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赤いロングコート

(過去記事:音大の夏期講習&日々の練習時間の続き)

高3の2学期に入ると、周囲はセンター試験を受ける者の受験ガン詰めモード一色になった。


私は夏休みに購入したジュディマリのYUKIが出した本を眺めては、一人暮らしをしたらこんな部屋にしたいな、インテリアはこんなのが良いな、ヴィヴィアンの服は高すぎて買えないな…なんて事を考えていた。



音楽科のある短大に推薦入試で入る事を狙っていたので、実技科目のピアノの練習、週1のピアノのレッスンにソルフェージュ、楽典の勉強をプラスして、高校の授業は適当に、定期テストで赤点だけは取らないよう注意するだけだった。
定期テスト前には、近所のSクンの家に通っては古典のノートを写させてもらった。



相変わらず母は、例の宗教の集会に週3度通うので、私はピアノを練習しているフリをしては、つかの間の自由時間を楽しんだ。

普段家では絶対に見せてもらえない民放の番組、HEY!HEY!HEY!や“学校へ行こう!”を盗み見したり、ジュディマリ、黒夢、布袋寅泰のCDを爆音でかけたり、高校生くらいの子がしている“普通のコト”を楽しむ。
この頃になってようやく学校の友だちとテレビ番組の話ができるようになった。

小室ファミリーも好きで、globeのケイコを練習しながら、マークパンサーをやってくれる友だちを探していたが、中々見つからない…ので、カラオケでは1人二役をしていた。



母の機嫌の周期が読めてきたのもこの頃だった。
3ヶ月おきに躁と鬱を繰り返す、生理前になると、手当たり次第やつ当たりしては、気に入らない事があると物を投げてくるか、叩かれる事を理解してきた。


やつ当たりされた日は、夜泣きながら自室にこもり、みっきーに長電話をするか、耳たぶをまち針でグサグサやる自傷行為を繰り返す、気持ちがおさまったらヘッドフォンで黒夢を聴きながらピースライトを吸って気分を誤魔化した。



ある日ピアノのレッスンの直前、母と大喧嘩になり、目を赤く腫らしてK先生のレッスンを受けに行った。K先生のレッスン室にある応接セットのソファに座り込んだまま、私は動けなくなってしまった。
まさか、昔から私が母に殴られたりしている事など話すわけにもいかない。大きなソファに座ったまま1時間じゅう泣き続けた。レッスンどころではなかった。

K先生は、私の家の事情なんて1ミリも知らないが、『困ったねー、何か辛い事でもあったの?』と聞くだけで、私を放置してくれた。

そう、何も聞かれたくなかった。話したところでどうにもならない、ただそっとしておいてほしかった。
K先生はしばらくして、グランドピアノで色んな曲を弾いてくれた。
ベートーヴェンやモーツァルトのソナタ、ショパンの即興曲やワルツ、どれも馴染み深いものばかりで、1時間経つ頃には涙が止まっていた。
その後、気を取り直してソルフェージュと楽典の勉強をし、礼を述べてレッスン室をあとにした。
楽典の授業は毎回眠くなりそうだったが、聴音と新曲視唱は大好きだった。



クラスではウッチーとつるんでいたが、ある朝登校すると、ウッチーの姿がない。担任の“ミスター佐々木″こと、リンゴスターに呼び出されて色々聞かれたが、私は何も知らない。

ウッチーは付き合っていた工業高校のイケメン彼氏クンと家出をした…と大騒ぎになった。

連絡がついたのが3日後、四国まで2人で家出をしていたのでビックリした。

その後ヘラヘラしながら登校してきたウッチーを見て私は安心した。まさか、高校生が彼氏と2人で県をまたぎ、四国まで渡っていたとは…私の家の中では考えられない大胆な行動。

ウッチーのイケメン彼氏クンは、ものすごい束縛のキツい男子高生だった。
体育の時間、彼氏クンがソクバッキーなこと、気に入らないことがあると暴力をふるうことを初めて知った。私も入れて何度も遊んだ事がある彼氏クンだったが、一気に私の中でその彼氏クンの評価がどん底まで落ちた。

高校生の男子でも、付き合ってる彼女を殴るなんてサイテー!別れなよ、そんな奴…

でもウッチーは彼氏クンに身も心も依存しまくっていた。そんな言葉は耳に届くはずもない。

ウッチーは進路などまるで考えておらず、地元の1番近い短大に入れたらいいや!くらいのノリだった。その彼氏クンと結婚の約束でもしていたのか…私はそんな暴力男なんか一刻も早く別れてほしかった。彼女の家の母親などは、私の家と正反対で、何もかも放任主義で、それは羨ましい限りだった。


母が大学の同窓会へ行くと、2泊3日の旅行の計画を立てたときは、ウッチーを私の家に泊め、カラオケに夜遅くまで行ったあとは、一晩中音楽を爆音で聴きながら、隣のリカーショップでしこたま缶チューハイを買い、タバコも自由に、朝まで語り尽くして、二日酔いのまま高校へ登校した。

そんな事をしていた連中は、他にいなかった。
酒とタバコくさい私たち2人は周囲から白い目で見られる。
それでも楽しかった。
ウッチーにとっては、ちょっと羽目を外したくらいだったんだろうけれど、私にとっては友だちと初めてオールをした記念の日となった。

もちろん母にバレないよう、母が帰ってくる日はコタツ布団を丸一日かけて干し、部屋中の物を洗濯し、タバコのニオイを消すことに細心の注意をはらい、ピアノの練習をしながら母の帰りを待った。


学校の友人らは、ほとんどがセンター試験を受ける組で、私は実技のピアノだけを一生懸命練習し、あとはウッチーとカラオケに行ったり、プリクラをとったり、タバコを吸ったり、皆と真逆の行為にいそしむ。





またある日、担任のミスター佐々木が朝のホームルームでこんな事を言った。

『頼むからタバコくらい家で吸ってくれよ…吸うなとは言わないから…職員室から俺のデスクがなくなりそうなんだ…』

私たちC組のメンバーの素行が良くないとかで、リンゴスターは教職員間で嫌われていたようだ。
一瞬ドキッとしたが、校内でタバコを吸っていたのは、隣の席から強烈な色気とニヒルさを放つ堀越くんのメンバーだった。


A組に居る大好きなTは、受験モード一色、何かアクションを起こして邪魔をしてはならないと思った。
アクションを起こすとしたら…バレンタインか卒業式しかないな…。





推薦入試の直前となると音大のビゼー教授の毎月のレッスンは厳しくなってきた。月イチのレッスンに通うため、新幹線と在来線を乗り継いでビゼー教授のお宅まで通う。

これだけは真面目に取り組んだが、あまり進歩のない私に、ビゼー教授は『君は一体毎月何をしにわざわざココまできているのかね?』と言われ、その通りだと思った。


短大の音楽科のピアノ実技試験は、思っていたより随分簡単なもので、ハノンのスケール&アルペジオ全調の中から当日指定された調ひとつだけ、バッハの課題曲もショパンもない、曲は古典派の作曲家のピアノソナタの中から、第一楽章か終楽章を暗譜すること、それだけだった。

四年制の音大、そして特に難しいと言われていた音大のピアノ科となると、受験時の課題曲はバッハの平均律に古典派のピアノソナタ、ショパンエチュードなどが最低ライン…私が受験する短大のピアノ科と随分何もかも違った。
なんだか間が抜けた感じがした。


私はハノンのスケール&アルペジオ全調を、いつ誰に言われても弾けるよう練習し、試験曲のベートーヴェンのソナタばかり練習する。

課題曲は自分で選ぶのではなく、ビゼー教授が『ベートーヴェンのソナタならこれを弾くように。』と指定してきたものだった。

後で知ることになるが、ビゼー教授が指定したベートーヴェンソナタ7番の1楽章は、難関音楽大学の受験課題曲のひとつであった。
教授がなぜその曲を指定してきたのかは未だにわからない。

月イチのレッスンでは、とにかく『最初の8小節が肝心』と、1時間同じところを教授の納得する音になるまで弾くこともあった。





同じ高校で音大を受験するのは、私とB組のチューバ専攻の女子生徒、2人だけだったと記憶している。

センター試験なんてハナから受けない“こちら側″の人間は、勉強なんてそこそこで良かった。

推薦入試の規定で、評定は3.0以上あれば良いので、1学期と同様、政治経済のみに全ベットし、それだけは1番が取れるよう努力し続けた。




18歳の誕生日、母は例の宗教を信仰していたので、表だって当日にお祝いなどはしないが、思いもよらない地元のショッピングモールで、ダークレッドの足首まであるロングコートを見つけた。
そのロングコートが1着あると、大学にも着ていける、一見すごく高そうに見えるが、値段は19,800円だった。見ようによってはその3倍くらいのコートに見える。

母もそれを気に入り、お手頃だということで、ダークレッドのロングコートを誕生日とは別の日に買ってもらった。

転校してしまった英語科のミエちゃんが着ていた、バーバリーの8万円のカシミアの黒のロングコートがずっと脳裏に焼きついていた。

カシミアじゃなくて重いけれど、バーバリーでもないけれど、母の買ってくれたダークレッドのロングコートは170cm身長がある私にピッタリで、とても気に入った。




頭の中は受験も大切だが、それよりもっと先…一人暮らしをしたら、友だちを呼んでケーキを作ったり、インテリアの配色にこだわったり、好きなCDを聴きまくって…そのためにはまずは推薦入試を突破し、3学期はバイトをフルで入れてお金を貯めておかねばならない…


ジュディマリのYUKIに憧れながら、学校の選択音楽では相変わらずアコースティックギターで黒夢のNIGHT & DAYのコードを練習しまくり、家ではハノンのスケール&アルペジオとベートーヴェンソナタばかりをひたすら練習をする…



あ…髪はそろそろ黒に染め直さないとな…推薦入試まであとわずか、高3の秋が終わろうとしていた。







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1997年 4月14日発行
Girly★Rock YUKI
発行所 株式会社ソニー•マガジンズ



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