングのように載せるようなことはあったが、水野はマックス・リヒターのように外国語(英語?)を載せていく面白さ。

……等など、挙げだせばキリがないほど、新鮮な驚きと発見をもたらしてくれた印象深いパフォーマンスであった。

先に「今後の課題は多い」と書いたが、その最大の要素となるのは、彼のミックスがクラシックの聴衆ではなく、クラブミュージックの聴衆やクラブで踊る人々にどれだけ響くかという点であろう。クラブジャズが、あれほど大きなインパクトを残せたのは、ジャズではない文脈で、既存のジャズとは異なる価値観を生み出せたからなのだから――。

水野蒼生がどこまでやってくれるのか、その動向から目が離せない。

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【出演情報】
なお、5月4〜5日もラ・フォル・ジュルネTOKYO2019では、Aoi Mizunoのパフォーマンスがあります。まだ間に合いますので、ご興味ある方は下記の御本人ツイートをチェックしてみてください!


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小室 敬幸
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